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特別な人 第44話

 大事な時間を確保するために急いで着替えないと。  そう思って僕が向かうのは自分の部屋。でも部屋の前まで来たのに、ドアノブを回すことができない。  今は朝だし、明るいし、下にはみんないるし、何も怖いと思うことはないはず。  それなのにドアノブに伸ばした手は目で見てわかる程震えていて、思わず震える手を引いて握り締めた。 「大丈夫っ、大丈夫……」  深呼吸してるつもりだけど、息は浅い。  自分に言い聞かせるように何度も『大丈夫』って繰り返すけど、全力疾走した時みたいに心臓がドキドキして、痛かった。 (早く着替えて準備しないとダメなのにっ)  このドアの向こうに広がるのは、自分の部屋。陽琥さんが調べてくれたから、誰にも見張られてないって分かってる。  それなのに、なんで僕はこのドアを開くことができないんだろう……。  自分が情けなくて目頭が熱くなる。それでも泣くのは何とか耐えれたけど、このままだと学校に行けないから困った。 (だ、誰か呼んでこよ……)  自分の部屋に入るだけなのに、一人で入れないなんて言ったらきっと茂斗は『子供かよ』って呆れたように笑うだろう。  その口調と表情は容易に想像できて、思い浮かべるだけでもちょっと腹が立つ。でも、それでも一人で入るよりは全然マシだから茂斗を呼んで来ようと僕はもう一度リビングに戻ることにした。  善は急げと踵を返した僕だけど、振り返るや否や僕は誰かにぶつかった。 「っ、ごめんなさいっ、……って、虎君?」 「大丈夫か?」  思いっきり鼻をぶつけてしまったから鼻血がでてないか心配になる。  僕は鼻を擦りながらも顔を上げて相手が虎君だと再確認。何でここにいるの? って聞きたかったけど、僕が尋ねるよりも先に虎君は僕の顔を覗き込んできて、質問はできなかった。 「へ、平気。ちょっと痛いけど……。鼻血、出てない?」 「大丈夫。ちょっと赤くなってるけど」  手を退けてって僕の手を握る虎君。僕の手を握った反対の手で赤くなっているだろう鼻の頭に触れてくる虎君は、「いつも通り可愛いよ」って笑う。  その悪戯な笑顔に僕は頬っぺたを膨らませて不満を訴える。それは誉め言葉じゃないよ! って。 「ごめんごめん。……制服と教科書、取りに入ろう? もう7時だし急がないと喋る時間が無くなるしな」  虎君が見せるのは、いつもと変わらない優しい笑顔。  僅かに首を傾げて僕を促してくれる腕は、僕の身体を支えてくれる。『傍にいるよ』って言われてるみたいで、自分でもびっくりするぐらい安心できた。 「……もしかして、心配してきてくれたの?」  さっきは回すことができなかったドアノブ。でも今はすんなりとドアを開くことができた。  目の前に広がるのは見慣れた空間。所々散らかっているのは陽琥さんが僕の安全を確認してくれた時のものかな。  一人では入ることのできなかった部屋。きっと、茂斗についてきてもらってもこんな落ち着いてはいられなかったと思う。  隣にいてくれる虎君を見上げたら、虎君は何も言わずただ笑ってた。 (優しいな……虎君……)  非の打ち所がない人ってきっと虎君みたいな人のことを言うんだろうな。本当、欠点が一つも見つからないんだもん。 「制服はクローゼット? 教科書は?」 「教科書は机の上だと思う。制服はクローゼットであってるよ」  僕がこれ以上部屋に入れないと分かってるみたいに虎君は「ここで待ってて」って言葉を残して僕の代わりに制服と教科書を探してくれた。 「とりあえず、今は制服と教科書だけでいいよな? 残りは週末に移動させような」 「ありがとう、虎君」  制服と教科書を手に戻ってくる虎君。受け取ろうと手を伸ばしたら、とりあえず部屋を出ようって言われた。  こうやって僕の事を一番に考えてくれる虎君に、僕の心は何度も救われてる気がした。  促されるまま部屋を出る僕に続いて虎君はドアを閉め、荷物を片手に纏めると僕の手を握って歩き出す。 「ねぇ、虎君。あの―――」 「後5分」 「え……? 何が?」  僕が口を開いたら、それに被せる様に口を開く虎君。 (何が『後5分』なんだろう?)  言葉の意味が分からず虎君を見たら「10分には家出るから、急げよ」って笑顔が返ってくる。 「いつもより短いけど、それでも10分は喋れるから」 「! うんっ、急ぐね!」  虎君は僕を部屋に連れてくるとベッドに制服と教科書を置いて部屋を出て行ってしまう。すぐ出れる準備しとくって言って。  僕が大事にしてる時間が無くならないようにちゃんと考えてくれてる虎君は、やっぱり最高の『お兄ちゃん』だ!

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