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恋しい人 第98話

「オイ! 何してんだ! さっさと降りて来い!」  明日に想いを馳せて二人して抱き合っていれば、階下から聞こえる茂斗の怒鳴り声。  ちょっと目を離すとすぐこれだ……ってブツブツ文句言ってる声は階段下からよく響いていて、僕と虎君は顔を見合わせて思わず笑ってしまった。 (ほんと、そうだよね。気が付くと虎君に甘えちゃってる)  傍にいたいという心の表れなのか、人目があろうがなかろうが僕はすぐに虎君にくっついてしまうから、茂斗の小言に反論するよりも納得してしまう。  そしてそれは虎君も一緒のようで、苦笑交じりに「行こうか?」って僕の髪を撫でてくる。  早く降りて行かないと茂斗に何を言われるか分からない。それは分かっているけど、でも降りる前に一つだけお願いがある僕は、虎君の上着を引っ張り離れようとする身体を引き留めた。 「葵?」 「一回だけキス、して? そしたらちゃんと我慢するから……」 「! まったく……。その可愛さに俺が我慢できなくなるだろ?」  困ったような笑い顔。でも、虎君は僕の望みをちゃんと叶えてくれる。  僕の頬を包み込む大きな手。上を向くよう促され、目を閉じればチュッと唇に触れる温もり。触れるだけのキスなのに甘いと感じるのはどうしてだろう? (虎君、虎君大好き……)  唇から離れた温もりにゆっくりと目を開ければ、優しく笑う虎君の笑顔。僕はその笑顔を見て胸が苦しくなってしまう。 「可愛いよ、葵」  うっとりと見惚れていたら、一度だけだと思っていたキスがまた降ってくる。虎君の傍にいたくて堪らない僕がそのキスを拒むわけもなく、触れるだけのキスを何度も何度も繰り返してしまう。  本当は深いキスが欲しかったけど、深いキスをしたら虎君に触って欲しくてそれ以外考えられなくなってしまいそうだからグッと我慢。 「オイ!! 虎!! 葵!! お前等マジでいい加減にしろ!!」  ちゅっちゅっとキスを繰り返していたら、階下から響く怒号。耳が痛くなる程の怒鳴り声に僕は身を竦ませ、虎君もキスを止めて驚いた顔をしていた。 「……行くか」 「うん。分かった」  茂斗にめちゃくちゃ絡まれそうだって苦笑を漏らす虎君と手を繋いで階段を降りれば、階段下で仁王立ちしている双子の片割れの姿が目に入った。  その立ち姿だけで不機嫌がひしひしと伝わってくる。  僕は空笑いを浮かべ、「ごめん」ととりあえず謝ってみる。すると茂斗はギロッとその切れ長な瞳で僕を睨んでくるも何も言わず、僕の隣へと視線を移して「にやけた顔してんな」って虎君に悪態を吐いた。 「悪い」 「次は邪魔するからな」 「ああ、分かってる」  高圧的な茂斗の態度にムッとするも、でも僕に非があるから言い返したい気持ちを我慢する。  茂斗は改めて僕に視線を向けてくると、「そんな睨むな」って大きな溜め息を吐いた。それはわざとらしいものじゃなくて心底疲れたと言わんばかりのもので、ちょっと心配になってしまう。  いつものように怒ってくれた方が茂斗らしくて安心するなんて変かもしれないけど、でもこれは茂斗の日頃の行いのせいだから仕方ない。 「どうしたの?」 「何が?」 「なんで怒らないの?」 「はぁ? 怒ってるだろうが。見てわかんねーのかよ」  茂斗は僕の質問に呆れたのか、何処に目を付けてるんだと半目になる。  確かに茂斗は怒ってる。でも、僕が言いたいのは『どうして僕に怒鳴らないの?』ってことだ。 (さっきから虎君にばっかり八つ当たりしてるよね?)  いつもなら僕にも理不尽なぐらい八つ当たりしてきたのに、なんで?  もしかして何か企んでいるのかと疑いの目を向ければ、茂斗は「モンペがこえぇからだよ」と虎君に視線を向けた。 「……これでいいんだろ?」 「まぁ、葵に『八つ当たり』しないなら俺に対しては好きにすればいいさ」 「約束は破ってないから凪に変なこと吹き込むなよ」  苦笑を漏らす虎君に不要な心配をかける話を凪ちゃんの耳に入れるなと凄む茂斗。  虎君は分かったと笑っているけど、僕はムッとしてしまう。だって茂斗、虎君に対して八つ当たりを続けるって言ってるんだもん。  いくら兄弟と言えど、自分の大事な人に酷い態度をとる人を許容することなんて、僕にはできない。  だから僕は二人の間に割って入って「虎君に対しても止めてよね」と茂斗を睨んだ。 「虎が『良い』って言ってるんだから別にいいだろ」 「全然良くないよ。もし次に虎君に失礼な態度をとったら、凪ちゃんに相談するからね?」 「! おまっ、イイ性格してんな? 虎の影響か?」  僕からの反撃を想定していなかったのか茂斗は眉を顰め、物凄く嫌そうな顔をして見せた。俺の知ってる葵の態度じゃない。と。

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