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初めての人 第66話

「茂さん、樹里斗さん。すみません」 「? なんだ? 何に対する謝罪だ?」  突然謝る虎君に父さんは訝し気な声で理由を尋ねてくる。  僕は虎君の服をぎゅっと握りしめた。 「今から葵を家に連れて行きます。明日は、学校を休ませることになると思います。さっきの『すみません』はそれに対する謝罪です」  隠さず臆さず虎君は父さんに伝えた。リビングにはめのうもいるだろうから明確な言葉選びはされなかったけど、それでもめのう以外には伝わったに違いない。  僕は虎君と離れ離れにしないでと訴えるようにより一層虎君に強くしがみついた。 「ちょ、ちょっと待って! あんた何言ってるのよ!」 「聞こえた通りだよ。……茂さん、樹里斗さん。今日、葵をもらいます」  一番最初に反応を返したのは姉さんだった。ダメに決まってるでしょ!? って姉さんは声を荒げ、非常識すぎると僕達を非難した。今から愛し合う報告を家族にすることは勿論、そのために翌日学校を休むだなんて許されるわけがない。と。  予想していた反対の声に、不安が過る。虎君はもしかしたらこれを狙っているのかもしれない。と。 (僕が聞き訳がなかったから、こんな方法、とったの……?)  家族に反対されると分かっていただろうに話した理由は一体何?  それを考えた時、思い至ったのが『愛し合いたいと我侭を言う僕を諦めさせるため』だった。  虎君は最初から嫌だと言っていた。それを無理強いしたのは僕。  それは分かっているけど、こんな手段をとるほど嫌だったのかと思うと悲しくて辛くて泣きそうになってしまう。  でも、そんな僕の嫌な考えを他でもなく虎君が払拭してくれる。 「それを言って、親である俺が『分かった』と素直に頷くと思っているのか? お前は」 「思っていません。でも、俺の気持ちを誰よりも否定せず認めてくれていた茂さん達に不義理を働きたくないだけです」  虎君の声は凛としたもので、意志の強さが表れているようだった。  非難されることは承知の上だと言った虎君は、それでもどうか許して欲しいと父さんに懇願した。 「今、お二人の信頼を裏切る真似をしていると分かっています。でも、それでも俺はどうしても葵が欲しいんです」  葵を愛してます。どうしようもない程、愛してるんです……。  そう苦しい程の想いを吐露する虎君。  僕はそんな虎君の想いにますます強くしがみついてしまう。離れたくない。と、どうかこのまま行かせて欲しい。と、そう願いながら。 「ダメよ。絶対にダメ。許しません」 「! 樹里斗さん……」  僕達の願いを打ち砕くのは、父さんじゃなくて母さんの声。母さんは強い言葉で僕達が愛し合うことを否定した。  僕達がどれほど想い合っているか分かってくれていると思っていた母さんから出た否定の言葉に、僕は言葉では言い表せないほどの恐怖を感じた。  母さんの言葉には怒気が含まれているだけでなく、失望も伺えた。  その瞬間頭に過るのは『虎君と別れさせられるかもしれない』という最悪のシナリオだった。 (ヤダ、虎君と別れるなんて、絶対、絶対やだ……)  こんなに愛してるのに、ただ愛してる人と愛し合いたいだけなのに、どうしてそれを許してもらえないのか……。  押し寄せる恐怖と絶望に血の気が引く想いをする僕。でも、虎君はそんな僕を強く抱きしめてくれる。何があっても離れたりしない。別れたりしない。そう言いたげに。 「どうしても、許してもらえませんか?」 「当たり前でしょう? そんな理由で学校を休むなんて、親として許せるわけないでしょう? むしろどうして許してもらえると思ったの?」 「え……? あ、あの、学校を休むこと、ですか……?」  母さんは、学生の本分は学業だと言い、「それが守れないのなら卒業するまで付き合うことは許しません!」と言い切った。  虎君はそんな母さんに驚きを隠せないのか、戸惑いながらも質問した。今から葵を連れて自分の家に帰る理由について怒っているわけではないのか? と。  すると母さんはそんな虎君に眉を顰め、「怒られると思ってるのは何故?」と質問を返してきた。 「まさか、『本気』じゃないってこと?」  私の可愛い息子を弄ぶつもりなの!? と凄む母さん。  どうしてそういう解釈になるのかと僕が思うんだから、虎君には母さんの思考回路が理解できないと困惑するのはまぁ当然だ。 「どうなんだ、虎」 「え? あ、本気です! というか、俺が本気だってことは良く知ってるでしょう!?」 「はは。そうだな。……まぁ、樹里斗が言った通り学校を休ませるのは絶対にダメだが、そうじゃないなら、二人の好きにすると良い」  虎君に発破をかけるのは父さんの声で、父さんは虎君の応えに満足気に笑い、母さんと姉さんを宥めながら僕達を送り出してくれた。  一礼してリビングを後にする虎君。僕はその腕に抱かれたまま、真っ直ぐ前を向いて歩く大好きな人を見つめた。 「……本当にいいのか? もう、俺から逃げられないぞ?」 「虎君こそいいの? 僕、絶対別れてあげないよ?」  脅すような言葉に笑って同じような言葉を返せば、苦笑交じりにキスされた。絶対に離さないから。なんて言いながら。  嬉しいと僕が笑えば、虎君も幸せだと笑ってくれる。  するとリビングからは「今夜はお赤飯の方がいいかしら?」って母さんの声と「赤飯嫌いなんだけど」って茂斗の声が聞こえて、僕達は恥ずかしいと思いながらも顔を見合わせまた笑った。

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