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畳の上の日常
【1】
東陵高校の和室には主がいる。
西日の差す和室で毎日惰眠を貪るその主こと櫻井咲良は退屈していた。
月木が書道部、火金が茶道部が使用する和室は静か過ぎる。
何か…
そろそろ刺激があってもいい頃かもしれない。
一心に墨をする仁川に声をかけてみた。
「ねぇ、仁川ってさ……」
(ひまわり)
【2】
続けた言葉に仁川が手を止め、まじまじと咲良を見つめる。
「俺、おかしな事言った?」
彼女はいるのかと聞いただけなのに、と咲良は口を尖らせた。その顔がやけに可愛いくて、仁川は少しばかり頬を染めながら、おずおずと、だがどこか嫌そうに口を開く。
「いや……櫻井、彼女欲しいのか?」
(佐藤)
【3】
「こっちが聞いたんだけど」
とがらせ気味の唇のまま、ぼそっと返す。可愛さにわざと眉寄せへの字くちで声を上げる。
「俺はイイの! 櫻井はどうなんだよっ」
言いながら腕が動き、ピッと墨が飛んだ。
「あっ」
「え?」
同時に声を上げた次の瞬間、仁川の指が咲良の頬に伸びていた。
(紅渡翠)
【4】
(武骨な癖に端正な文字を書くんだよなぁ)
咲良は伸びてきた指先から腕を辿って仁川の顔を見た。
頬に付いた墨に気を取られている仁川は、視線に気づいていない。
「悪ぃ、飛んだ」
そう言いながら拭おうとした瞬間
「えっ?」
一拍遅れて理解した咲良が顔を動かしたせいで、指先が唇に触れた。
(蜜鳥)
【5】
ふにゃりと触れた唇の感触に、ゴクリと喉を鳴らし、その触れた指が
この触り心地を忘れてはいけないと横に滑らせた。
「え?」
驚いた様な咲良に笑い掛ける。
「取るから黙って」
バクバクと心臓は早鐘を打ち、胸の奥を締め付けられているかのような胸苦しさに仁川は〝はっ...〟と息を吐く。
(吐夢)
【6】
パシッ!
乾いた音が響き仁川の手が払い除けられた。
「自分でやるからいい」
さっきまでの柔らかい表情が嘘の様に強ばった顔の咲良がいた。
「顔洗ってくる」
そう言い捨てて出ていった咲良はそのまま戻る事は無かった。
甘い雰囲気に流されかけた仁川に抜けない棘を残して…
(ひまわり)
【7】
「櫻井、どうした?」
藤堂芳成は、その長い脚で胡座をかいた格好で眼鏡を指で押し上げた。
今日は茶道部の日である。
書道部と兼部している和室の主も、もちろんそこにいた。
だが、いつも人を振り回している当人は、今日は部屋の端でぽりぽりとポッキーを齧り、一言も話さないのだ。
(佐藤)
【8】
「まあ、茶でも飲め」
差し出された茶碗をちらっと見て、咲良は顔をしかめた。
「やだ。それ苦いって言ってるだろ」
しかめ面も可愛い、とほくそ笑みながら、「心が落ち着くぞ」と言ってみる。
もちろん落ち着くのは自分であって、咲良ではないのだが。
(紅渡翠)
【9】
しぶしぶ茶碗を受け取り一応習った作法にのっとって飲み干した。
おざなりな「おいしく頂戴いたしました」のセリフに藤堂が噴きだすと咲良の手が目の前に伸びてきた。
「落ち着かない!お菓子、お菓子くれよ、でないと悪戯するぞ」
「ハロウィンか」
藤堂は笑いながら咲良の掌をぺちっと叩いた。
(蜜鳥)
【10】
さすが甘いものが好きだと公言している藤堂だけあって、差し出された和菓子は美しく咲良は頬を緩ませた。
「ほんっと、お前のチョイス最高!」
プスッと黒文字を刺しぽってりとした求肥を口元に運ぶ。
だが唇に触れた瞬間、ふいに思い出してしまった___仁川。
(ノッキ)
【11】
(払い除けちゃったからなぁ...怒ったかな?)
