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変化-henka-3
「朱ちゃんを可愛くしてねって、彼からお願いされてるから今日は覚悟してよ?」
指定された椅子に座り、洗い終わった髪の毛の滴をタオルでわしゃわしゃと拭き取る。
鏡を通して合う目。志御さんは早く切りたいとワクワクしている感情が溢れ出ていた。
「さ、おまかせコースでいいかしら?」
「大丈夫です」
「何、緊張してるの?もっと肩の力抜いて。敬語もいいから。樹矢くんにもっと可愛がって貰うんでしょ?」
可愛がって欲しいなんて、思ってない。
嘘。
そんなの自分の口からは恥ずかし過ぎて頷くだけでいい肯定すら出来ない。だんだん恥ずかしくなってきて、「朱斗ちゃん、可愛いわねぇ」と髪をカットしながら志御さんは言う。目の前の鏡には、耳まで赤く羞恥下自分の顔が映っていた。
「み、樹矢はここによく来るんですよね?」
「そうね。月に一度は必ず。たまにメンテナンスだけしに突然、来たりもするかな」
「因みにこの席は樹矢くんのお決まりの指定席」
櫛を手に持ったまま、コンコンと椅子をノックする。顔に出したくないのに、お見通しなんだろう。
何故か樹矢を近くに感じて俺が内心、喜んでいる事なんて。
「ほんと好きなのねぇ。お互いに」
微笑ましく口角を上げて志御さんは手を動かし続ける。
俺の髪をハサミで切る音が耳の近くに聞こえる。一定のその音は心地良さもあり、つい目を瞑ってしまいそうになる。
「志御さんは……恋人は居るの?」
さっきから気になっていた志御さんが着けている唯一の指輪。その位置は、俺と同じ左手の薬指だ。
「指輪を見て思った?」
カット中は顔を動かせない為、「うん」と言葉にした。
「これはカモフラージュ。変な虫がつかない為のアイテムよ」
「じゃあ、居ないんだ?」
伸びた前髪を下ろされて、鼻先まで掛かる。
「……そう、ねぇ」
答える志御さんの表情は見る事が出来ず、そこからカットが終わるまでの短い時間沈黙が続いた。
「おっけ、一回流しましょう」
シャワー中も会話は無く、ただ二人きりの空間で水の流れる音がやけに響く。何か持っでいる思いを一緒に流してしまいそうな、そんな勢いのシャワーに俺は委ねるしかなかった。
「最近ね……」
再びタオルで髪を拭いてもらっている時、志御さんが沈黙を破り話を始めた。
その声のトーンは先程よりも落ち着いて、初めて聞く低さだった。
「最近、気になっている子はいるの」
志御さんとその子の話が、始まった。
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