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特別な人 第211話

「なんだ? これ、どういう状況なんだ?」 「あのさ、ちょっとは空気読んでくれません?今全然そういう雰囲気じゃないですよね?」 「空気とか雰囲気とかよりも俺は此処の安全の方が大事なんだよ」  様子から察するに、自分が三谷の兄貴だと思ってた思ってた奴は兄貴じゃないみたいだしな。  そう言った寮父さんの声はさっきまでの朗らかさなどまるで無くて、緊張感を覚えさせる。明らかに虎君を警戒しているようだった。  でもそれは当然かもしれない。寮の安全を任されている寮父さんからすれば、僕の兄弟じゃない虎君は危険人物になりかねないのだから。  僕は、寮父さんに虎君は怪しい人じゃないって説明しないとって思った。  でも、気持ちとは裏腹にぐちゃぐちゃな心はまともに言葉を紡がせてはくれなかった。 「すみません、俺は葵の幼馴染で兄のようなものだったので、ついそうだと言ってしまいました」 「幼馴染の兄貴ねぇ……。それにしちゃ、三谷、大泣きしてるみたいだけど?」 「! それは……」  警戒を解くことのない寮父さんの問いかけに、虎君は言葉を返せず黙り込んでしまった。すると、珍しく慶史が虎君のフォローに回ってくれて……。 「その質問、プライバシーの侵害じゃないですか? 寮父だからって人のプライベートにずかずか立ち入り過ぎ」 「だから、何度も言わせんな。俺にとって重要なのは三谷のプライバシーじゃなくて寮の安全なんだよ」  詮索されたくなけりゃ此処から出て行け。  それは正論すぎて反論の余地がない言葉だ。  僕は必死に気持ちを落ち着かせて、何とか寮父さんに説明しようと試みる。が、抑えようと思えば思うほど嗚咽は酷くなって、涙は全然止まってくれない。  このままだと虎君が不審者だと言われて追い返されてしまう。  そう焦るものの、虎君と話したくない僕にとってはその方が都合がいいと気が付いた。  ほんの一瞬、このまま黙っていようかと考えてしまう卑しい自分。  ただ僕のことを心配してわざわざ寮まで来てくれた大好きな人に、それはあまりにも酷い態度だ。  でも、それでも迷ってしまう。このまま虎君の口から残酷な現実を突きつけられるぐらいなら……。と。 「反論は無し、か。なら話は終わりだ。部外者は帰ってくれ」 「! ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」 「待つ義理はねぇ。今となっちゃお前が三谷の『幼馴染』かどうかも怪しいもんだ。このクソ忙しい時期にこれ以上の面倒事はごめんなんだよ、俺は」  寮父さんはそう言うと虎君の腕を掴んで僕から引き離す。  泣きじゃくっていた僕はそれを止めることもせず、ずっと自分を守ることばかり考えていた。 「っ、葵! 話をっ、話をさせてくれっ!」  悲痛なその声は僕の良心を抉ってくる。  でも、それでも僕は動けなかった……。 「ちょっと待ってください」 「! しつこいぞ、藤原」  虎君の痛ましい声に耳を塞ぎたかった僕の耳に届くのは、慶史の声。  慶史は僕の隣に立つと、逃げてばかりの僕の腕を掴んでそのまま引っ張り起こしてきた。 「け、いし……?」 「話、してきなって俺言ったよね?」  戸惑う僕に向けられた眼差しは揺らぐことなく真面目なもの。  そして次の瞬間、慶史は僕の手を掴んだまま虎君と寮父さんの方へと歩き出した。  突然だったこともあり、引っ張られるがまま歩いてしまう僕。  そして慶史は虎君の前で立ち止まると、僕の手を掴んでいた手を虎君に向かって差し出した。 「藤原……」 「ちゃんと話、してやってください」 「! ああ、分かった……」  凄む慶史の勢いに呑まれいてた僕を我に返らせるのは、大好きな人のぬくもり。  虎君は慶史が差し出した僕の手を掴むと、そのまま強引に手を引いて歩き出した。  僕は「嫌だ」と、「放して」と抗ったが、聞き入れられることはなかった……。  助けを求めるように後ろを振り返ったら、笑顔で手を振り僕を送り出す慶史と、複雑な面持ちで僕達を見送る寮父さんの姿が目に入る。 「いいのか?」 「いいんです。逃げても状況が悪くなるだけだし」 「随分荒治療だな。まぁここで揉め事起こされなきゃ俺は何でもいいけどな」  二人がそんなやり取りをしているのを聞いたとほぼ同時にバタンと閉まる寮のドア。  どうやら今度こそ僕は目を背け続けた真実と向き合わなくてはならないようだ。

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