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恋しい人 第56話

「本当にごめんね、慶史。僕がもっと早く虎君への気持ちに気づいていれば慶史だって嫌な思いしなかったよね……」 「! なんで葵が謝るんだよ! 悪いのはあの変態で、俺は葵には一生気づいて欲しくなかったんだからな!?」  肩を落とす僕に向けられる慶史の慌てた声。  慶史は僕の手を握り締めると、むしろ嫌がらせに耐えるから今すぐ別れろなんて言ってくる。  そのあまりにも必死な様子に僕は気圧されながらも「それは無理かな……」と苦笑い。だって虎君のこと大好きなんだもん。 「なんで? なんであんなのが良いんだよ? ただのストーカーだぞ!?」 「本当に酷い言われようだな。ちょっと過保護が行き過ぎてるだけだろ?」 「完全に『過保護』通り過ぎてますから!! どうせ先生もアイツに葵の学校生活の情報流してたんでしょ!?」 「心外だな。三谷君に危険が及ぶ可能性がある場合だけに決まってるだろ?」  斗弛弥さんに対してもう信用できないと警戒心を露わにする慶史。  斗弛弥さんはそんな慶史を見るのが楽しいのかずっと笑っていて、わざと慶史の神経を逆撫でするような言い方をする。本当、意地悪だ。 「まぁ、信じる信じないは藤原君の勝手だけどな」  愉快だと笑う斗弛弥さんに慶史は「なんか先生、性格悪すぎない!?」と僕を見てきて、僕は苦笑交じりにそれに同意する。 「普段は『先生』用の顔してるけど、本当は凄く意地悪だよ」 「こら、三谷君。たとえ事実だとしても告げ口は良くないぞ? 藤原君もカンニングは感心しないな」 「何ですかそのドエス顔……」  完全に騙されたことが悔しいのか、慶史は顰め面を見せる。  僕は慶史の言いたいことは尤もだと頷きながら、そう言えばさっきから『先生』の仮面が剥がれている斗弛弥さんに気が付いた。 「斗弛弥さん、素が出てますけど良いんですか?」 「ああ、しまった。藤原君があまりにも素直だったからつい仕事中だということを忘れていた」 「えぇ……嘘っぽい……」  そんなの全然斗弛弥さんらしくない。  言葉を疑えば、斗弛弥さんはますます楽し気に笑う。随分疑い深くなったな。と。 「ジュニアの影響か?」 「それって虎君のこと悪く言ってます? 怒りますよ?」 「もう怒ってるだろ? リスみたいに頬っぺた膨らませて」  だからどうしてみんなしてハムスターとかリスとか頬袋のある小動物に喩えてくるかな?  普通に『怒ってる』だけでいいのに可愛い系の小動物みたいだって言われたら迫力がないって言われてるようなものだ。  僕は自分の迫力の無さに少ししょんぼりしてしまう。 「ねぇ、『ジュニア』って先輩のこと?」 「そうだ。チビだった頃は父親に瓜二つだったからな」 「先輩の父親って、イスズですよね? え? 全然似てなくない? あんな優しい感じ微塵もないでしょ? あの人」 「だからチビだった頃って言っただろうが。話はちゃんと聞こうな」  慶史の質問は僕に対してのものなのに、何故か斗弛弥さんと話は進んでいく。  虎君のお父さんとお母さんはもう一〇年以上海外で音楽活動をしているから日本のメディアへの露出は殆ど無いに等しい。  もともとビジュアルよりも音楽で勝負したいっていうこだわりがあるらしいから、日本で活動していたころも極力メディアに顔出しはしなかったらしいし、その素顔を僕達の年代で知っていることの方が珍しいぐらいだ。  更に慶史はあまり音楽に興味がない。それなのに、虎君のお父さんの容姿を知っているような口ぶり。僕はそれに驚いてしまった。 「知ってるよ。親の顔が見たかったから調べた」 「それ、良い意味じゃないよね?」 「そりゃね。あの時は真剣に葵の貞操の危機だと思ってたし」  子供を他人の家に預けっぱなしとか非常識だとも思ってたし。  そう口籠りながら話す慶史は、ちょっぴり後ろめたそう。きっと僕にとっていい気分の話じゃないからだろうな。  でも、僕は慶史の言葉に「そっか」と笑うだけで怒りはしなかった。慶史は無意識かもしれないけど、言葉が全部過去形だったから。 「……怒らないの?」 「うん。今はそう思ってないんだよね?」 「まぁ、ストーカーではあるけど、葵を傷つけることは絶対しなかったしね、あの人……。先輩のご両親の曲も、まぁ嫌いじゃないし……」  ぶっきらぼうな言い方に僕は笑ってしまう。照れてる慶史は本当に可愛かったから。 「二人とも、仲が良いのはとても良い事だが、周囲に誤解を与えないように気をつけなさい」 「え? どういうことですか?」 「ジュニアとのことを知らなければ二人がそういう仲だと誤解しそうだよ、先生は」  距離感が友人と呼ぶには近すぎる。  そう指摘する斗弛弥さんはいつの間にかこちらに携帯を向けていて、ポカンとしていた僕をよそに保健室に響くのはシャッター音だった。

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