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特別な人 第38話

 陽琥さんを待たせてるからって言って姉さんは笑顔でリビングから出て行ってしまった。僕は虎君の隣でそれを見送ったものの、虎君は嫌じゃないのかな? って考えてしまう。  僕だったら、自分のいない時に女の子が部屋に入るなんてちょっと嫌だって思っちゃうから。たとえそれが気心知れた幼馴染でも、嫌なものは嫌だった。 「……虎君は行かなくてよかったの?」 「え? だって葵、もう寝るだろ?」  尋ねたら、尋ね返された。着替え取りに家に戻ってたらその分寝るの遅くなるぞ? って。  その言葉に、僕がお願いしなくても虎君は一緒に寝てくれるつもりなんだって分かって嬉しくなる。 「虎君が帰ってくるまでなら頑張って待つよ?」 「強がってもすぐ嘘だってバレるぞ? 葵、今自分がどんな顔してるか分かってる?」  だから一緒に行っていいよってつもりで言ったんだけど、虎君は僕のほっぺたに手を添えると、 「今すぐにでも寝たいって顔してる」  って目尻を下げて笑って見せた。  お風呂上りで温まっている僕の身体。だから、顔も同じように熱い。火照ったほっぺたに虎君の手は冷たくて、気持ちよかった。  僕は虎君の掌に顔を預ける様に摺り寄せると、そのまま目を閉じて僕を誘う眠気に意識を傾けた。 「眠い?」 「うん……」  聞こえる笑い声。でも、目を開けることがもうできない。  このまま寝そうな僕に虎君は「もうちょっと頑張れ」って肩を抱いて歩き出す。  はっきりしない視界で歩くのは凄く危ないって分かってる。けど今は全然怖くない。だって虎君が傍にいてくれるから。 「葵、もう寝るの? ご飯食べてないでしょ?」 「明日食べる……」  半分寝そうになりながら歩く僕に届く母さんの声。そういえば僕、夕飯食べてなかったっけ。  でも、外で食事してきたのにわざわざ僕達の為に夕飯を用意してくれた母さんには申し訳ないけど、おなかは全然空いてなかった。  僕は重い瞼を持ち上げてぼんやりする視界に母さんを探す。そしたら、その顔があまりにも眠そうだったからか、母さんは「早く寝なさい」って笑い声を返してきた。 「うん……。おやすみ……」  僕は虎君の傍から離れてふらふらと母さんのもとに歩くと、その頬っぺたにちゅっとキスをする。母さんもいい夢を見てねってキスを返してくれて、そのままぎゅっと抱きしめてくれる。  お風呂上がりだからか母さんは良い匂い。眠くて回らない頭ながらも、ふわふわの毛布にくるまれてるみたいに心地よくて、やっぱり母さんは僕の母さんなんだなって思った。 「ちゃいにぃ、めのうもー!」 「んー。めのう、おやすみ」 「おやすみなさーい!」  ズボンを引っ張るめのうに、僕は母さんから身体を放して身を屈める。母さんにしたようにめのうのふにふにのほっぺたにチュッとキスすれば、母さんよりも唇寄りにキスを返してくる妹。  小さな体をぎゅっと抱きしめてやれば、めのうは幼いながらもぎゅーって抱きしめ返してきて、愛しい。  背中をポンポンって叩いてめのうも早く寝る様に促すのは妹がまだ小学生にもなっていないせい。返ってくるのは元気な声と頷きで、僕はそのままめのうから離れて目をこする、 「父さん……」 「分かった分かった」  そろそろ限界だよぉ……。って唸りながらも父さんを呼んだら、父さんは僕の額にチュッとキスを落としてくれる。「おやすみ」って安心できる声と一緒に。  僕は最後に父さんに抱き着いて、「おやすみなさい」って締まりない顔で笑う。 「虎、葵の事頼んだぞ」 「もちろん。……ほら、葵、行こうな?」  父さんに抱き着いて眠りに落ちそうな僕の肩に虎君の手が添えられて、僕はその手に抗うこともせず虎君の腕の中に戻ると何度も何度も目をこすった。気を抜くと今にも寝てしまいそうで。 「こら、そんなに擦るなよ。目が傷つくぞ」 「だって寝そうなんだもん……」 「分かったから、もう部屋行こうな?」  眠いと人は子どもに戻るのかもしれない。僕は赤ちゃんみたいに眠いとぐずって虎君にしがみつく。  虎君はそんな僕に笑いながら、部屋へと僕を促してくれる。  壁にぶつからないようにとか、階段を踏み外さないようにとか、至れり尽くせりで僕の面倒を見てくれる虎君は本当に優しい。 「ほら、葵。部屋着いたぞ」 「ベッドぉ……」 「はいはい。ちょっと我慢な」  僕の目はもう完全に閉じていた。だから部屋についても、ベッドに辿り着けない。  ベッドに連れてってと虎君にお願いしたら、また聞こえる笑い声。でも、笑いながらも虎君は僕を抱き上げてベッドに寝かせてくれる。 「おやすみ、葵」 「おやすみ、虎君……」  頭を撫でてくれる虎君の息遣いを間近に感じる。だから僕は虎君に抱き着いて、その頬っぺたに『ありがとう』って意味を込めてキスを贈るんだ。

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