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『追放された青年貴族と高級娼婦』

1 「ソイツに会ってどうすんの?」 「だから、デートしてくれればいいから。」 この山岸という男は授業にも出ずに、怪しい商売をやってる。 「清哉がイメージにピッタリなんだよ。」 「知らねえよ。なにそれ、売春?」 「それの高級なヤツ。」 高級な売春? 19世紀のヨーロッパにいた高級娼婦を思わせる。背徳と退廃。高い金を取ってサービスをして、でも決して誰のものにもならない。俺は大学で、あの時代の詩人について研究している。そそるチャンスではある。勉強のため。 2 30代半ばのエリートビジネスマン。名前は関根。見てくれは悪くないらしい。俺はバーの中を探して歩く。うるさい音楽がかかってる。ジャズってもっと静かに聞くもんじゃないの? それらしいのを見付ける。あっちからこっちは見えない。俺は髪は長くて女顔。そういうのがお好きらしいから、俺はワザと黒のレザージャケットにロングブーツ。髪は結んで上げて。俺の髪がどんなに長いか誰にも分からない。 3 どうする? ソイツはカウンターに座っている。俺は黙って横に立つ。彼は立ち上がって、俺の耳の辺りに顔を近付ける。なにか言いたいのかと思ったら、そうではない。匂いを嗅いでる? 初めて遭遇した動物のように? ヤツは俺の身体を見て、後ろにまで回って、また腰を下ろす。俺って、どんな匂いがするんだろう?  4 このバカバカしいお遊びを止めて帰ろうとしたら、彼が椅子を引いてくれる。それって俺が合格したってこと? 彼の前にショットグラスがある。なにか透明な液体。バーテンダーが俺に飲み物を聞いてくれる。 「俺もショットで、ウォッカ。」 彼がチラっと俺の方を見る。俺も対抗してあっちの方を見てやる。確かに見てくれは悪くない。大きな群れの中心にいる動物。勝利者の顔付き。俺はほとんど一気に酒を飲み干す。彼がバーテンダーに向かって俺の空のグラスを指差す。 5 ヤツがポケットからケータイを出す。グレーの背広。幅広のネクタイ。 「Hello, how are you? 」 それが初めて聞いたヤツの声。話しながら彼はうるさい店の外に出て行く。このスキに帰ろうかと思ったけど、目の前のグラスになみなみと酒が注がれる。頭が熱くなって、身体が痺れていく。俺って、狩られる獲物なの? それが気に入らない。 6 自分が飲んだ分の金を払って、俺は席を立つ。運悪く、電話が終わった彼が丁度こちらにやって来る。結局、俺達は一緒に店を出る。後ろからついて歩くと、俺の方が彼より少し背が高い。あっちが急に立ち止まって俺に話しかける。 「悪いな。あの店あんなにうるさいって知らなかった。」 大通りに出て、彼はタクシーを止める。 7 「俺、無理です。こんなの。」 「なに?」 ハッキリ言ってやろうと思って。 「俺、イヤなんです。金で征服されんの。」 「これはそういうんじゃないよ。」 運転手がチラっとバックミラーをうかがう。俺は話しを止める。 8 湾岸の知らないホテル。彼がレストランに入って行くと、何人かのスタッフが彼に会釈する。よくここに男を連れ込んでるのかな? また彼が椅子を引いてくれる。それが気に入らない。窓際に座る。大きな客船が遠くに見える。俺は挑戦的に言ってやる。 「山岸に金払ったんでしょ?」 「あれは紹介料。」 やっぱりな。 「でも、どうするかは君次第。」 俺は思い出す。昔観た映画。俺の好きな19世紀。ゴージャスな高級娼婦。ある青年貴族が彼女に恋をし、挙句に結婚してしまう。ルールを破った青年貴族は、社交界から追放される。 9 関根。確かその名前だった。関根のケータイが鳴る。彼はチラっと見て、出ないことに決める。 「アイツ等、時差というものを知らない。」 ウェイターがオーダーを取りに来る。