どうも至近距離となると話は別になってしまう。咲良は窓の外で揺れる葉を見て溜息を零した。
「大丈夫か?」
その声は遠くで聞こえてて、返事をしようにも意識も視線も揺れる葉に奪われてしまっていた咲良。
腕を引かれて我に返った。
(吐夢)
【12】
取られた腕から指先が急激に冷えていく。
反射的にその手を払い除けた。
「触らないでくれる?」自分でも驚くくらい感情の抜け落ちた声が出た。
「あ、ごめん」悪気はなかったのだろうすぐに謝った藤堂にぎこちなく笑いかけた。
「あんまり触られるの好きじゃないんだ」
たとえ誰だとしても
(ひまわり)
【13】
咲良の胸の内に靄のような気持ち悪さが広がっていく。
どうしても拭えない、どうしても忘れられない記憶の断片が、ふとした接触で咲良の表情を歪める。
このままじゃ駄目だという思いと、何をしてもきっと変わらなという相反する気持ちに、咲良はいつも振り回されていた。
「今日は帰るよ」
(佐藤)
【14】
「待てよ」
低い声を出した藤堂は笑顔だけど目が笑ってない。
「前から思ってたけど、それ好きじゃないってレベルじゃ無いよな。なんかあるんだろ? 吐けよ咲良」
じゃないと腕じゃないとこ掴むぞ、と脅すメガネの奥の冷えた眼から目を逸らし、口を尖らせる。
「じゃないとこってどこだよ」
(紅渡翠)
【15】
さっと伸びて来た手が掴んだのは左肩だった。
心拍数が上がり咲良の身の内に怒りと戸惑いが湧く。
「離せよ」
不快感を露わにした言葉に藤堂がぱっと手を離したせいで、咲良は勢いあまって後ろに姿勢を崩した。
「暴露療法、苦手なことは思い切ってやってみた方が案外平気になるらしいぜ」
(蜜鳥)
【16】
藤堂はゆっくりとのしかかった。
畳の上につく両の腕が咲良を囲む檻になる。
今までにない至近距離でのぞきこんだ咲良の瞳はこぼれんばかりに見開かれている。
舐めたら飴玉みたいに甘くて美味しそうだな、と心を惹かれた。
(ノッキ)
【17】
すぱぁん!勢い良く扉が開いて部員がその光景に1度開いた扉を途中まで戻した。顔を半分覗かせて彼は言う。
「えっと、空気読んだ方がいい?」
藤堂はチッと舌打ちをして手招きをした。その隙に咲良は抜け出て本日のお茶の和菓子を両手で掴んで食べ出した。慌てた藤堂だったが、文句も言えまい。
(吐夢)
【18】
空気を読むどころかかき回しに来たとしか思えない後輩が紙袋を差し出した。「咲良先輩、これ約束のお土産」その声にぱっと反応した咲良は奪い取るよう紙袋を引き寄せ中を覗いた。「やった!これ去年食べてからずっと食べたいと思ってた!」
急にご機嫌になった咲良を見て藤堂はため息をついた
(ひまわり)
【19】
「どこに行ったんだ?」
仕方なく藤堂は同じ茶道部員の同級生に話をふる。どちらにしろもう咲良は蒸し返すことを良しとしないだろう。
「九州の伯父さんとこ。毎年祭りを観に行くんだ」
横では咲良が貰った箱を早速開けている。
「ゼリー?」
容器を見て訊くと、咲良が頷いた。
「これ、美味いんだよ」
(佐藤)
【20】
「……黒蜜シリーズ詰め合わせ?」
眼に入った文字に藤堂は片眉を上げる。
「うん、辛子抜辛子レンコン味とか、海ぶどう明太子風味とかも美味しい。けど定番は柚子とポンカンかな。黒蜜の風味が抜群なんだよね」
「いきなり語るな……」
というか聞き捨てならない単語の組み合わせがなかったか
(紅渡翠)
【21】
「藤堂もほしいの?」
怪訝な表情で受け取った藤堂が『ポンカン』の文字にほっとしたのを見て咲良と後輩が笑った。
「お茶!」
「先輩、俺もお願いします」
「図々しい」
気まずかった空気も後輩のお陰で緩んだ。
(あいつ、邪魔が入らなかったら何する気だったんだ?)
