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My Everlasting Dear... 第8話

 虎は自分の『欲』を知った日、海音が心配している事が現実になるかもしれない恐怖に苛まれて家を出ていこうとしたらしい。純粋無垢な幼い『弟』相手に自分が抱いた欲望はあまりにも乱暴で穢れていたから。  葵を傷つけることを恐れた虎は自分の欲望から葵を守るために罵倒される覚悟で第二の両親に全てを打ち明けた。家を出て行くと、決意も告げた。  しかし、二人からかけられた言葉は罵倒や嫌悪ではなく、自分の想いを肯定してくれるものだった。 「『人を好きになる気持ちは悪いことじゃない』。『誰かを愛しいと想う心に性別は関係ない』って、茂さんも樹里斗さんも笑ったんだ……」  葵の両親がかけてくれた言葉に、虎は初めて人前で声を出して泣いたという。  『気持ち悪いことじゃない』。『葵をこんなにも愛してくれてありがとう』。そう微笑んだ二人の笑い顔を、今でもはっきりと思い出せる。  当時を思い出して笑う虎の表情はとても柔らかくとても穏やかで、親友のそんな表情を目の当たりにした海音はそこで漸く罪悪感を覚えた。自分は『親友のため』とかこつけて『親友の心』を否定し傷つけてしまっていたと気づいたから。 「虎、あの―――」 「茂さん達はさ、俺を『信じる』って言ったんだ。『俺達の知ってる虎は絶対に葵を傷つけることはしない』って、さ……。惚れてる相手の親からそんなこと言われたら、何があっても、たとえ理性がぶっとんでも、俺は葵を泣かせる真似は死んでもしない! ってなるだろ?」 「! そうだな……。そんなに信用されてちゃ、裏切れないな」  虎はきっと海音が何か言いかけたと気づいている。何を言おうとしたかも、なんとなく理解している。  だからこそ、虎は海音に言葉を紡がせなかった。海音が口にした言葉を悪いとは思わないから。 「そういうことだ。俺がもし信用を裏切って葵を泣かせたら、俺は葵だけじゃなくて俺を信じてくれた人達も裏切ることになる。そんなの、絶対にごめんだ」  大事な人のために、自分を信じてくれた人達のために、衝動は何があっても殺してみせる。  そう言いきる虎に、海音は「お前って葵が絡むとマジで熱い男だよな」と笑った。 「でもまぁそういうことなら俺も協力してやるよ。お前が犯罪者になったら悲しむ人も多いだろうしな!」 「だから犯罪者になんてならねぇよ。俺の話聞いてたか?」 「聞いてた聞いてた。めっちゃ聞いてた」  苦笑する虎と、そんな虎にいつも通りの笑顔を返す海音。 「でも、分かっててもやっぱり複雑だよなぁ」 「何が?」 「だってさ、親友と『弟』ができてるとか、なんか恥ずかしいじゃん?」  お前らがくっついたら一緒の空間に居辛くなりそうだ。  そう言って笑う海音は、人前でイチャイチャすんなよ! なんて言ってくる。きっとこれは海音なりの激励なのだろう。  だが、その『激励』に虎が返すには物憂げな笑い顔だった。 「え、なにその顔」 「いや……、そんな日が来ればいいなと思っただけだ」  こんな自信のない虎を見るのは、幼馴染みの海音ですら初めてかもしれない。虎は力なく笑い、まるで今海音が想像した未来が来ることはないと言っているようだった。 「『来ればいいな』って、お前、葵のこと好きなんだろ? 何諦めてんの?」 「お前は本当、単純だな」 「! あぁ? 喧嘩売ってんのか?」  激励したのにこんな風に馬鹿にされたら、あまり他人に怒ることのない海音でも怒りを覚えるのは当然だ。  睨みを利かせて悪態を責める海音。すると虎はいつになく素直に「悪かった」と謝ってきて拍子抜けしてしまう。 「俺は葵とどうこうなる気は一切ないし、気持ちを伝える気もないんだよ」 「えぇ!? なんで!?」 「『なんで』って、当たり前だろう? 『兄貴』だと思って信頼してた相手から『ずっと好きだった』なんて告られて『喜ぶ』奴なんて普通いないぞ?」  世間を見れば同性愛に対する偏見は随分マシになっているし、理解も深まって来ている。だが、それでもまだまだマイノリティだ。心無い言葉を浴びせる輩もいれば、嫌悪する者もいる。理解を示して受け入れてくれる人達ですら『普通とは違う世界』、『自分とは違う世界』と思っている者が少なくない。  そんな現実を知るからこそ、虎は葵には絶対に想いを伝えないと言いきった。 「なんでだよ? 確かにお前が『ホモ』だってカミングアウトしたら葵はビビるだろうし、『なんで?』って思うかもしれないけど、でも、葵はちゃんとお前の気持ちと向き合ってくれるとおも――――」 「それだよ。葵は俺と向き合って俺を受け入れようって努力するだろうし、『想いに応えないと』って思うって分かってるから、だから言わないんだよ」 「はぁ? 意味わかんね。チャンスがあるのになんでそんな風に考えるわけ?」 「海音、葵は『モノ』じゃねーぞ」  自分だったら絶対にチャンスをものにするぞ!  そう発破をかけてくる海音だが、その言葉に虎が示すのは明らかな嫌悪だった。 「葵は『一人の人間』だ。葵には葵の世界があって人生がある。それを無理矢理俺に向けて、幸せになるのは葵か? 違うよな?」  胸ぐらを掴み、凄む。そんなことをしても幸せになるのは自分だけで、葵の意思はそこにはない。俺が愛してるのは『葵』であって『人形』じゃない。  海音を射抜く虎の眼差しには強い想いが燃えていて、気圧された海音は呆然としながら「わりぃ……」と軽率な考えを謝った。 「お前の気持ちは有り難いけど、余計な事はしないでくれ。俺は今のままで十分幸せなんだ」 「虎……。でも、それって辛くねぇか? お前、葵から離れられねぇだろ……?」 「離れる気なんて元からない。俺は葵の傍で葵が幸せになるのを見守れたらそれでいいんだ」  気持ちを殺したまま傍にいるなんて、とてもじゃないが正気とは思えない。目の前に自分が最も欲している人がいるのに、触れることはおろか、手を伸ばすことすらできないなんて、拷問以外なにもにでもない。  伝えられない想いは募る一方なのに、それを殺して『兄』として傍にいて、抑えた想いはいつ昇華されるのだろう……? 「なんだよ、それ……。お前、頭いいのになんでそんなバカなんだよ……」 「はは。その言葉、お前にだけは言われたくねぇーよ」  海音を茶化して笑う虎だが、海音は笑えないのか顰め面。  虎は目を伏せると薄く笑って「ありがとうな」と呟いた。 「どうやら俺もいい加減煮詰まってたっぽい。お前に喋ってちょっとスッキリしたわ」 「! お前ってやつはっ!」  親友のらしくない姿に、海音は踵を返して歩き出す虎を後ろから羽交い締めにしてやった。首に入って苦しいと腕を叩く虎は一見するといつも通り。でも、いつもと違うことは海音にはわかった。  虎は自ら海音に秘めた想いを打ち明けるよう挑発した。それはきっと本人すらも気づいていない『シグナル』のような気がして、海音は何故か悔しくなった。 「辛くなったら、いつでも言えよ! なんもできねぇーけど、話なら聞いてやれるから!」 「自惚れんなバ海音。お前に喋るのはこれが最初で最後だ」  親友のために何かしたいと叫ぶ海音。虎はそんな海音に耳元で叫ぶなとその顔面を鷲掴み、笑った。

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