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恋しい人 第108話
「なぎちゃ……、なぎちゃぁ……」
泣き声は治まったけど、泣きべそをかいたままのめのうは母さんの胸に顔を埋めて凪ちゃんに会いたいと恋しがっている。
そして視界に入るめのうと同じく凪ちゃんに会いたくて堪らない茂斗の姿。ダイニングに突っ伏したままの双子の片割れに、僕はめのうは母さんと姉さんに任せて茂斗に声を掛けた。
「大丈夫……?」
「……無理、限界……」
不自然な動きで首だけをまわす茂斗の目は虚ろで、言葉通り『限界』なんだと言葉以上に伝えてきた。
初めて見る憔悴しきった茂斗の様子に心配を隠せない僕は、凪ちゃんが実家に戻って来るのはいつなんだと尋ねてみる。早くとも来週末だと言っていたと知りながら尋ねたのは、来週末には凪ちゃんに会えると茂斗に生気を取り戻して欲しかったからだ。
でも、茂斗の凪ちゃん不足は僕が思っていた以上に深刻だったようで、限界を迎えている茂斗は僕の問いかけに少し間を置いて「明日」と呟いた。
「え? 明日なの?」
「明日マリアに迎えに行く……」
「や、約束してるの?」
こちらを見ずうわ言のように呟く茂斗に若干の恐怖を感じてしまう僕。恐怖を押し殺して質問を重ねれば茂斗はカッと目を見開き、突っ伏していた身体を勢いよく起こして僕を驚かせた。
「俺がマリアに編入すればいいんだ」
「!? 茂斗!?」
「俺がマリアに編入すれば凪とずっと一緒にいられる」
「ちょ、茂斗!? 何言ってるの!? てか、何処見てるの!?」
焦点のあっていない目でいったいどこを見ているのか。茂斗は気が触れたように「それしかない」って呟いてて、正直兄弟じゃなければ放って逃げたいぐらい怖かった。
でも茂斗は僕の大事な双子の片割れ。恐怖を押し殺し、しっかりしてと肩を揺さぶって正気に戻るよう呼び掛けた。
「マリアは女子高だって茂斗も知ってるでしょ!?」
「なら女になる」
「! 本当に何言ってるの!?」
凪ちゃんに逢いたいあまり茂斗がおかしくなってしまった。底知れぬ恐怖に僕の頭はパニック寸前だ。
逃げ出したい恐怖に僕が虎君に助けを求めるのはそれからすぐの事。
「どうしよう虎君、このままだと茂斗が女の子になっちゃう!」
そう叫ぶ僕。後から思い返せば、僕の思考も相当おかしくなっていたと思う。
虎君は僕の混乱に苦笑を漏らし、少し離れているようにと僕を茂斗から引き離すと「戻ってこい」と茂斗の頬っぺたを強い力で叩いた。
数歩下がってそれを見ていた僕は、虎君の行動に顔面蒼白になった。だって今の茂斗にそんなことしたらなにが起るかなんて考えるまでも無かったから。
「虎君あぶな―――」
「! ぐっ! ……ってぇ……」
虎君を心配する僕の声を遮るのは、茂斗の低く押し殺された声。一瞬の出来事に目を瞬かせる僕の足元には虎君に両手を拘束されうつ伏せの状態で制圧された茂斗の姿があった。
「正気に戻ったか?」
「っ―――、戻った、戻ったから、いてぇって!」
自分に圧し掛かる虎君の膝にもがいていた茂斗は、抵抗しない証明のためもがくのを止めてもう大丈夫だと床に額を打ち付けた。
「すみません、茂さん、樹里斗さん。大事な息子さんに手荒な真似をしてしまって」
「いや、むしろ嫌な役をやらせて悪かった」
茂斗を解放した虎君はそのまま父さんと母さんに頭を下げる。父さんは本来自分がやるべき仕事だったと苦笑を漏らし、床に寝転がったままの茂斗に歩み寄るとそのまましゃがみ込んだ。
「本気でマリアに編入したいか?」
「……んなわけねぇーだろうが……」
父さんは意地悪な確認の仕方をする。茂斗もそれが分かって苛立った声で返事をするんだけど、いつものような覇気は全くない。
(本当に凪ちゃんに逢いたいんだな……)
たった一週間逢えなかっただけでこの様子。これから凪ちゃんが高校卒業までの6年間、茂斗は耐えられるのだろうか?
茂斗を心配する僕の隣には虎君が戻って来ていて、僕の手を握り締めてくる。
「心配だな」
「うん。本当に……」
苦笑交じりの虎君は『誰が』とは言わなかった。でも伝わるから僕は素直に頷き、表情を曇らせてしまう。
「……俺も、気持ちは痛いほどわかる。まぁ俺の場合は樹里斗さんや桔梗が味方してくれたから事なきを得たけどな」
「え?」
「葵がクライストに編入するって言った時だよ。正直、葵が寮に入るとかこの世の終わりかと思った」
何の話かと虎君を見上げれば、話題に出されるのは3年前の話だった。
(そっか……。虎君は僕のことずっと好きでいてくれたんだし、あの時も当然そうだったよね……)
何も知らなかったとはいえ、寮に入っていたら僕は虎君に今の茂斗のような想いをさせてしまっていただろう。いや、もしかすると、茂斗以上に辛い思いをさせていたかもしれない。
(だって虎君、僕のこと本当に愛してくれてるもん)
あの時、僕の入寮を断固として反対してくれた母さんと姉さんには今更ながら感謝だ。まぁ当時は物凄く腹が立ったけど、それは何も知らなったから仕方ないと許してもらいたい。
僕は一歩虎君との距離を縮め、寄り添う。虎君は僕の気持ちに気づいたのか、繋いでいた手をぎゅっと握り締めてくれた。
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