1 / 1
『1940年のロシアで結婚するバレリーナの記者会見があった。』
1
どうしても見付からない。どうしてだろう?目が疲れた。なん時間もパソコン睨んでたら当然だけど。この人、かなりイメージに近い。でも顔が違う。ドアがノックされて、水岐が顔を出す。
「慎也、もう夜中だよ。」
「うん。」
彼は俺の部屋に入って来て、パソコンを覗く。
「バレリーナ?」
「うん。捜してる人がどうしても見付からない。」
2
水岐は、俺の頭を乱暴に撫でて、髪を引っ張る。
「大分伸びたな。」
「うん。」
「伸ばすの?」
「うん。」
「君んとこメンズだろう?なんでバレリーナなの?」
俺はメンズブランドのデザイナー。若い男性がターゲットの。でもこれとそれは関係ない。
3
俺は仕方なくベッドに潜る。せっかくパジャマ着たのに、水岐に全部脱がされる。俺がクスって笑う。
「なに?」
「せっかくパジャマ着たのに。」
「そりゃ、悪かったな。」
彼は裸の俺を抱き締める。すぐに眠くなる。水岐は睡眠薬3倍くらいの効果がある。
「なんでバレリーナなの?」
同じ質問を繰り返す。
「夢で見たの。今朝。」
「夢で見たバレリーナを捜してるの?」
4
お城みたいに大きな吹き抜けのあるお屋敷で、その記者会見は行われた。何十人もの記者がフォトグラファーを連れて取材に来て、そのバレリーナは凄く人気があって、その人は30才くらいで、50才くらいの有名な政治家と結婚することになって、それで2階にそのふたりはいて、記者達は1階にいる。
5
「感じとしてそれは1940年頃のロシアで、その人は大体30才だったの。かなり雰囲気の近い人は見付けた。でも顔が違うの。」
水岐はちょっとためらってから、優しく言う。
「夢で見た人が実在する、っていうか実在した、ってことはあり得ることなの?」
あれだけリアルだったらあり得る。夢で見た、セピア色のフィルム。
6
唯一、非現実っぽい部分は、そのバレリーナ、とても短い衣装を着て、記者達のためにポーズを取ってあげてて、足上げたり色々で、綺麗で。でも記者もフォトグラファーもみんな1階にいるから、ほとんど彼女のスカートの中しか撮れない。それだけが辻褄が合わない。
7
今朝は、今朝になるまで気が付かなかったけど、土曜日で、俺は起きてすぐ、またパソコンに戻った。今度はフィルムを観る。やっぱり昨夜見付けたバレリーナは、かなりいい線いってる。動きもかなり近い。名前はガリーナ・ウラノワ。1910年生まれだから、1940年には丁度30才。でも顔が違うんだよな。俺のバレリーナはもっと意地悪そうな顔をしていた。
8
鏡の前で、夢で見たバレリーナのポーズをしてみる。俺はずっと男子校だったし、ダンスなんて、幼稚園の時、祖母と一緒に盆踊りに行ったのが最後。足を90度よりもっと上げて、腕を水平に広げる。当然自分にはできないけど。そして上げる足を替えて、今度は手を高く上げる。水岐がノックして部屋に入って来る。俺のことを見て、笑わないように努力してるみたいだけど、やっぱり笑われる。
9
「もう昼だろ?ランチ、外に食べに行こう。頭に少し風当てた方がいいぞ。」
俺のこと頭が変だと思ってる。水岐はよく知らないけど不動産関係の弁護士で、俺よりずっと、頭が現実的。俺は神妙に身支度を整える。ここは表参道に近い、服飾メーカーの立ち並ぶ地域で、誰に会うか分からない。水岐はスタイルよくてイケメンだから、なにを着ても大丈夫。
10
観光客のいない裏通りに入る。そこはシーフードの、どっちかと言えば和風のレストラン。俺はそんなに好きじゃないんだけど、自分が払うわけじゃないから妥協する。座った途端にまた夢のシーンが頭によみがえる。フォトグラファー達の持ってたカメラ。フラッシュの光った、あのカメラ。1940年には人々はどんなカメラを使っていたのだろう?誕生日に水岐に買ってもらった、一番大きいサイズのスマホで検索してみる。俺の夢が当たっている。俺の見たカメラは確かに1940年頃に使われていた。
11
スマホに夢中で、なにも言ってないのに、魔法のように俺の前にランチが出て来る。俺の好きなサーモン。バターを使ったソース。ガリーナ・ウラノワのフィルム、『白鳥の湖』を流しっぱなしにしてランチを食べる。これが1946年。彼女は結婚してもバレエを続けていたのだろうか?新たな疑問。
「このフィルム、彼女が36才の時だけど、結婚してもまだ踊ってたのかな?」
「慎也、冷める前にもう少し食べな。」
「離婚したのかな?」
