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宋山の花児

数日前、二の鍛冶場で何か騒ぎがあったというのは聞いていた。と言っても離れた八の場で働く自分は徒弟たちの小競り合いとしか聞いておらず、詳しいことは知らない。  取り扱う品によって一から八まで分かれている宋山(そうざん)の鍛冶場は広く、離れた場の話は余り入って来ないのが常であるし、他の鍛冶との親交が薄い自分では尚更である。それに大勢の男が働く閉鎖的な環境において、小競り合い程度の事は決して珍しくない。  それがただの小競り合いではないというのを知ったのは、つい昨晩の事だ。  日が暮れた頃仕事を終えて食堂へ行き、空いた卓に腰を下ろすや否やこちらへそそくさと寄って来る者があった。(るい)という七の場で働く鍛冶で、山に入った時期が近いというだけの理由で俺を友人扱いする男である。 「よう、(ほう)。調子はどうだ?」  勝手に向かいに腰を下ろした累の手には寸胴型の杯が握られ、顔はまだ夕の早い時間だと言うのに既にうっすらと赤みを帯びていた。 「変わりは無い」 「変わりはない、だとよ。流石剣仙殿は言う事が違う」  剣仙とは人嫌いで剣を打つしか取り柄のない自分を揶揄する渾名のようなもので、それと分かった上で呼ぶ質の悪さに舌打ちすれば、奴は杯を持たない方の手を振って見せた。 「ほんの冗談だよ。お前は本当に愛想も無けりゃ冗談の一つも通じない男だな。そんなだから剣仙だのと嫌味ったらしい呼び名も罷り通るのさ。四十前で炉ひとつ任される腕利きなんだから、もっと威張り散らしゃいいのに」  俺なら毎晩あの辺にふんぞり返って牌のひとつも投げてるぜ、と累が視線を向けたのは食堂の中心、そこは人でごった返す食堂の中でも一際喧しい一角で、数人の男たちが酒を呷りながら牛骨の牌で博打を打っていた。顔触れはどれも宋山では名の知れた腕のいい職人たちで、その中でもとりわけ声の大きい連中だ。 「俺はああいうのは好かん」 「知ってら。欲のないことで。ああ、俺があんたなら噂の花児(はなご)の初夜でも狙うんだがな」 「次の下山日に有り金積んでみたらどうだ?」  麓の花街の娘の話題か何かと思い適当に相槌を打つと、何故か累がぎょっと目を剥く。 「おいおい、まさかあんた知らんのか」 「何がだ」 「信じられん。ここ何日か、宋山中が猫も杓子も揃って翠菖輝(すいしょうき)だってのに」 「翠菖輝?」 「名前も知らないのか」 「人名というのは分かる。遊女ではないのか?」 「呆れたよ。いくら何でもここまで俗世に疎いと、仙人呼ばわりされても文句は言えんぞ」 「呼びたけりゃ勝手に呼べばいい。それで、その翠何とかがどうしたんだ」 「おお、興味が湧いたか?」 「お前の事だ。聞いてやらないと気が済まないだろうよ」 「はは、ご明察。お前、少し前に二の場であった揉め事は知ってるか?」 「……ああ。下働きが揉めたとか言う」 「そうだ。まあ、そいつ自体は大した事じゃないが、あの日二の場に出入りしてた下働きどもの中に変わったのがいてな。お前はこいつも知らないだろうから話してやるが、顔を薄布で覆ったガキで、風呂でも相部屋でもそいつを取った事が無かったらしい。だから噂じゃふた目と見られねえ不細工だとか皮膚病持ちだとか山に来る前に顔を焼かれたとか、まあ根も葉もない話がひとり歩きしてた。で、経緯は知らんが、そいつが他のガキに絡まれたか何かで揉め事になった。そん時にその顔の薄布がな、どさくさか何かで落ちたのよ、はらりと」  累が動詞に合わせ顔の前から何か避ける仕草をして見せた。 「そしたら……その顔がまあ、奇麗なこと奇麗な事、花街一の遊女も真っ青だって話だ。その場に居合わせた男どもは一人残らず揃って釘付けになっちまったらしい。ーーそれでここからが本題なんだが、その翠菖輝はまだ齢十四、聞くところによっちゃちょうど明日明後日にでも成人を迎えるって話らしくてな……ほら、鈍いお前さんにも分かるだろ?」 「…… 褥如(じょくじょ)か」  子供は十五の誕生日を迎えたその時から成人と見なされる。ここ宋山では、成人を迎えた若い徒弟とその師となる職人の間で褥如という契約を交わす風習が存在するのだ。早い話が男ばかりで娯楽の少ない山の中で、若い男子が少ない給金を補う為の金銭や弟子入りを条件に春を売るというものである。  宋山に入った者は成人前するまでの間あちこちの鍛冶場の下働きをして回るが、成人を境に一人の師について徒弟としてその技を受け継ぐ習わしだ。  弟子を持つ事はどの職人にも許されているが、平の職人の場合その人数は二人までと定められている。位の高い炉頭や場頭であれば受け持てる弟子の人数に限りは無いが、地位のある腕利きの職人には弟子入りを求める者も多く、中には当然あぶれる者も多く居た。  そんな中で容姿に自信のある者が春を売って他の男子たちを出し抜いたり、職人が人気のある職人からこれはと思う者を掠め取る際に金銭のやり取りを持ち掛けたりと言う形で駆け引きに使われるのが褥如だった。