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恋しい人 第76話

「また来たいと思っていたから、凄く嬉しい! ありがとう、虎君」 「どういたしまして。ほら、行こう?」  バイクを降りると手を差し出して僕を促す虎君。僕は深く考えずに虎君の手を取りぴったりと寄り添った。  すると駐車場にいた他の人の声が耳に届いてハッと我に返る。  悪いことをしているわけじゃないけど、好奇の目で見られるのは凄く嫌だから僕は慌てて虎君から離れる。名残惜しいけど、手も離した。 「お店、並んでるかな?」 「どうだろう? 前来た時は結構並んだ気がするけど、あれは週末だったしな」 「だよね。あんまり並んでなかったらいいなぁ」  せめて待ち時間は30分ぐらいで済んで欲しい。  そう祈っていれば、虎君は僕の名前を呼ぶ。何? と振り返れば、再び差し出される手。  僕はそれに戸惑う。僕も手を繋ぎたいけど、此処は家じゃない。今もすぐ近くに人がいるし、駐車場を出れば更に沢山の人がいる。  そんな中を男同士で手を繋いで歩いたら一体何を言われるか。 「葵?」 「っ、なんでもない! 早く行こ!」  手を繋ぎたい。本当、凄く手を繋ぎたい。でも僕のせいで虎君が笑われたり酷いことを言われるのは絶対に嫌だ。心無い言葉で僕達の想いを穢されるのも、本当に嫌だ。  だから僕は虎君の手を取らず踵を返して歩き出した。 (ただ好きなだけなのに、なんでこんな思いしなくちゃいけないんだろ……)  街には幸せそうに寄り添うカップルの姿があちらこちらにあって、ただ異性というだけで許されているその楽し気な姿を八つ当たりと分かりながらも妬んでしまう。  僕だって虎君とあんなふうに人目を気にせず楽しくて幸せな時間を過ごしたい。これはそんなに贅沢な願いなのだろうか……。  ただ好きなだけなのに、ただそれだけなのに、どうして好奇の目に晒されなければならないのか。心無い言葉で傷つけられなければならないのか。  世の中本当に理不尽だと落ち込む僕は、心の表れか視線が下に下がってしまう。  でも、人の多い通りではちゃんと周りを見て歩かないとすぐに人にぶつかってしまうと言うもので……。 「葵っ!」  グイッと斜め後ろに引かれる腕。  突然の衝撃に何が起ったのか理解できなかったけど、心の底から安心する自分の身体に虎君の腕の中にいるのだと分かった。 「こら。前見て歩かないと危ないだろ?」 「ご、ごめんなさい……」  僕をぎゅっと抱きしめたまま見下ろしてくる虎君の笑い顔に、胸がきゅんとする。  少し困ったようなその笑顔に、甘えたくて堪らなくなってしまう。今すぐ二人きりの空間に飛んでいきたかった……。  それでも僕はこのまま虎君にくっついていたいと叫んでる心の声に蓋をして、心配かけてごめんね? と離れようと思った。  けど……。 「! 虎君……?」  虎君は僕を抱きしめる腕を解かなかった。  それどころか、僕が離れることを許さないと言わんばかりに抱き寄せてきて……。 「虎君っ、だ、だめっ……、人前っ……!」 「恥ずかしい?」 「は、恥ずかしいとかじゃなくて……」  通り過ぎてゆく人たちの視線が突き刺さってる気がするのは、気のせいじゃないはず。  僕は暴言を浴びせられる前に離れないとと身じろいだ。  すると虎君はそんな僕の焦りを察したのか、パッと手を放してくれた。  離れたがっていたのは僕なのに、それが悲しいと思ってしまう。本当、僕って面倒な性格だ。 (放して欲しいけど離れたくない。なんて、どうすればいいかわからないよ……)  僕は複雑な心を見られたくなくて、虎君から離れるように歩き出す。今度はちゃんと前を向いて。 「置いて行かないでくれよ」 「い、急がないと夕飯までに帰れないでしょっ」 (意地悪。虎君の方が歩くの早いくせに……)  手を繋ぎたくないと意思表示したのは僕の方なのに、こんなの完全に八つ当たりだ。そりゃ虎君だってこんな我儘で面倒な奴、嫌になって意地悪したくなるよね……。 (……やだ……虎君に嫌われたくない……)  虎君に嫌われたかもしれないと考えただけで泣きそうになってしまう。  情緒不安定な僕は虎君に謝らないとと焦る。悪態吐いてごめんなさい。と。  でも、謝らないとと思ってるのに立ち止まることも振り返ることもできなくて……。  全然素直に行動できなくて、まるで心と身体がちぐはぐになったみたいで凄く苦しかった。

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