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特別な人 第4話
そっか。って笑う虎君はそれ以上何も言ってこなかった。でもコーヒーに口を付ける口角は笑みを象っていて、僕じゃなくてもきっと虎君が喜んでいるってわかるぐらい嬉しそうな表情を浮かべていた。
その顔を盗み見ながら僕もココアに口を付けて甘い甘いそれをコクリと飲み込む。僕のよく知る虎君と全然知らない虎君の両方を感じながら、賑わいを見せるお店の喧騒に身をゆだねる。
下校時刻から数時間経っているからか、お店の中にはたくさんの学生の姿。確かこの近くには高校が三つ、中学校が二つあったはずだから、きっとそこの生徒が下校途中に寄って友達とおしゃべりでもしてるのかな?。
すると、たくさん学生がいる中、ある高校の制服に身を包んだ男の人と女の人の姿が目に留まった。
(あ……、あの制服ってゼウス高校の……)
たぶん恋人同士だろう二人の姿を目で追ってしまうのは、その制服のせい。
遠目から見ても上質な布地を使っていると分かるそれは超名門私学と名高いゼウス学園高等学校のもので、こういう言い方は好きじゃないけど、他の高校とは一線を画していると言われているのも頷けてしまった。
「……もうすぐだな」
「! 何が?」
ぼんやりとゼウス高校の制服を目で追っていたら、突然の虎君の声。僕はハッと我に返って虎君に向き直る。
すると虎君は瞳を伏せて笑い、「受験」と小さく呟いた。
「あ、うん。そうだね」
「受験勉強は順調?」
「順調だよ。って、虎君知ってるでしょ!」
僕に勉強を教えてくれているのは他でもなく虎君なんだから。
そう笑えば、虎君は分からないことが出てきたらすぐに聞くようにって先生口調。だから僕も「はーい」って生徒っぽくおどけて見せた。
「あと三か月頑張ったら、葵もゼウス高校の生徒だよ」
「! 気づいてた?」
「そりゃ、羨ましそうに見てたから」
俺じゃなくても気づくよ。
笑う虎君にちょっと恥ずかしくなる。
そう。僕はこの冬、高校受験を控えてるんだけど、その志望校はあの人たちが制服を着ているゼウス高校。
超名門私立と言われるだけあって偏差値はトップクラスの超難関高校だから、僕は毎日毎日必死に勉強してる。虎君に教えてもらいながら。
ゼウス高校出身でゼウス学園大学に通う姉さんとゼウス学園中等部に通う茂斗はそんなに必死ならなくても大丈夫だって言ってくれるけど、二人と違って才能のない僕は努力しないとだめだから、本当に毎日必死。
勿論毎日頑張っている理由はゼウス高校に通いたいからっていうのが一番だけど、でも、僕が必死になってる理由はそれだけじゃない。
「出戻り受験で失敗なんてしたら、お祖父ちゃんに怒られちゃうしね」
笑い方が苦笑いに近くなってしまうのは仕方ない。
僕は幼稚舎から小学校まで双子の片割れと一緒にゼウス大学付属のそれに通っていた。ゼウス学園は基本的にエスカレーター式で経済的な理由がない限りほとんどの生徒は学園外に進学することはほとんどないって言われてる。
でも、僕は中学に進学する時に学園外に出ることを選んだ。経済的な理由ではなかったから、周りからはどうしてだと理由を聞かれ、止めた方がいいと説得もされた。それは友人家族だけじゃなくて、先生達も顔を合わせるたびに僕を止めようとしていたっけ。
けど僕は周囲の反対を押し切って外部進学を決めた。まぁ外部進学とは言いつつ進学先はゼウス学園の兄弟校である聖クライスト学園中等部だから完全な外部進学とは違うんだけど、でも周囲の心配を無下にしたことには変わりない。
そうやって僕は3年前に一度ゼウス学園から離れたんだけど、3年経った今、高校進学を機にゼウス学園に戻ろうとしている。それがどういうことなのか分からない程世間知らずじゃない。
過去自分が無下にした友達との再会とか色々不安はあるけど、それ以上に不安なものが『受験』そのもの。内部進学とは比べ物にならない難易度の入試にもう一度挑まなければならないのだから……。
(でも、選んだのは僕なんだから、頑張らないとっ!)
ゼウス学園の入試にもう一度挑むなんて外部進学したことを後悔したんじゃないかと茂斗に聞かれたことがある。
確かに、受験勉強はすごくハードだし、受験までの三か月は体調管理とか気を付けないといけない事がいっぱいあって気疲れするけど、でも、後悔したことは一度もない。全部自分で考えて、選んで、そして結論を出したことだから。
「茂さん達はいいのか?」
「んー、父さんは怒らない気がするから平気。……母さんは微妙だけど」
怖いのはお祖父ちゃんだけだと言う僕に、虎君は僕の父さんと母さんは怒らないのかと聞いてくる。
その言葉に思い返すのは父さんと母さんの事。思い返して父さんは僕が精一杯頑張った結果だったら怒らない気がしたし、母さんは怒るか一緒に悲しんでくれるかのどっちかだと思ったかららその通り答えた。
そしたら虎君は意外そうな顔をする。
「どうしたの?」
「いや、茂さんってめちゃくちゃ厳しいイメージがあったからつい」
「えぇ? そうかな?」
苦笑する虎君の言葉に今度は僕がびっくりする。確かに父さんは厳しいけど、でもそれは『仕事』に対してだけで家では全然そんなことないから。むしろ穏やかで優しくて頼りになって密かに自慢の父親だったりする。
まぁ、口に出せばファザコンだって馬鹿にされることが分かってるから他の人に言ったことはないんだけど!
「そうだよ。ほら、茂斗とかよく怒られてただろ?」
「ああ、あれは仕方ないよ。茂斗はMITANIの跡取りだからね」
確かに虎君の言った通り、僕や姉さんに比べて茂斗は父さんに怒られることが多い。でも、それは茂斗が父さんの仕事の跡取りとして期待されているから。
父さんは世界で上位五社に入る大企業MITANIの社長で、何百、何千もの従業員を抱える経営者。お祖父ちゃんがそうだったように父さんもゆくゆくは我が子に会社を継いでほしいと思っていて、茂斗の事は後継者としても見ているから僕達他の兄弟よりも厳しく接することもある。ただそれだけ。
「僕は父さんに怒らてたこと殆どないよ。たぶん怒られた回数は15年間で片手で足りるんじゃないかな?」
「……確かに葵が茂さんに怒られてるところは見たことないな」
「でしょ?」
記憶を辿っているのか、考え込む虎君。
僕はその姿に笑いながらちょっと冷めたココアに口を付け、「でもその代わり母さんからはいっぱい怒られてるけどね」と恥ずかしそうに笑った。
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