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恋しい人 第61話
それ以上の幸せなんてないと言いたげな慶史。僕はいつもの冗談かな? と思った。僕をからかって遊んでいるのかな? と。
でも、慶史はいつもの意地悪な笑みじゃなくて、凄く真面目な面持ちで僕を見つめてきていて、さっきの言葉が冗談やからかいじゃなくて本心だと知った。
確かに初恋の人と初めて結ばれた時は幸せで堪らないと思う。けど人生の、幸せのピークではないと思う。それなのに慶史はそれ以上の幸せはないと本気で思っている。
僕はそれ以上に幸せなことは沢山あるはずだと慶史に伝えようとした。慶史に幸せは沢山あるんだよって知って欲しいと思った。
でも、慶史が続けた言葉に何も言えなくなってしまった。
「男でも女でも『初めて』ってやっぱり特別なものだし、自分の初エッチを初恋の人にあげられたら最高なんじゃないの? 違うの?」
慶史はきっと一般論のつもりでそう言ったんだと思う。けど僕はそれはまさに慶史の慎ましくもささやかな夢だったのだと思った。慶史は、自分が好きになった人に自分の『初めて』をあげたかったんだと思った……。
(それなのに慶史の『初めて』は悪夢だったなんて……)
自分の性的指向がどういったものか意識するより先に穢され、慣らされ、歪められた。
以前慶史が他人事のように自分の話をした時に口にしていた言葉を、僕は本当の意味で理解した気がした。
「葵?」
「! ごめん、ちゃんと聞いてるよ。僕は、……僕は虎君の傍にいられるならこの先ずっと幸せだと思うからいつが『最高』とはハッキリ言えない気がするかな」
「だから、それが今だけの気持ちじゃないの? って俺は言いたいんだけど」
慶史にかける言葉がどうしても見つからない。
僕はこの心苦しさを飲み込み、会話を続けることしかできない自分の不甲斐なさにグッと耐えた。
「確かにこの気持ちは今だけのものかもしれないけど、気持ちや考え方ってどんどん変わっていくものだから変じゃないよね?」
「変じゃないけど、『人生のピーク』はやっぱり初エッチの時ってならない?」
「初めての人が大好きな人だったら凄く幸せだと思うし、相手にとって僕もそうだと凄く嬉しいって気持ちはあるから慶史の言いたいことは分かるよ」
「でも『人生のピークではない』?」
「うん」
慶史が二度と戻らない過去を想っていると感じる度、心が痛んだ。
それと同時に、知って欲しいと思った。本当に幸せなのは『初恋の人の初めての相手』になることじゃないってことを。
「僕ね、虎君の最後の人になりたい」
「『最後の人』?」
「そう。この先ずっと『この人だけ』って相手。初めての人じゃなくて、二番目の人、三番目の人とかそういうんじゃなくて、人生で最後の人」
好きな人に好きになってもらえる。それだけでももちろん十分幸せなことだと思う。
でも、その人のことをずっと好きでいられたら、その人にずっと好きでいてもらえたら、それはこの上ない幸福だと思う。
だから、慶史にも思って欲しい。いつか慶史が好きになった人の『最後の相手』になることが最高の幸せなんだ。って。
(簡単なんことじゃないって分かってる。でも、それでもこれから必ず幸せになれるって信じて欲しいよ……)
これは自分のエゴだって理解してる。でも、でもそれでも慶史に伝えずにはいられなかった。
慶史は驚いた顔をしてる。そして、物憂げに瞳を伏せると薄く笑った。
「でもそれじゃ死ぬ時が人生のピークになっちゃうよ?」
「! そうだね。でも、それこそ最高じゃない?」
どちらかが死ぬまで相手の『最後の人』だったかどうかわからないよ。
そう笑う慶史。力ない笑い顔に僕は『これから絶対に幸せになろう』と思いを込めて精一杯の笑顔で笑い返した。
「『最後の人』、か……。確かに『初めての人』よりは嬉しいかもね」
「でしょ?」
考えたこともなかったと言う慶史は、僕らしい考えだと言った。僕はその言葉に少し不安になる。良くない考えだった? と。
すると慶史はそうじゃないと首を振って、一呼吸置いた後悪戯に笑った。
「そうじゃないよ。でも、普通高校生で『最後の人になりたい』なんて発想、出てこないよね」
「そうなの?」
「そうだよ。まぁ『葵らしい』っていうか、一途で重苦しい愛情を何年も注がれてきたんだろうなって感じだね」
完全にあの人の一人勝ち状態だから段々腹が立ってきた。
そうおどける慶史に、僕は僕の想いが伝わった気がして少し心が軽くなった。
「でもそうなると葵とあの人は本当に幸せな人になりそうだね。お互い『最初で最後の人』、だもんね」
「! うん。それはすごく嬉しい、かな……」
『最後の人』であればいい。とは言ったものの、もしも虎君の『初めての人』が自分じゃなかったら僕は絶対に悲しくて悔しくて堪らなかったと思う。だって虎君には他に好きな人がいたわけじゃないんだから。
(……でも他に好きな人がいたとしても、やっぱり嫌なものは嫌だな……)
好きだからこそのヤキモチはやっぱり妬いてしまう。
僕は苦笑交じりに、自分の独占欲の強さが少し怖いと零した。頭では仕方がない事だと思っていても、心が受け入れることを拒否している感覚が怖くて堪らなかったのだ。
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