考えても分からない。
(蜜鳥)
【22】
「ちわーっす」
その後もパラパラと他の部員も顔を出し始める。
黒蜜ナンチャラが目を引くのか「へーこんなものが?」と面白がる部員たちに咲良はその美味しさを熱く語っていた。
その表情にはさっきまでの緊迫はない。藤堂はホッとしつつも自らに浮かんだ衝動に首を傾げた。
(ノッキ)
【23】
藤堂は茶筅をカッンと茶碗に当てると、真っ直ぐに立てて手首をまわす。
シャカシャカと茶筅が奏でる和の音に場は静まり返った。
「どうぞ...」
茶を少年が受け取りに来て、片手を差し出してきた時、ピシャリ!とその手を叩いた。
「なんすか!」
「お前じゃない」
咲良に視線を向けた。
(吐夢)
【24】
これは嫌がらせか?
咲良の目の前に茶碗を差し出した藤堂がニヤリと笑った。
くいっと顎を上げ挑戦的な藤堂に思わず手が出そうになる。
ギリ、と奥歯を噛み締め茶碗を奪い取り片手であおる。作法なんて知ったことか。
一気に飲み干し和室を後にする。
最近のアイツらは何なんだ。
(ひまわり)
【25】
距離が近すぎなんだよ、とぶつぶつ言いながら咲良は荷物を置いてある教室へと向かった。
階段を下り、渡り廊下を歩いていると中庭が見える。そこのベンチに生徒が二人。咲良はなんとなくその二人を眺めながら、畳のある部室を思い起こす。いつもならそこでのんびりと過ごしているはずなのに、と
(佐藤)
【26】
安息の地であったはずの和室が、最近居心地悪い
なぜだ?藤堂と仁川、あいつらが絡んでくるからだ
「なんなんだ、他に誰もいない時に限って、変なこと言ったり嫌だって事したりするよな」
嫌がらせか
そうだそうに違いない。でもなんで?
なにか気に障ることしたかな? してないと思うけど……
(紅渡翠)
【27】
フローリングしかない家に帰っても心置きなく寛ぐことはできない。
咲良が畳への恋心を募らせながら歩いていると後ろから声がした。
「何してるんだ、茶道部の日だろ?」
仁川だった。
嫌な所を見られた。
「もう帰る」
憮然とした表情で答える。
「へえ?和室の主の癖に追い出されたのか?」
(蜜鳥)
【28】
笑いを含んだ声色に咲良は唇を尖らせた。
「うっさいなぁ。誰のせいだとおもってんだよ」
咲良はただ、畳の芳しい匂いや目に沿ったツルツル具合や連なるヘリの模様を眺めたりして楽しみたいだけなのだ。たったそれだけの娯楽を。
「お前だけじゃなく藤堂までさっ」
(ノッキ)
【29】
仁川といい、藤堂といい、本当に...
