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◇◆◇◆◇  よく晴れた初夏のある日。  俺――神谷悠紀(かみやゆうき)は、フラれた。 「神谷のおかげだよ! ありがとう!!」  涙交じりの声で放たれた言葉に、うまく返すことができなかった。曖昧な返事をし、こくこくと頷く俺に疑問も抱かず、目の前の男はただ手放しで喜び、礼を言い続けた。  真壁大和(まかべやまと)――中学からの親友。  こいつは、大学に入ってからずっと恋をしていた。どうせ叶わぬ恋なのだから、早々に諦めろとずっと言い聞かせてきたんだけど。  つい先日、退学だ行方不明だと散々騒ぎ立てて、落ち着いたかと思えばこれだ。  真壁が惚れたのは、男だ。真壁はもちろん、相手の志摩聖(しまひじり)も、女が好きなストレートで。叶う筈のない恋はあっさりと成就し、幸せそうな笑顔を浮かべている。  ノンケに恋をして――それが実るのは、どれだけの確率なんだろうか。  想いを伝える勇気があるからこそ得た幸せなんだろうか。 「心配かけてごめんな、神谷」  俺には――できない。  この関係が壊れるかもしれないと、そう考えただけで足が竦む。  真壁大和――中学からの親友で……あの日からずっと、ずっとずっと好きだった男。  伝えることも出来ない俺の想いは、真壁のそれとは違い無残に砕け散った。  ◆◇◆◇◆  物心ついた頃から、俺は人と少し違うのだと自覚はあった。  そして、それを口にするのはとても危険なことなのだと、幼いながらに察し心の中に留めておいた。  男が男を好き――たったそれだけで、生き辛くなる。おかしいよな。人を好きになるだけだっていうのに。 『やっぱ男は無理だわ、俺』  中学2年の夏。  自分の性癖とうまく付き合う術を身につけていた俺は、同じような性癖を持つ先輩と"そういう関係"になった。  恋とか愛とか、好きとか嫌いとかよくわからなかったけど、俺でもいいと言ってくれる存在が嬉しくて、何でも受け入れた。  キスも、手や口でしてあげるのも、彼が気持ちいいと喜んでくれることなら何でもやった。  だけど、いざ身体を繋げようとした時に放たれたのはその言葉。  胸もなくて、どちらかというとガリガリで骨っぽい俺の身体が、無理だと。……そんなこと、最初から判ってたじゃないか。同じモンが付いてる俺がいいと言ったのは、そっちなのに。  期待させるだけさせて、彼は俺の元から去った。どんなに責めても縋っても泣いても、振り返りもせずに。 『……っ、』  放課後の教室の床は、昼間とは違ってひやりと冷たかった。夏休みの始まりのこの日、誰も居ないここが、俺の世界なのだと――ただ哀しかった。 『……これ』  つい、と差し出されたのは青いハンカチ。ぼろぼろと涙を零す俺に、そいつは申し訳なさそうに眉尻を下げていた。 『まか、べ』 『ごめん。盗み聞きするつもりは、なかったんだけど……』  ぐらり、と視界が揺らいだ。もう終わりだ。俺の学校生活は終わりだ。ゲイだホモだとなじられるだけになるんだ。  差し出されたハンカチを払いのけ、ギッと睨みつけた。 『可笑しかったら笑えよ! 男が、男にフラれて泣くとか、気持ち悪ぃって!!』 『神谷』 『俺だって、こんな自分嫌だ……けど、変われない。女の子を好きになるだなんて、俺には無理だ』  もう、嫌だった。 "普通と変わらない自分"を装って生きるのは。皆に、嘘を吐いて生きていくのは。  周りが彼女を作っていく中、俺は焦っていたのかも知れない。いつか投げかけられるだろう「なぜ、彼女を作らないのか――」という質問に。  拳を握って板張りの床を何度も打ち付ける俺の手を取り、真壁はまっすぐに俺を見据えた。 『神谷は、そのままでいいんだよ』と囁いて。俺の人生で初めて聞いた誰よりも優しい声で。  男が男を好きだなんて、気持ち悪くないのか。  男に捨てられた俺を、無様とは思わないのか。  震える唇で問いかければ、真壁はにこりと笑って少し乱暴に涙を拭ってくれた。  表情と声色は底なしに優しいくせに、手つきはちょっと雑とかどんなギャップだ。ちょっとドキっとした自分が嫌だわ。何のドキ! だよ。 『別に、気持ち悪いだなんて思わないよ』 『……嘘だ』 『思わないってば。誰を好きかで、これまでの神谷が変わるの? 違うでしょ?』 『ぬう……』  呆れたような溜息を吐き、真壁は立ちあがり手を差し伸べてきた。  帰ろう、と。促して。  何度も頷いて、押し付けられたハンカチで涙を拭って、真壁の後に続く。この時誘われるがまま訪れた真壁宅で食った真壁ママの飯は、今でも忘れられないくらいに美味しくて、優しい味だった。  なあ、真壁――知らないだろう。  13のガキが、13のガキに救われて、それからずっと思い続けているだなんて。  お前以外、本当の俺を知ったうえで受け入れてくれる奴なんて、居なかった。大切だった。誰よりも。  いつかお前に彼女ができて結婚して、子どもが生まれたら――その時は、うんと可愛がってやろう、だなんて遠い未来の日々を想像したりすることもあった。  俺には手に入れられない幸せは、真壁に託そうと。  なのに、なんでだよ。なんで、お前までこっち側にきちまうの。なんで、――俺とお前が立っている場所は同じなのに、そんなに幸せそうなの。

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