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第12話

 紅鳶とともに入室してきた初老の男は、上質なスーツを纏っていた。  彼はちふゆを目にするなり、「おおっ」と歓声をあげ、足早に歩み寄ってくる。 「きみ! 探したよ!」  弾むような声でそう言った男が、ちふゆの手を握ろうとして……ちふゆにするりと逃げられた。 「え、なに、誰?」  ちふゆが小動物のような動きで青藍の背に隠れ、陰から男に警戒の眼差しを送った。その様が毛を逆立てた子猫そのもので、青藍は思わず笑ってしまい……それから改めて男の顔を見た。  ……知らない顔だ。   ちふゆの知人でもなさそうだし……一体この男がどうしたというのだろうか。  青藍は首を傾げ、楼主の方を伺った。  青藍の視線に気付いた楼主が、煙管を咥えた唇で微かに笑った。  着流し姿の男は、相変わらずゆったりとソファに腰かけている。 「この御方は……?」  全員を代表して、音羽氏が楼主へと問いかけた。  楼主は片眉をひょいと上げて、 「手前(テメェ)らは一度、会ってるはずだぜ?」  と、青藍とちふゆに向かって投げかけてくる。  青藍とちふゆに共通の知人など、淫花廓関係以外では居ないはずだが……と、疑問に思いながら、青藍は男をまじまじと観察し……そして、「あっ!」と声を上げた。  男娼、という仕事柄、ひとの顔や名前などは一度で覚えるように叩き込まれている青藍である。  初老の男の目の辺りが、青藍の記憶に引っ掛かり……脳裏にはちふゆと初めて会ったあの公園が一瞬にして浮かび上がってきた。  そうだ。  この男は……。  あの日、夜の公園で段ボールに座っていた、ホームレスの男性だ! 「あ、あのときの!」  ちふゆにはひとを指さすなと言ったくせに、青藍はつい、彼と同じことをしてしまう。   青藍の背中に隠れていたちふゆがひょいと顔を覗かせ、男と青藍を見比べて怪訝な表情になった。 「なに? おまえの知り合い?」 「いや、俺のっていうか……ちー、おまえの知り合いだよ」 「はぁ?」  ちふゆの困り眉が寄せられて……彼が男を思い出そうとしているのが察せられた。   「ちー。ほら、あの公園で。おまえが札束投げた、あのひとだよ」 「え? …………あんな奴だったか?」 「だいぶ小ざっぱりしてるけど……ほら、あの目元」 「知らねぇよ。目元とかイチイチ覚えてねぇし」  ボソボソと言い合う青藍とちふゆに、「そうなんだ!」と張りのある声が割り込んできた。 「そうなんだ! あのとき、きみにお金を恵んでもらったホームレスは僕だ! いやぁ、帰国してからずっと、きみのことをずっと探してたんだ!」  ニコニコとひとの良さそうな笑みを浮かべた男は、ちふゆに向かってガバっと頭を下げた。 「きみのお蔭で人生をやり直すことができた! 本当にありがとう!!」  ちふゆはポカンと口を開けた。  見れば、ちふゆの母親も同じように、わけがわからないと言わんばかりの顔をしている。   「ちふゆ? どういうこと? あなた、なにをしたの?」  千秋が早口に問い質した。  ちふゆはモゴモゴと唇を尖らせ……青藍の背中越しに母親へと返事をする。 「……母さんたちが、オレだけ置いて新婚旅行に行ったと思ったから……オレ、家の金ぜんぶ使い切ってやろうと思って、そんでホームレスのおっさんに、金、寄付した」  寄付、という単語に青藍は首を傾げた。  あれは寄付というか……ぞんざいに投げ捨てただけのような気がするが……。    しかしいまはそんなことはどうでもいい。  なぜ、そのときのホームレスの男性がこんなところに居るのかが疑問である。  青藍たちの抱くハテナの回答は、当の本人の口から語られた。 「実は、きみに貰った金で僕はパチンコに行ったんだよ」 「…………」  百万円の束を抱えてパチンコをするホームレス……。  その絵面がなんだかシュールで、青藍たちはシンとしてしまった。  相槌がないことは気にならないのか、男は明るい声で言葉を続ける。 「そしたら、まぁ当たる当たる。これはツイてると思った僕は、今度は馬券を買ったんだ」 「…………」 「僕の買った馬券は万馬券になった。