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My Everlasting Dear... 第2話
(随分懐かしい夢、だな……)
カーテンの隙間から差し込む朝日と聞こえる小鳥の囀り。
絵に描いたような爽やかな朝の訪れに、薄暗さの残る部屋の中でベッドに横たわる青年――虎はまだ少しぼんやりする頭でつい先ほどまで見ていた夢の内容を思い返していた。
幼い頃の記憶を基にした夢を見るのはこれが初めてではなく、細部は違えど、もう何度も何度も繰り返し見てきたものだから特に驚きは覚えない。だが、今日ほど鮮明で記憶に忠実なものは久しぶりだったから、いつもより現実に戻ってくるのが遅くなってしまった。
虎は横になったまま頭上に置いた携帯へと手を伸ばすと時刻を確認する。
(五時半。……せめて後三〇分はこうしてるか)
初夏に差し掛かるこの時期は早朝の時刻を見誤りがち。以前、いつも通りの時間だと思って起床したが、実はまだ夜が明けて間もない時間だったということがあった。早朝だと気づかず普段と同じように階下に降りた虎を待っていたのは、今もこうやって思い出す罪悪感を覚える出来事だ。
当時この屋敷に住み込みで働いていたお手伝いの女性は予想外に早く起床した虎の姿に目に見えて青ざめ、彼女は既に朝食の準備を進めていたにも関わらず慌てふためき、『主を待たせている』というプレッシャーに、らしからぬミスを連発した。
そのどれもが大したミスではなかったものの、自らの仕事に誇りを持って従事していた彼女にとっては屋敷を去る切欠になるには十分な出来事だった。この屋敷で住み込みのお手伝いさんが年単位で続いたのは彼女が初めてで、彼女が仕事を辞めると決まった時は全員がそれを惜しんだものだ。
引き留める言葉に頭を下げて玄関を後にした彼女の背中を見送る事しかできなかった虎に、第二の両親は『気にするな』と言ってくれた。だが、その後彼女のようなお手伝いさんに恵まれることはなくて、数ヶ月、数週間、酷い時は数日で居なくなるお手伝いさんを見てきたから、虎にとってはある種のトラウマになってしまったのだ。
(アレがなけりゃ今もまだお手伝いさんは葉月さんのままだったかもって考えると、やっぱりへこむな……。葉月さんには葵も懐いてたし、何より葵が危険に晒される心配もしなくてよかったし……)
寝返りをうつと虎は目を閉じ、有能なお手伝いだった『葉月』を思い出そうとしてみた。だが、薄情だと思いながらも顔は全く思い出せず、呼び出される記憶は葉月に懐いて笑う幼馴染の葵の笑顔だけだった。
虎は、分かっていたことだが自分の記憶力の偏り具合に薄く笑う。物心ついてから必要だと認識している記憶は全て残っていると自負できるが、その『必要』と認識されている記憶は学と教養を除けばたった一人に集約されるから。
「あー……、まいった……。幸せだ……」
記憶と共に先の夢を思い出す虎は寝ころんだまま頭を抱え、喉奥から声を絞り出す。
いつ誰の耳に入るか分からないから極力口に出すことを控えていた感情は、早朝の自室という空間に気が緩んだのか零れてしまって、自分の言葉を聞いた脳は更に深く幸福に浸らせてくれた。
虎は深く息を吐くと、早く時間が過ぎないかと『朝』を心待ちにした。
*
囀る小鳥の鳴き声に廊下を歩く足音が混じったのは、虎が目を覚ましてから一時間程経過した頃だった。聞き取ることはできないが話し声も聞こえたから、おそらく第二の両親と慕う二人が起床したのだろう。
いい加減時間を潰す手段が尽きそうだった虎は、そろそろ自分も階下に降りても大丈夫だろうとベッドから降りることにした。
「うぅ――……、今日も随分いい天気だなぁ……」
カーテンを開ければ、雲一つない晴天。虎は伸びをすると、また一段と暑くなりそうだと一人苦笑いを零した。
踵を返して部屋を後にすれば、そのままリビングへと降りてゆく。廊下に出れば鼻に届くのは香しいコーヒーの匂いで、今日は久しぶりにキャラメルカフェオレを作ってあげようと笑みが零れた。
「! おはよう、虎。早いわね」
「おはよう、樹里斗さん。なんか今日は夢見が良くて二度寝しなかっただけだよ」
リビングに顔を出せば、虎が起きてきた事に一番に気づいた第二の母、樹里斗が笑いかけてくる。
樹里斗に挨拶を返す虎は、夢に出てきた女性と今目の前にいる女性を頭の中で比べ、ある種の感動を覚えた。
(気にしたことなかったけど、樹里斗さんって年取ってるのか? いやむしろ八年前より若返ってないか?)
一般的に夢は美化されると思っていたが、違うのだろうか? それとも、夢が現実に引き摺られたとか?
(いやでも、引き摺られたなら『今』と同じになるよな……)
ということは、やはり目の前にいる女性は年を取っていないと考えるのが妥当だろう。つまり、彼女は時間に逆らっているということになるのでは?
