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第39話

 ただ、今の銀の額飾りや純白の絹の衣が誂えたように似合うキリヤ様がそのような幼少期を送っていたとは想像すら出来ない。神殿には上は王族や貴族の嫡男ではない人から下は下町育ちまで様々な出自の人が集まっていると聞いていたが、てっきり前者だと思い込んでいた。 「なるほど。その頃から人目を惹く顔立ちだったのですね。そしてそれを分かった上で旅籠の主人が金子の重さに目を眩ませることなく庇ってくれたということですか?」  キリヤの笑みが蒼い月のように煌めいていた。そして、どこか懐かしげな雰囲気も煌めきの中に交じっている。 「そうだったのだろうな。金子袋を受け取った主人は、小さな旅籠なので客用の浴場はなかったが、家族や住込みの使用人たちが使う場所はあった。そこに初めて連れていかれて湯あみをして女将さんの息子のお下がりの着る物を用意してくれて、その後その男に街の中の食べ物屋に連れて行ってもらった。椅子に座って待ったり、温かい湯気が出ている食べ物をその店の人が運んでくるのを見たりしてひたすら驚いていたのだが、温かくて良い香りがする食事が目の前に置かれた時には『本当に食べても良いのですか?』と聞いてしまった。  形よく盛り付けた、しかも温かい食べ物を目の前に置かれたのは生まれて初めてだったので。  それまでは誰かが食べた後だったり、すっかり冷えてしまったものだったりが当たり前だったから尚更驚いて」  伯爵家嫡男として何不自由なく生まれ育ったファロスはキリヤと異なった意味で驚いていた。そういう暮らしが有ることは知識として知ってはいたものの体験談めいて聞かされたことは初めてだったので。  キリヤのほの紅い唇が懐かしそうな笑みを浮かべている。  寝る場所が定まっていないという生活、それがどんなに心細いかはファロスにも容易に察することが出来た。  それなのにキリヤ様はそんな苦労も懐かしむような笑みと、そして現在の洗練された優雅な身のこなし、そして話せば話すほど分かる学問の深さなどを積み上げてきたのだろうと思うと「気の毒な境遇」などという軽々しい言葉は使いたくないと思ってしまう。  そして、もしかしたら「戦さで人死にを出したくない」というファロスの言葉に感銘を受けた理由の一つが下町の男たちが「賃金につられて」一兵士として多数動員されるという現実があるからかも知れない。

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