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特別な人 第65話
「ほら、いつまでも膨れっ面してないで迎えが来るまで横になってなさい」
「だから、吐いた後始末しないと――――」
「三谷君、君は病人なんだ。そんな心配はしなくていいから先生の言うことを聞きなさい」
さっき僕が言ったこと聞いてました?!
そう凄むんだけど、斗弛弥さんは『先生』の顔に戻ってしまう。いつものように僕をからかうためかと一瞬疑ったけど、斗弛弥さんは携帯をポケットにしまうとみんなに見せる顔で笑って見せた。
普段は名前で呼んでくる斗弛弥さんが僕を『三谷』って呼ぶのは仕事モードの時だけ。つまり、プライベートのお喋りは今日はおしまいってことだ。
「でも、他人の吐いたものなんて誰も掃除したがりませんよ」
「それでも、病人を働かせるわけにはいかないな。医師としても教師としても」
「僕は『病人』じゃないです。殴られただけです」
そう斗弛弥さん―――先生に食って掛かるけど、ベッドで横になるよう言われてしまう。脳震盪を甘く見るんじゃない。って。
きっと吐いてしまったからこんなに心配されているんだろうことは分かる。でも、吐いた原因は脳震盪とは無関係。
僕は「でも」って食い下がったんだけど、先生は「30分後には迎えが来るから」って言葉を残して保健室を出て行ってしまった。
(行っちゃった……)
追いかけた方がいいか迷ったけど、仕事モードになった斗弛弥さんの言うことを聞かないということは教師の言うことを聞かないってことになってしまうから、僕は渋々ながらも保健室に留まった。
主のいなくなった空間はシンと静まり返っていて、少し落ち着かない。
僕は無意識に自分の身体を抱きしめる様に手に力を込めていて、やっぱり怖かったんだなって自分のことなのに何処か他人事のように感じた。
とその時、制服のポケットに入れておいた携帯が震えて、メールが届いたことを教えてくれる。
僕は携帯を取り出しながら、相手はきっと虎君のような気がした。
「やっぱり虎君だ」
ディスプレイに表示された名前を見て、緊張が解ける。
この場に虎君がいるわけじゃないけど、でも何故か安心する。虎君がいてくれるって思うだけで……。
やっぱり大事な『お兄ちゃん』の存在は大きいんだなって実感しながら届いたメッセージを確認したら、そこには僕を心配する言葉と『すぐ迎えに行くから』って言葉が。
そこで漸く先生が言った『30分後に来る迎え』が誰のことか分かった。
でも、分かってちょっと心配になる。だって今日は大学の講義が詰まってる日だから。
(いつもなら夕方まで授業なのに、僕の事迎えに来て大丈夫なのかな……)
学費を払ってるのは親だし、負担してもらってるからにはちゃんと結果を出したい。
そう言ってた虎君はとても真面目で勉強熱心。そのおかげか、通ってる超名門の難関大学であるゼウス学園大学での評価は常に最高の『A』を貰ってて、望めばなんにでもなれるって偉い人達からもお墨付きをもらってるぐらいだ。
そんな虎君だから、一日二日で勉強についていけなくなるとは思わない。
でも、それもやっぱり心配。本当、虎君に迷惑かけてばかりで自分が嫌になる。
(けど一番嫌なのはそれを喜んでる自分なんだけど)
虎君が気にかけてくれる、心配してくれる。
それを申し訳ないって思わないとダメなのに、本心では喜んでる自分がいて、むしろもっと心配して欲しいって強欲なことを考えてる。
自分がこんなに自己中心的な考えだと思いたくないから普段は見ないふりをしてるけど、でも、こういう時に痛感してしまう。虎君の優しさに僕はつけこんでる。って。
(甘えちゃダメだってことは分かってるんだけどなぁ……)
いずれ、……虎君に大切な人ができたら、その時は僕の我儘から解放してあげないといけない。ずっと一緒にいられないことだって、理解してる。
でも、分かってても、もうちょっとだけ待って欲しい。僕がもう少し大人になるまで、虎君の時間を僕に分けて欲しい……。
(って、これじゃなんだか『恋』してるみたいだよね)
携帯を握り締め、笑う。
僕が女の子だったら、これは『恋』と呼ばれる感情になるのだろう。そう、僕が女の子なら。
でも僕は男だし、『恋』にはならない。だって僕がいくら虎君の事を『大好き』だと言ったところで、周りは『家族』だからだって笑うだろうから。
(まぁ本当に『家族』だからなんだけど)
だって『恋』をしたらその人の事が欲しくなるものでしょ?
茂斗が言ってたもん。凪ちゃんの事が好きで好きでどうしようもない。って。凪ちゃんが自分以外の人を好きになるなんて『もしも』でも想像もしたくない。って。
相手が好きだから、全部が欲しくなる。それが『恋』。それが、誰かを『好き』になる事。
だから、僕が虎君に抱く想いは全然違うって分かる。
僕は虎君に彼女ができる日が来ることをちゃんと理解してる。そしてその日が来たら、ちゃんと虎君が好きになった人に『虎君をお願いします!』って伝えたいって思ってる。
(ただその日はまだ来てほしくないってだけ。もう少し僕の『お兄ちゃん』でいて欲しいだけ)
まぁ、我儘な『弟』を持ってしまった虎君には同情するけどね。
僕は面倒な自分の感情に笑いながらも握り締めた携帯に『早く来てね』って願いを込めて虎君からのメッセージに返信した。
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