中には金欲しさに多くの男と褥如を持つ者も居ると聞く。女人禁制で娯楽の少ない宋山でこそ成り立つ風習であった。  その翠とかいう者は自ら持ち掛けたりせずとも、その春目当てに数多の職人から様々な条件で言い寄られるに違いない。まさに高位の遊女の如く客を選ぶ立場という訳だろう。 「……下らんな」  風習について物申す気はないが、自分には関わりない物事だと判じる。自分とて八の場の炉頭の一人ではあるが、弟子にも褥如にも興味は無かった。 「お前はそうだろうが、他の男どもはそうも行かないだろうよ。まだ手垢ひとつ付いてない飛び切りの美人をものにできるとあっちゃ、居ても立ってもいられんのさ。もう弟子を二人取っちまってる奴も欲に目が眩んでどちらか破門にしかねん勢いと聞くぜ。俺はまあ炉頭でもねえんで到底手が届かねえだろうが、どいつがどのくらい金を積んでるだの、誰が花児をものにできるかだのって賭けには一枚噛ませてもらってるぜ」  男子一人の行く末に賭けまで起こるとは流石に度を超えている。元より俗世と隔たれた宋山に風紀などあって無いようなものだが、呆れて物も言えない。 「ちなみに俺は二の場頭の伸免(しんめん)殿に賭けたよ。あの方は仕事場から騒ぎを聞き付け何事かとやって来た時、翠をひと目見て雷に撃たれたように固まっちまったと聞く。あの方は人格者な上に腕も確かだが、そうなったらば是非弟子にとならぬ訳があるまいよ。俺も一度でいいから、見る者みんな狂わしちまう花のかんばせってやつを拝みたいね」  そわそわと食堂を見回す累の目には、うっかりその辺に掛けて粥でも啜っていないかという期待が透けて見えていた。 「居るわけないだろう」 「だよな。そこいらに居ようもんなら今頃大騒ぎだ。しかしおかしな事にあの日からこっち、今日はどこの場についただのって話をとんと聞かねえんだよ。聞き付けたらすぐさまひと目見に行ってやろうと思っているんだが」 「お前のようなのが山ほど居るから、口止めでもされているんだろう。大方、分別があるか女しか抱かない奴の所にでも匿われているに違いない」 「成程な。成人して誰かのもんになってしまえば他の鍛治は手出し出来ねえし、騒がしいのもあと二、三日だろうな。それまではいくら可愛かろうとご禁制だし、騒ぐだけ騒いで見世物になるだけだ」 「……だろうな」  成人する前の子供への手出しは、いくらお上の目の届きにくい宋山と言えど御法度だ。知れたら問答無用で山を叩き出される。ここでは酒に煙草に博打、男色までもが見逃されるが、法に反する事はどんなに軽微な罪でも許されない。その理由は黒瀧の性質と鍛治職人の身分にある。 宋山ははるか昔、天より舞い降りた天子が天より武具を賜った地として知られており、古来より聖域と定められている。  皇宮や燿国中の僧院で使われる全ての神器や祭具に使われる黒瀧だが、その素となる鉄はこの山でしか採掘されない。この山で採れた鉄をこの山で鍛えるとそれは神気と呼ばれる黒い光沢を帯び、資質のない者が触れればたちまち皮膚が焼け爛れるのだ。  眉唾めいた話だが決して単なる伝承などではない。それが如何なる仕組みかは天のみぞ知るところだが紛れもない事実であり、無傷でいられるのは天子の系譜か清い魂を持つ者のみと言われている。時節に応じて様々な儀を執り行う僧の中にも、布越しにしか黒瀧に触れられぬ者がいると言う。  しかし黒瀧そのものを鍛え、加工する職人が触れられぬのでは話にならない。天より神聖なる黒瀧に触れる事を許された清い魂を持つ男、これが宋山の鍛冶となるための第一の条件なのだ。  それ故に、鍛冶たちにはただの職人ではなく僧としての身分が与えられている。僧と言うからにはある程度は戒律は守らねばならず、法を破るなど以ての外という訳だ。  ちなみに山の反対側にはこれも聖域とされる採掘場があり、そこでも鍛冶場と同様に多くの男たちが働いている。こちらもまた資質を持つ者しか働く事を許されておらず、鍛冶よりも位は劣るがこちらもまた僧の位を持っていた。  僧といえばこの国では立身出世を目指す者が一に挙げる要職だ。宮に御座す天子や高僧たちの手足として国中の僧院で働く僧は大まかに十の位に分かれており、上位になる程国の中枢に近付き、より深く政にも関わる身分となる。  宋山で働く者をその枠に当て嵌めると下働きや弟子達は十位から八位、累のような平の鍛冶でも優れた者は五位を持つ。八つの場を束ねる鍛冶頭ともなれば三の位が与えられた。  実際に鍛治職人が政に携わる事は無いにせよ、宋山入りと言うのは生まれや勉学によらず僧の身分を得る数少ない手段であるのは間違い無い。よって、その身分を易々と手放す者は皆無なのだった。 「……どちらにせよ俺には関わり無い事だ。早々に片が付けばいいと思う。いつにも増して煩くてかなわない」 「はあ、あんたはそういう奴だよな。ま、賭けが当たったら次の下山日に一杯奢ってやるさ」

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