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初めての人 第41話
「慶史! 待ってよ!」
先に部屋を出た慶史を追いかける僕は、角を曲がった後ろ姿に置いて行かないでと急いで追いかけた。
高等部の寮に遊びに来たのは今日が初めて。だから今慶史を見失ったら寮の玄関に辿り着くことすらできなくなるかもしれない。
学校の敷地内で迷子になるなんて流石に高校生にもなって恥ずかしすぎると慶史を必死に追いかける僕。
慶史の姿が消えた角を走る勢いのまま曲がれば、誰かに腕を掴まれて思わず後ろに倒れそうになってしまった。
「だ、だれ?!」
慶史達以外知り合いがいないはずの寮で僕の腕を掴むのはいったい誰なのか。
手首を握る力に忘れていた恐怖が呼び覚まされて、必死にその手を振り払おうとした。
でも、聞こえてくるのは「俺だってば」という慶史の声で……。
「け、いし……? び、びっくりさせないでよぉ……」
「ごめん。そこまで驚くとは思わなかったんだって」
気まずさのあまり葵を置いてったけど此処が狼の巣窟だったことを思い出したから。
そう言いながら視線を背ける慶史は、角で頭をぶつけないよう気を使ったつもりだったけど怖がらせてごめんと先の行動を謝ってきた。
僕はそれに平気だと笑い、待っていてくれてよかったと胸を撫でおろした。
「……先輩に連絡、入れた?」
「もう。鞄を持って出て行っちゃったのは慶史でしょ?」
虎君と連絡を取ろうにも携帯は鞄の中だよ。
そう苦笑を漏らせば、気まずそうに鞄を差し出してくる慶史。
僕はそれを受け取りながら、一番聞きたい話がまだ聞けてないから連絡することはできないと伝えた。
「……俺とまだ友達でいてくれるの?」
「僕は友達でいたいって言ったでしょ? その為に虎君の悪口を僕に聞かせないでって何度も言ってるんだよ」
「ごめん……」
俯く慶史に、心が痛む。虎君のことをこれからも悪く言ってしまいそうだということなのだろう。
僕は、僕と友達でいることよりも虎君と関わり合いになる方が嫌なんだと理解して悲しくなった。
慶史とずっと友達でいたい。でも、そのためには虎君と別れなくちゃいけない。
友達を取るか、恋人を取るか。そんな究極の二択を僕は迫られている。
「僕こそ、ごめん。……慶史が嫌な思いしないよう、僕は虎君と別れるべきなんだよね……」
でも、慶史が虎君を好きになれないように、僕は虎君と離れることが出来ない。だって、本当に大好きだから。愛してるから。
僕は言葉を口にして、大切な親友を失ってしまうんだと理解して泣きそうになる。
でも、慶史は「そうじゃない!」と声を荒げた。
びっくりして慶史を見れば、慶史はとても辛そうな顔をしていて、僕と友達で居続けたいとは思ってくれているんだと伝わった。
「そうじゃないんだっ。本当、本当に、違うんだっ」
「慶史?」
「悠栖が言った通り、本気であの人を嫌いだったら、いくら葵のためでも絶対付き合う前に阻止してたっ」
そう続けられる言葉に眉を顰めるのは、本当は嫌いじゃないならどうして? という疑問のせいだ。
嫌いじゃないのにあんな悪態を吐く理由は、もしかして悠栖が想像した通りの理由なのだろうか?
絶対それはないと思っていたけど、単に僕が慶史のことを分かっていなかっただけということだろうか?
「俺、俺っ、……俺、あの人が葵を大切にすればするほど、自分がめちゃくちゃ惨めだっただけなんだって思い知らされるんだ……」
「え……?」
慶史は壁にもたれ、その綺麗な顔を両手で覆い隠す。そして、僕を羨ましいと妬んでしまいそうになって怖いと言った。
「俺はあんな愛、知らない……。俺が知ってるのは、支配と暴力だけなんだよ……」
小さな声で吐露される本音に、僕は思い出す。慶史がこれまで得た『愛』がいくつあったのか。
慶史は、親の愛を知らないと言っていた。でも家族の愛はおばあ様からもらったと言っていた。
そして、『愛』を確かめ合う行為では幾度となく心も体も傷つけられていた。
慶史はこれまで得た『愛』に対して、そういうものだと思い込むことで心に折り合いをつけていたのだろう。
でも、僕が虎君と付き合い始めたことで、ただ相手を愛しみ大切に想う『愛』があることを知ってしまった。相手の為に自分の欲望を抑える『強さ』のを知ってしまった。
それは慶史がこれまで築き上げてきた世界を壊してしまうには十分衝撃だったのだろう……。
「あの人がさっさと葵を犯してれば俺だってこんな惨めな気持ちにならずに済んだのに……」
大切だから、本当に愛しているから一時の感情に任せたくない。
そう言った虎君は、求めながらもまだ僕を抱いてはいない。愛し合うためにもう何度も触れ合ってはいるけど、僕を傷つけることを恐れて自分の欲を抑え込んでくれている。
それを不満に思い、僕は慶史に相談したり愚痴を言ったりしていた。
慶史はその話をいつも笑ったり茶化したりして聞いていたけど、本当はずっと僕の話を聞きながら崩れてゆく自分の世界に恐怖していたのだ。
愛しているから大切にしたい。そんな当たり前の感情を、慶史はこれまで向けられたことがなかったから……。
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