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1章 炎の記憶 11

「驚いたな。ただの人間が魂だけになっても自我を保っているのか」  フェイシスの加護を得ているからだろうか。普通は魂だけとなれば自我を保てずに魔力の海の中に霧散していくはずだ。しかし目の前のユイスは自我を保つだけではなく、単独でヴァルディースの前に現れた。 「僕もよくわからないんですけど、フェイが、僕は特別なんだって言っていました」  何がどう特別なのかはわからない。ただ、そもそもレイスにしても普通の人間が精霊の長を閉じ込める器となり得るわけもない。この兄弟には精霊と近しい何かがあるのだろうか。  ヴァルディースはユイスをじっくりと眺めた。実体がないから表情はうっすらとしか認識できない。しかしきょろきょろと居心地悪く辺りを見回すように、魂を震わせる様や、苦笑いのようなものを浮かべる姿は、双子という割には弟とはまるで違う。ヴァルディースの中にあるレイスの記憶では、ユイスの穏やかな面差しは彼らの母親とよく似ていた。 「レイは、どうなるんですか?」  か細く、ユイスが尋ねる。  眠っているレイスの傍らに、心配でもするように寄り添う姿は、確かにこの少年を愛する家族の姿だとヴァルディースにも思えた。  家族というものを実感として理解してはいないヴァルディースにしてみれば、こういう存在はよくわからない。しかし、ファラムーアを失った時の嘆きと、ヴァルディースの中にあるレイスの嘆きが、彼の姿の前で重なってしまう。  これは切ないという感情なのだろうか。 「自分を殺した相手でも、心配か?」  ヴァルディースは尋ねていた。彼に聞くのは間違っているかもしれないとも思った。彼はファラムーアではないし、そもそも自分の死の原因について語りたくなどないだろう。 「僕は、レイの兄なんです」  けれど思いがけず、きっぱりと断定する言葉が返ってきた。魂のままのユイスが訴えるようにヴァルディースに飛びつき、迫る。 「レイにはレイの事情があったんでしょう? だったらそれで一番傷ついたのはきっとレイだ。レイは、なんでも一人で抱え込んじゃうから」  どくりと何かがヴァルディースの内側で脈打った。 「昔はそれでも僕はレイのことならなんでもわかってたんです。でも、あの時僕はレイがわからなかった……。僕が、一番信じてあげなきゃいけなかったはずなのに、守ってあげなきゃいけなかったはずなのに」  あの時と言うのはユイスがレイスと逃げていた時のことだろう。レイスに何も伝えられないまま引きずり回され、ユイスはレイスから離れた。そしてそこで、ガルグに見つかった。  ユイスは泣いているのだろうと思った。見えないけれど、きっと涙が溢れている。レイスを守ってやれなかった後悔があるのだ。  ヴァルディースはそっとユイスの魂に手を差し伸べた。ユイスは泣き虫だった。兄だと言いながら、実際はいつもレイスに守られていた。同時にその存在がどれほどレイスにとっても大きなものだったか。救いとなっていたのか。ユイスは知っているのだろうか。  ユイスを包み込んで抱きしめてやりたかった。けれど、それをするのは自分ではない。  眠り続けるレイスに視線を投げる。それをするのはあいつだろう。自分の中に残ったレイスの感情が、愛情に似た思いを抱かせているだけだ。  先ほどまで、たかが人間の感情に支配されるなど冗談ではないと思っていたのに、ユイスを見ていると、そうでもないのではないかという気分になってくる。  ザフォルの言葉もあながち間違いでもなかったのか。似たようなものを、確かに背負わされた。消えてしまったファラムーアはどこにも存在しないが、レイスはユイスと、もう一度兄弟として分かり合える機会がある。レイスはまだ元に戻ることできる。  悔しいとも思った。その機会を与えられたのが自分ではなく、自分の宿主であることが。とはいえ、ヴァルディースは何千年と存在してきた、精霊の長である。たかが人間の営みに起きた特殊事例に妬くほどの感情など、もう持ち合わせてはいない。  むしろあるとすれば、違う感情だった。 「弟に会いたいか?」  尋ねた時、ユイスはびくりと震えた。一瞬硬直して、その直後には全身で大きく頷いた。 「会いたい……。会いたいです。僕はレイに会いたい! 会って、謝りたい……」  震える魂に手を差し伸べ、握りつぶさないように気をつけて、そっと撫でてやる。きょとんとしたようにヴァルディースを見つめてくる魂に、ヴァルディースは苦笑した。 「仕方ないな。あんな厄介なもの抱え込むのは俺の性分じゃないんだが。会わせてやろう。お前の弟に」  ぱっとユイスが喜びをあらわに魂の身体を躍らせた。 「いいんですか? 本当に?」 「最初からそのつもりで来たんだろう? 俺を説得するために」  ユイスを伴ってレイスのもとへ歩み寄る。眠りこけるレイスを、起こしてやらなければいけない。レイスを自分の眷属にする。それでこの二人が救われるなら、自分も救われるだろうか。  額に手をかざし、自分の力をレイスに分け与えようと、顔を寄せた。  しかしその時だった。  轟音と激震が辺りを襲った。 「なんだ一体!」  地震ではない。ここはザフォルの島だ。ザフォルによって全て制御されているこの場所でそんなものが起きるわけもない。  怯えるユイスを抱きかかえようとした途端、第二波が襲った。激しい爆音が轟いた。水さしがひっくり返り、床にぶちまけられる。そこからひどく焦った様子にフェイシスが飛び出し、ユイスを包み守るように抱き上げた。 「もうちょい持つかと思ったんだが、どうやらここも潮時のようだ」  扉の向こうから状況に似合わないのんきな口調のザフォルが顔を出す。 「ガルグの襲撃か」 「そゆこと」

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