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特別な人 第189話

 祝日の朝だからか駅までの道に人の姿は全然なくて、まだ瞼が腫れている僕はちょっとだけ安心する。  急いで家を出たせいか手袋を忘れてしまって袖に隠せない指先が悴んで早くも感覚がなくなってきたから、吐息で何とか暖をとる僕。すると目の前にカイロが飛び込んできて、ビックリした。 「手袋、僕達が急かしたから忘れたんだよね? 急かしてごめんね?」 「ううん。僕がボーっとしてただけだから……。でも、いいの? 朋喜って寒がりだよね?」 「大丈夫! 後2つあるし!」  寒がりの朋喜からカイロを貰うなんて……って遠慮を見せたら、朋喜は可愛い笑顔でコートの左右のポケットからカイロをそれぞれ一つずつ取り出して見せてきた。  3つもカイロを持っていたことに正直驚いたけど、「だから遠慮しないで!」って笑いかけられたらそんな些細な事はどうでも良くなる。 (みんな本当に友達想いだよね。僕のためにこんな早朝に寮からわざわざ家に来てくれただけでも嬉しいのに、そのうえこんなに僕のことを気にしてくれてるなんて……)  3人はかけがえのない友達だと改めて思う。だから、昨日の夜から初めて自然と笑うことができた気がする。 「さ、早く行こう? 葵君と一緒にクリスマスをお祝いできるなんて、僕、すごく楽しみなんだから!」 「ありがとう、朋喜。僕も楽しみだよ」  無邪気に喜んでくれる朋喜に笑い返したものの、ツキリと胸が痛んだ。『今年のクリスマスはもう虎君と一緒に過ごせないんだ』なんて考えてしまったからだ。  あんなにハッキリと失恋したくせに、僕って本当、往生際が悪すぎる。 (来年の今頃は心から笑って家に居られるかな……)  虎君への想いを昇華することができれば、きっと大丈夫。でも問題は、想いを昇華できるかどうか、だ。  だって僕にとっての『虎君』は代わりなんて絶対にいないから。  代わりがいないってことは、それだけ『特別』だということ。  つまり、唯一無二の人だということ……。  たとえこの先僕が誰を好きになっても、きっと虎君は僕の心に居続けるだろう……。 (我ながら嫌な未来だな……)  失恋したばかりだから気持ちが落ちてるだけかもしれない。  一年後の今頃には案外ケロッとしてるかもしれない。  でも、以前のように笑うために僕はまだまだ泣かなければならないと思う。平気になるために、想いを胸に抱いたまま笑うために、沢山泣かなければならない。と……。 (こんなに、こんなに好きなのに……大好きなのに……)  思い出すのは虎君の笑顔。そして、さっき家を出る前に見た、辛そうな表情……。  明確な原因も分からず、癇癪を起した幼馴染を前に随分戸惑っただろう。  でも、それでも優しい虎君はきっと僕を傷つけたと自分を責めているだろう。  僕はそんな虎君を想うと胸が張り裂けそうになる。虎君の心は、姉さんのものだと知っているのに……。 「マモ、前見て歩かないと電柱にぶつかるぞ」 「! そ、そうだね」  突然耳に届いたクリアな音に顔を上げたら、あと数歩で僕は電信柱に激突するところだった。  下を向いていたつもりはなかったと空笑いを浮かべて電信柱を避けていつの間にか前を歩く3人を追いかけるように駆けよれば、悠栖は当てつけのように大きなため息を吐いて見せた。 「なぁ、やっぱり一発殴りに戻っていいか?」 「気持ちは分かるけど、我慢しなよ。俺だって思い切り罵倒して金輪際『兄貴面』できないようにしてやりたいのを抑えたんだから」 「でも―――」 「悠栖! あの人を殴っても葵君は喜ばないよ? それとも、葵君をこれ以上苦しめたいの?」 「! そんなわけねぇーだろ! 俺はマモを苦しめる気なんてねぇーよ!! でも、でもマモがこんな弱るぐらい傷つけた奴を許す気になれねぇーよ!!」  思い切り殴って、蹴って、ボコボコにしてやりたい。  暴力的な言葉を使って虎君への怒りを露わにする悠栖。  慶史はそんな悠栖を一度止めただけで、後は口を噤んで能面のように表情のない顔を見せていて怖い。  悠栖を止めるのは朋喜に任せたってことなのかもしれないけど、悠栖は朋喜の言葉に怒りを爆発させてしまって収拾がつかない状態だ。 「ゆ、悠栖、落ち着いて……。まだ朝早いし、近所迷惑になるし……」 「そうだよ。葵君もこう言ってるし、今は大人しく寮に戻るよ」 「っ、分かったよっ」  全然納得できてない顔で言葉を吐き捨てる悠栖は踵を返して歩き出す。  僕はその背中を追いかけながら、いつも楽天的で滅多に怒ったりしない悠栖がこんなに怒りを露わにするなんて珍しいどころの騒ぎじゃないと思った。  思って、僕の隣を歩く朋喜が「悠栖ってば本当に葵君が大好きなんだから」と苦笑いを見せてきた。 「まぁでも葵君への愛情なら僕も負けてないと思うけどね?」 「朋喜……」 「大丈夫だよ、葵君。僕達がついてるからね?」  頼りないかもしれないけど、こういう時は友達なんだから頼ってね?  そう微笑んで僕の手を握る朋喜に、僕は思わず泣きそうになった。

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