(って、バカバカしい……。寝惚けてるのかな……)
くだらない事を真剣に考えてる自分に気が付いて、虎は顔を洗ってくると空笑い。
だが、バスルームに向かおうとしたところを第二の両親に止められてしまった。二人揃って引き留められたら、やましいことがなくても身構えてしまうのは無理もない。虎にとって第二の両親である二人は何があっても逆らうことのできない絶対的存在だったから。
「え? 何、二人して……」
「ああ、ごめんね。なんだかいつもと様子が違ったからどうしたのかな? って」
怒られる事はないと思うんだけど……。と警戒する虎に、第二の母は笑い、何もなければいいと微笑んでくれる。どうやら神妙な顔をしていた自分を心配してくれたようだ。
「大丈夫。なんでもないから」
「本当にか? 随分前から起きていたんだろう?」
「! あはは。やっぱり茂さんにはバレちゃいますか」
第二の母だけならきっとバレなかっただろうが、若くして大企業のトップに君臨している第二の父の目を欺くことは容易ではない。
言葉を肯定すれば二人に心配をかけることになると分かっていたが、だからといって嘘をついてもすぐにバレてしまうことは明白。
だから虎は肯定の言葉を明るい声で返すことにした。心配はかけるだろうがそれでも幾分マシだろう。と。
第二の母の眉が下がり、目に見えて心配の色が濃くなった表情。一瞬、返答を間違えたかと焦る。だが、第二の父がフォローを入れてくれたおかげで母の表情は元に戻り、とりあえず安心だ。
「心配してくれてありがとう。とりあえず俺、顔洗ってくるね。……あ! 羽柴さん、カフェオレ作りたいから、コーヒー残しておいて欲しいです」
第二の両親に笑顔を見せると、虎は急がないと準備する時間が無くなると早足になる。リビングを出て行く間際に二週間前から住み込みで働いているお手伝いさんに淹れたコーヒーを少し取っておいて欲しいとお願いして、顔を洗ったらカフェオレを作って、その後に朝が弱い葵を起こしに行こうと予定を立てる虎。と、洗面台の鏡に幸せそうな笑みを浮かべる自分が映って、顔が赤くなった。
(ヤバいヤバい。最近ニヤけすぎだ。気を付けないと)
冷水で顔を洗いながら、きっと気が緩んでいるせいだと結論付けた虎は、『自分の意思を強く持たないと』と自分に言い聞かせた。
今までは想いを馳せてもこんな風に顔に出ることはなかったのに、最近は気づけばこの有様。気を抜いているつもりは全くないが、でも表情に出ているということは、否定してもそういうことだ。
(しっかりしろ。絶対にバレちゃダメなんだからな)
顔を上げ、鏡の中の自分に忠告。この想いは他の誰に知られても構わないが、ただ一人、葵に知られてはいけないのだから。と。
輪郭を伝って滴り落ちる水滴をタオルで拭うと、虎はもう一度鏡の中の自分を見つめた。
(大丈夫。八年間かけて身に着けたポーカーフェイスは簡単には崩れたりしない)
まるで自己暗示のように『大丈夫』と心の中で三回繰り返すと、虎はタオルを洗濯機に放り込んでバスルームを後にした。
再びリビングへと戻れば、ダイニングテーブルで朝食をとる第二の両親の姿と、キッチンで家事をこなすお手伝いさんの姿。そしてもう一人、ソファの端に座る強面の男性の姿があった。
(相変わらず陽琥さん気配なさすぎだろ……。さっきも居たんだろうけど、全然気づかなかった)
虎が物心つく前からこの屋敷でボディーガードとして家族の安全を守っている宍戸陽琥は、一言で言い表せば『寡黙』だ。そしてボディーガードという仕事柄のせいか気配を消すのもお手の物で、いつも何処からともなく現れて、いつの間にか傍に居たりするからびっくりする。
朝から驚きたくない虎は陽琥の姿を視界の端に確認しながらお手伝いの羽柴有紗が仕事をこなすキッチンへと踏み入れると、「コーヒー貰いますね」とコーヒーメーカーにセットされたサーバーに手を伸ばした。
「葵君のカフェオレですよね? ミルク用意しますね」
「! ありがとうございます。後、キャラメルソースって残ってますか? 今日はキャラメルカフェオレにしようと思ってて」
「ありますよ。一緒にご用意しますね」
冷蔵庫からミルクとキャラメルソースを取り出してくれる羽柴は、「ホイップクリームはどうしますか?」と気を利かせてくれる。
(甘いもの好きだし、ホイップクリームもトッピングしたら喜びそうだな)
手渡したキャラメルカフェオレに口を付け、『美味しいっ!』と笑いかけてくれる姿を無意識に想像してしまう。虎は自分の妄想で顔がにやけないように一層気を引き締め、「お願いします」と羽柴の好意を受け取った。
葵の嬉しそうな笑顔を思い描き、手際よくカフェオレを作る虎。と、隣から何やら視線を感じた。
「? どうしましたか?」
「! あ、ごめんなさい! えっと、その、作り方、気になっちゃって……」
視線を感じる方へと顔を向ければ、羽柴がジッとこちらを見ていて、虎は何か用があるのかと首を傾げた。すると羽柴はすぐに視線を逸らして、しどろもどろになりながら「気にしないでください」と言ってくる。
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