「ただ、和室にいたいだけなのに」
その寂しそうな声色に仁川は申し訳なくなり、ハタと思い付いた。
「よ、良し!なら掛け軸書く!」
仁川は自ら文字を書くことをあまり好まないはず。だが書くことを宣言した仁川に咲良は意味もわからず首を傾げた。
(吐夢)
【30】
あれから何となく足が向かなくなり、咲良にしては珍しく書道部も茶道部にも顔を出さないまま1週間が過ぎた。
藤堂は校内で顔を合わせると何か言いかけて止めるし、仁川にいたっては期待を込めた眼差しを向ける。
しかしこれ以上サボるとますます顔を出しにくくなる。
仕方ない、咲良は腹を括った。
(ひまわり)
【31】
この一週間咲良は同級生と過ごしたり、真っ直ぐ家に帰ったりしていたが、やはり畳のない生活は味気なく、つまらない。
やはり自分には畳が必要なのだと、意気込んで部室を訪れた咲良は、そこにデカデカと飾ってある物を見て瞠目する。
《畳最高》
そう書かれた掛け軸が、床の間に飾ってあった
(佐藤)
【32】
「ええっ?なにこれ」
畳禁断症状を回復させるべく足は畳目をスリスリしつつ
咲良江、と印された掛け軸に視線は釘付けのまま、言葉を失った咲良に
「気に入ったか?てか近くで見る?」
「すぐに薄茶を点てよう。苦くないやつだ」
相次いで声がかかる
なぜか仁川と藤堂が二人揃って咲良を見てる
(紅渡翠)
【33】
「何でお前らが一緒にいるんだよ?」
警戒しながらも藤堂が準備した菓子に引き寄せられる様に咲良は座った。
(ああ、やっぱり落ち着く)
出された薄茶を啜るのを見て仁川が口を開いた。
「なあ、お前って触られるの苦手だよな。何か嫌なことあったのか?」
直接的な質問に咲良は眉を曇らせた。
(蜜鳥)
【34】
「やなもんは、やなんだよ」
モジモジと和菓子を弄びながら咲良は唇を尖らせた。なんで蒸し返そうとするんだ?せっかくの和室が憩えなくなってくる。
底に残った抹茶がやけに喉についた。
「お前らだってあるだろ?苦手なこととか、やな事とか、話したくない事とか」
「まあ、あるよな…」
(ノッキ)
【35】
2人が顔を見合わせてコクリと頷いた。
「俺らには言えないか?ここにいやすいように、気を使えるし!お前が何かあれば守れる!」
その言葉に咲良は困惑している様子だった。どう返事をすればいいのかと悩む間も2人は膝を詰めて話し掛けてくる。
「そんな簡単じゃない」
そう答えるのが精一杯。
(吐夢)
【36】
ジリジリと距離を詰める2人から逃げるつもりが逆に壁際に追い詰められる結果となり咲良は焦った。
「話す、話すから離れろ!」
ここまでテンパる咲良は珍しく、手を伸ばしかけていた2人は大人しく距離を取った。
「実は……」
目を伏せ顔を赤らめながら咲良が打ち明けた内容に2人は絶句した。
(ひまわり)
【37】
「び、敏感…すぎて」
小さく恥ずかしそうに視線を逸らして呟く咲良は、二人の目にこれ以上ないくらいに可愛く映る。
まるで、目の前で裸になられたかのような気恥ずかしさに、藤堂も仁川も思わずきょろきょろと視線を泳がせた。揃いも揃ってその頬はじわりと赤らんでいる。
「そ、そうなんだ」
(佐藤)
【38】
仁川がよそ見しながらボソッと言い、沈黙が降りた。気まずい。
チラッと目をやると、咲良が赤らんだ顔のまま眉を寄せ、唇を尖らせてる。
「……だから触んないで……欲しいんだけど」
ゴクリ喉を鳴らし
「じゃあ俺が腕を掴んだ時も…その…」
感じちゃったのか? と言う藤堂の声は途切れる。
(紅渡翠)
【39】
咲良は答えなかったが、醸し出される空気が『そうだ』と物語っていた。二人ともその甘さにのまれた。
「咲良、お前何でそんな......顔」
仁川の掠れ声、詰められる距離。
ずっと抱えてきた秘密を打ち明けた恥ずかしさのあまり、咲良はここが学校であることも思い出せずに動くことができない。
(蜜鳥)
【40】
触りたい。敏感だという咲良の反応を確かめたい。じっくり味わってそして___。
ごくりの喉を鳴らした仁川と藤堂だったが、必死で理性を寄せ集め、ゆるりと首を振った。
こんなことで咲良の不信を買いたくはなかった。
「そうか、それは大変だな…」
(ノッキ)
【41】
まだ先がある。ゆっくりと近づけばいい...2人はそれぞれに思った。大好きな咲良に嫌な思いなく、触れたいし触れて欲しいから。
「咲良少しづつ慣れような?俺協力するから」
その藤堂の言葉の意図に、仁川も気付いたのだろう。
「俺も!」
そう言葉を合わせ2人はほくそ笑む。畳の上は今日も騒がしい。
(吐夢)
END.
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