「昔だし、ロシアってカソリックだろ?簡単には離婚しないだろ?」
12
ガリーナ・ウラノワの伝記を読む。結婚したとか離婚したとか、そういうことは全然書いてない。俺はすっかり混乱して、罪のないサーモンをフォークで突き刺す。
「突っついてばかりじゃなくて、ちゃんと食べな。」
「うん。」
やっぱり俺のバレリーナは存在しないのかな?酸素不足で、頭の中が白くなる。
13
ようやく食べ終わって、通りに出る。俺の頭がまだ酸素を欲していて、なん度か深呼吸をする。俺のオフィスのあるビルを通り過ぎる。オフィスは3階で、そんなに忙しい時期じゃないから、誰もいなくて、電気はついてない。水岐が俺と一緒に3階を見上げる。
「君達そろそろ忙しくなる時期じゃない?」
「そう?」
「去年も今頃クリスマスのCM撮ってたじゃない?間に合わないとか焦って。」
「でもまだ9月でしょ?」
「来週から11月だよ。君って、それでよく、あんな納期の厳しい仕事できるな。」
てっきりまだ9月だと思っていた。前から曜日は分からなかったけど、最近は月も分からなくなったんだな。
「俺には優秀なスタッフがいるから。」
「よかったな。」
14
すぐそこの角にアンティーク屋さんがある。俺は、時々そうするように、立ち止まってウインドーを覗く。
「ああ、これだよ!」
俺が叫ぶと、水岐も一緒になってウインドーを覗く。棚の高い所に、箱の中にいる小っちゃなバレリーナ。彼は背が高いから普通にしてて、俺は背伸びしてそのバレリーナを見る。夢のシーンが浮かぶ。だから記者やフォトグラファー達は下から見上げてたんだ。
「へー、オルゴールか。」
「あれってオルゴールなの?」
俺はそんなこと考えてみなかったから驚く。
「普通そうだろ?なんだと思ってたの?」
「ただ大事な物を入れとく箱。」
「入って聞いてみようよ。」
15
外国人の店主が、その古いオルゴールのネジを巻いてくれる。この人がバレリーナの旦那さんだったんだな、って俺が思う。音楽が始まって、小っちゃなバレリーナがクルクル回り出す。俺はビックリする。凄い速さで、右にも左にも回れる。ぶら下がってる両足がバタバタ揺れる。水岐が店主と話している。
「これどのくらい古い物なんですか?」
「大分古いよ。1940年代。今でも動くのが不思議。よくできてます。」
箱の中に鏡がなん枚も貼ってあって、バレリーナがそれに映る。動くたびにキラキラして、きっとそれがカメラのフラッシュ。色んな方向から光が当たる。
16
「どうする、慎也?」
店の中にいるのに、店主は厚いコートを着て、スカーフを巻いている。それも俺の夢とピッタリ。バレリーナの横にいた政治家は、あんなコートを着ていた。
「どうする、って?」
「欲しいんだろ?」
「え、でもいいよ。高いんでしょ?」
水岐が俺に、笑いながら囁く。
「ビックリするほど高いけど、買えないほどではないよ。」
こういう時、どんなに逆らっても、水岐は結局買ってくれちゃうから。俺は綺麗に包んでもらったオルゴールを抱えて店を出る。
17
その後の半日は、そのオルゴールを眺めながら過ごす。急に思いついて、ピアノを教えている姉に電話する。この曲、なんの曲?
「シューマンの『異国から』。」
異国から?異国から来たバレリーナ。またなにかを思い出す。幼稚園くらいの頃、姉や、一緒に遊んでいた女の子達はバレエを習い始めて、俺だけ男の子だったから、ひとり残されて。
18
「水岐、俺、バレエをやりたかった。」
「やればよかったのに。」
「違うの。女の子のバレリーナになりたかったの。」
俺はもう1回ネジを巻く。バレリーナが回り出す。気のせいか、少し音が飛ぶ。
「あんまりやったら壊れちゃうかな?」
「壊れても直せるだろ?」
19
クリスマスのCMと言っても、テレビとかじゃなくて、ネットで流す広告。みんなにアンティークのオルゴールを見せてあげる。バレリーナがテーマだと言うと、スタッフ全員沈黙する。メンズのブランドだからね。若い男性がターゲットの。でもスタッフはとっくに俺のクレイジーさに気付いてる。諦めてるというか。
「バレリーナになりたかった男の子が、オルゴールのバレリーナを見てるところ。映像はそこから始まる。」
ネジを回す。『異国から』が始まって、すごい速さでクルクル回るバレリーナに歓声が上がる。上手くいきそう。バレリーナになりたかった男の子。モデルは5、6人。みんなにバレリーナプリントのTシャツを着せて、上から白い羽をたくさん落とそう。
ともだちにシェアしよう!