俺達、どんな風に見えるんだろう? 年も違うし、カッコも違うし。 「デートするだけだったら、俺みたいにつまんない相手ないですよ。」 「それは山岸君に聞いた。」 だったらなんで?  「いいだろう? 金曜日だし。」 俺って、成功した男の勝利品? 連れて歩く装飾品? やっぱり気に入らない。 10 関根が少し口元を緩める。 「そう睨まなくってもいいだろう、俺のこと?」 俺が表情を変えないので、彼はクスって笑う。今度は俺は腕組みをしてテーブルを睨む。 「山岸にはなんて言ったんですか?」 「アートの話しのできる人。」 見てくれじゃないんだ。俺、女みたいな見てくれにコンプレックスある。黒で完全武装してきた俺の気が少し軽くなる。彼はしばらく弄んでいたケータイをポケットにしまう。 11 「俺、アートディーラーだから。日本のアーティストの絵を海外で売る。」 俺は結んでた髪を下ろす。ストレートに背中に落ちる。関根は楽しそうに、しばらくそれを眺める。 「若い人が、今のアートをどう見てるか知りたい。」 「俺の専門は19世紀のヨーロッパですよ。」 「じゃあ、今の若い人が19世紀のアートをどう思ってるか、でもいい。」 12 関根はアートのことは俺の大学教授くらいに詳しくて、細部にわたる系統的な知識。誰もいないエレベーターにふたりで乗ると、彼は俺の髪に触る。部屋の電気を全て消される。彼が服を脱いでいる音がする。俺は暗闇が怖くて、ベッドの脇のランプをつける。ベッドの反対側にいた関根が回って来てそれを消す。その時見た彼の身体。下着もなにも着けていない。堂々とした、エロティックな獣。この暗闇では、今、ヤツがナイフで俺を襲ったとしても、俺は全く気が付かない。俺はカーテンを全開にする。港の灯りが入って来る。 13 大学で山岸に会った。 「清哉、髪切った?」 見りゃ分かるだろう? あれから関根は2週間海外で、俺は毎日ヤツのことを考えてる自分がイヤになった。どうせならと思って、スポーツ選手くらい短くした。 「随分変わったな。」 変わりたかったから。お前のせいで。 「それより、どう? またいいのがいるんだけど。」 「お前、なに? ポン引き?」 俺は後からついて来る山岸を振り切った。俺はいい高級娼婦にはなれそうもない。まだアイツのことを考えてる。関根は日本に帰って来たら、また山岸みたいなバカに金を払って、若い男を買うんだろうか? 14 2週間なにも言って来なくて、成田に着いた途端メッセージが入る。ここもジャズバーで、でもいつかみたいにうるさくなくて、俺は酒が飲みたかったから、早めに行ってひとりで飲み始めた。ショットグラスで。前と同じ動物的な警戒心が戻って来る。俺はカウンターにいて、髪もカッコも全然違うのに、関根は後ろから近付いて、また俺の耳の辺りの匂いを嗅いで、俺の隣に座った。 15 機嫌の悪さ最大にしてヤツを睨む。彼は海外で撮って来た絵をケータイで見せて、俺の感想を聞く。アートの話しをしたって、こないだみたいに落ちるとは限らない。だけど同じエレベーターの中で、関根はやっぱり俺の髪に触る。部屋の電気を全部消されて、俺はカーテンを開ける。 16 俺はベッドの中で最大級の媚を売る。 「君みたいに変わる子、初めてだな。」 俺は彼の膝に乗って、頬と頬を合わせる。 「前もこうだった。あの時だけだと思った。」 俺はため息と共に、少女のように甘く囁く。 「ねえ、貴方のこと、なんて呼べばいいの?」 「義之。」 彼の名前を呼んでみる。彼の胸に優しく顔を埋める。 「君の中に誰か違う人がいるみたいだ。」 そうかも知れない。 17 「義之。俺達、結婚しよう。」 彼の愛撫の手が止まる。俺は、あの時の高級娼婦で、青年貴族と結婚して、彼は社交界から追放される。

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