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特別な人 第106話

「な、何も泣くことないだろ……?」 「お前さ、学力はついても全然成長してないのな。そこまで頭の中お花畑だと色々通り越していっそ羨ましいわ」 「どういう意味だよ、それ」 「自分の価値観でしか物事語れない癖に他人を批判するとかその図太さがすげぇって言ってんだよ」  声は朗らかだけど、茂斗が凄く怒ってるって此処にいる全員が分かった。  これはきっと僕が泣き出したせいだって思ったから、僕はまだ涙が止まらないながらも茂斗を宥めようと思った。このままだと二人が喧嘩しちゃいそうだったから。  でも、僕は二人のやり取りに口を出すことができなかった。虎君が何故か僕を強く抱きしめてきたから。 「なんだとっ?! もう一回言ってみろ!!」 「『自分の価値観でしか物事語れない癖に他人を批判するとかその図太さがすげぇっ』」 「何綺麗に言い直してんだよっ!!」 「お前がもう一回言えって言ったんだろうが。数秒前の自分の発言も覚えてねぇの? 頭、大丈夫か?」 「茂斗、おまえっ……!!」  ああ、ほら。馬鹿にされて瑛大まで怒り出しちゃった……。  二人の雰囲気に、僕は殴り合いの喧嘩で済めばいいけど仲違いしちゃったらどうしようって気が気じゃなかった。 「瑛大さ、お前は自分が信頼してた相手に裏切られた痛みとか知らねぇーんだろ? だから自分が一番安心できる場所が無くなった恐怖がどんなものかとか、全然理解できねぇーよな? 想像もできねーんだし」 「な、んだよ、それ」 「言葉通りの意味だよ。……『自分の部屋』っていう一番安心できる場所で信頼してた相手に裏切られた葵の気持ちなんてお前には1ミリも理解できないんだよ。男とか女とか子供とか大人とかそんな括りでしか物事考えられないんだからな」  憐れむような茂斗の声に、瑛大が気圧されて息を呑んだ音がする。 「変わる気ないなら警官になる夢、諦めた方が良いぞ。お前のその一方的な物事の見方は被害者の傷口抉るだけだし」 「! なんでお前にそこまで言われなくちゃいけないんだ!!」 「怒鳴んなよ。お前が今葵に対して向けた言動はそうだって言ってんだよ」  昔から困った人を助けるヒーローみたいな警官になりたいって言ってた瑛大。その夢は今も変わってないみたいで、茂斗の言葉に声を荒げて怒りを露わにする。  僕はいつ殴り合いの喧嘩に発展するかハラハラしながらも、忘れようとしてるのに思い出す西さんの姿に虎君の上着を握り締めた。 「今回の事はお前にはなんてことない事かもしれない。でも、葵にはどうしようもないぐらい怖い事だった。たったそれだけの事だろうが。なんで『怖がり過ぎ』って言えるんだよ」 「! そ、それは……」  普段と変わらない声色で淡々と瑛大を諭す茂斗。冷静さを保った物言いは感情的な言い方よりもずっと心に響いたのか、瑛大は怒りを鎮火させて言葉を小さく口ごもる。  僕は喧嘩にならなくてよかったと思いながらも予想外だった茂斗の優しさにまた目頭が熱くなった。 「し、シゲちゃん、大丈夫……?」 「! 凪! どうしたんだ?」 「えっと、全然降りてこないから、どうしたのかなって思って……。あの、マモちゃんどうしたの……?」  突然聞こえる凪ちゃんの声に、茂斗の声のトーンが全く別のモノに変わる。普段は全然気にしてなかったけど、その声が凄く慈しみと愛しさが滲んでてびっくりした。  僕達を呼びに行ったきり降りてこない茂斗を呼びに来たと言う凪ちゃんは、僕の様子に戸惑いの声を零す。  凪ちゃんに心配をかけちゃうって焦るも、虎君はまだ離してくれなくて……。 「待たせてごめんね、凪ちゃん。すぐに行くから」 「あ……、でも……」  凪ちゃんを怖がらせないように穏やかな声を掛ける虎君だけど、凪ちゃんが返すのは戸惑い。  また茂斗が怒るんじゃないかな……って心配するけど、今の茂斗は普段の茂斗とはちょっと違って……。 「葵、運動不足が祟って眠いんだってさ。だから凪は心配しなくても大丈夫だから」 「そうなの……? マモちゃん、眠いなら無理しないで眠っててね……?」  僕を、ううん。瑛大を庇ってくれる茂斗。  凪ちゃんは茂斗の言葉を素直に信じて、夕食は残しておくから目が覚めたら食べてねって言ってくれる。  二人の優しさに僕は虎君の胸に顔を埋めたまま、くぐもった声でだけど「ありがとう」って言葉を返した。 「茂斗、瑛大。そういうことだから俺と葵は目が覚めてから食べるって樹里斗さんに伝えてくれるか?」 「了解」 「……分かった……」  遠ざかるのは三つ分の足音。  階段を降りて遠ざかるその音に、僕は漸く顔を上げることができた。 「……よかった。涙、止まってた」  僕を見下ろす虎君は安心したように笑ってくれる。まだ泣いてたらヤバかった。って。 「ごめんね、虎君。迷惑ばっかりかけて……」 「迷惑なわけないだろ? ……むしろ俺の方こそごめんな? 息苦しかっただろ?」  顔を見ないようにするためにはこうするしかなかったって苦笑する虎君。  僕はその言葉に虎君は僕の泣き顔が苦手なんだって初めて知ってしまった。

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