いままで碌なことがなかった僕の人生。あの公園でホームレスのまま余生を過ごすばかりだと思ってた僕の人生に、光明が差した! いまが勝負のときだ! 僕はそう確信した! 天啓を受けた僕が次になにをしたか。アメリカへ行ったんだよ、きみ!!」  男が、ブロードウェイ並みの身振り手振りで、興奮した口調でまくしたてた。  青藍たちは呆気にとられて、ただ彼の話の聞き役に回る。 「ラスベガスだよラスベガス。僕はラスベガスのカジノで一財産を築いた……と言いたいところだけれど、逆に身ぐるみを剥がれた。最初は面白いぐらいに儲かったのに、気付けば丸裸になってたんだ……」  まぁそうだろうな、と口にはしなかったが、その場に居た全員がそう思った。  しかし男の話にはまだ続きがあった。 「僕は、手元に残った僅かな金で、宝くじを買った」 「…………」  この男、全然凝りていない。  あくまでも金をギャンブルに使いきる姿勢は、いっそ潔いほどである。  その潔さが、神さまに認められたのだろうか……。  男の買った数枚の宝くじ。それは……。 「なんと、一等当選だよ!」  アメリカの宝くじは、その額も日本のものとは比べ物にならない。  一夜にして数億ドルもの収入を得た男は、そこでハタと気付いた。  自分のこの運気は、あのとき公園で札束を投げてくれた青年にもらったものだ、と。  男は遅まきながら、青年にこの金でお礼をしようと考えた。  そして、意気揚々と帰国の途につき、それからちふゆを探していたのだという。 「本当にありがとう! きみに会えていなかったら、僕はまだあの公園で残飯を食べていただろう! ぜんぶきみのお蔭だ! きみにこれを貰ってほしくて、僕はずっときみを探してたんだよ!」  朗らかな笑顔とともに、男が青藍の腰を掴んでいたちふゆの手を、強引に握った。  そして、握手をしたまま腕をぶんぶんと振ると、ポケットから取り出したものをちふゆへと手渡した。  男が半ば無理やりちふゆに持たせたものは……通帳であった。  ちふゆは目を丸くして、母親と青藍を交互に見ると……恐る恐る、それを開いた。  青藍からもちふゆの手元が見えて……記帳されているその金額に、青藍とちふゆは同時に目を剥いた。  ヤバい。  ゼロが何個並んでいるのかわからない。  こんなにも巨額な金を口座に預けることができるのか……。  あんぐりと口を開けたちふゆが、 「む、むり。無理無理。こんなの貰えねぇよっ」  と、悲鳴のような声で怒鳴った。  千秋が走り寄ってきて、ちふゆから通帳を受け取り、中を確認する。  彼女も短い悲鳴を漏らし、 「お返しします」  と、毅然とした声で男へと通帳を差し出した。  だが男も引かない。  これはちふゆが居なければなかったはずの金である、淫花廓の協力を得てちふゆがどこの誰かを把握することができた段階で、譲渡に必要な手続きはすべて終えてしまった、この金はすでに音羽ちふゆのものだ、と一方的に語り、明るく豪快な笑い声を上げて、もう一度ちふゆと強引な握手を交わすと、晴れ晴れしい表情で面々にお辞儀を残して、意気揚々と退室していったのだった。 「紅鳶。せっかくご足労いただいたんだ。しずい邸で遊んでいくよう伝えろ」  楼主が、扉の外で待機していた男衆に伴われて去ってゆく男の背へと顎をしゃくり、紅鳶へとそう命じた。  紅鳶が軽く頷き、男の後を追って部屋を出てゆく。  残された一同は、未だ唖然と立ち尽くしていた。 「さて」  楼主の低い声が、凛と響く。  男はゆっくりと立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくると、千秋の手から通帳を無造作に取り上げて、ちふゆへとそれを渡した。 「あの男の言うように、これは既に音羽ちふゆのモンだ。手前(テメェ)はこの金をどう使う? ん?」  楼主がひとを食ったような笑みで、ちふゆへと問いかける。    ちふゆは目を真ん丸に見開いたまま、ぎくしゃくと手を動かして、楼主から通帳を受け取った……。  

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