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my treasure 第3話
(あぁ……罪悪感が半端ない……)
トイレットペーパーで汚れた手を拭って勢いよく自慰の証拠を洗い流す虎は渦巻く水の流れを眺めながら訪れた賢者タイムに遠い目をしてしまう。
冷静になった頭で思い返せば、目覚めてから今に至るまでの行動は性欲に支配されていると言っても過言ではないだろう。人から動物に退化したような気分になるのは、まぁ仕方ない。
虎はため息を吐き用を済ませると洗面台へと重い足取りで向かった。
欲に汚れた手を洗い、顔を洗い、また溜め息。だが、過去を悔やんだところで意味がないと頭を切り替えて、同じ過ちを繰り返さないよう鏡に映る自分を見据えた。
「しっかりしろ。絶対に葵を失いたくないだろうが」
言霊の力を信じて己を叱咤すると、弱い心を吐き出すように深い息を力強く吐き出した。
気持ちを切り替えた虎は葵の為に朝ごはんを用意しようとキッチンへと向かい、準備を進める。
栄養が偏らないよう気を付けながら慣れた手つきで料理を進め、時折時間を確認して手際よく朝食をテーブルに並べてゆけばものの20分程で完璧なそれがセッティングされた。
(後10分は大丈夫だけど、ギリギリだとリスクがあるよな)
葵は朝が苦手。迎えに行けば3回に1回は虎が起こしていたから、いつもよりも早い時間に起きれるかは微妙なところだ。
虎は時計をもう一度確認すると、既に時間ギリギリだと自分に言い聞かせた。まるで己に暗示をかけるように繰り返すのは、少しでも余裕があると思ってしまえば自制ができない気がしたから。
再びベッドルームの前に戻ってきた虎は意思を強く持てと自分を奮い立たせ、力強く扉を開く。
ベッドへと歩みを進めれば、枕にしがみ付いて眠っている愛しい人の姿が。虎は瞳を閉ざし天井を仰いだ。
(ダメだ、可愛すぎる)
繰り返していた決意とは一体何だったのか。自分の意思は弱くない、むしろ強い方だと思っていた虎だったが、どうやらそれは勘違いだったようだ。
聞こえる寝息すら可愛くて平静を保つことができない。葵の寝顔を眺めながら、このまま閉じ込めてしまいたいと狂気にも似た独占欲が増長してゆくのが分かって自分が恐ろしいと感じてしまう。
自分だけが葵の世界のすべてになりたい。それは誇張ではない本心で、許されるのならば誰にも葵を見せたくなかった。
勿論、そんなこと許されるわけがないと理解しているし、たとえ許されたとしても自分が愛しているのは『ありのままの葵』だから閉じ込めていいはずがない。
隣で笑ってくれているだけでも十分幸せなはずなのに、愛することを許される度に『もっと』と強欲な本能が出てきてしまう。
(本当に、本当に誰よりも愛してるよ……)
ベッドに腰を下ろして可愛い寝顔を隠す髪をどかすように手を伸ばせば、触れたい欲が暴れそうになる。
それを必死に理性で抑え込み、健やかな寝顔をなぞるように触れてみる。自分とは違うぬくもりに当然心が乱されてしまうが、自分本位に愛しい人を傷つけたくないから本能を抑え込むことはできた。
「葵、朝だよ」
「ん……、んん、とりゃ、く……」
起きてと頬を擽れば、表情を緩ませ幸せそうな顔で手にすり寄ってくる葵。その姿に言葉を失う虎は、この可愛さを、愛しさを表現するだけの語彙が自分に無いことを悔やんだ。
いや、そもそも今までもそうだった。葵を可愛いと何度口にしても、誰よりも愛おしいと何度告げても、『言葉』の壁が自分の想いを伝える妨げをしてくれる。
心を全て見せることができたならばと何度考えただろうか。だがそんなことを考えながらも心全てを見せればその想いの大きさに葵が恐れ逃げてしまうかもしれないと思い至り、『言葉』でしか伝えられないことに安堵する。
「葵、起きて? いい子だから」
「んんっ……、ん、やぁ……」
「っ―――、可愛い声で我がまま言わないで?」
寝惚けて甘える声を出す葵を抱きしめキスしたい。
でもそれを許せば自分は自分を信じてくれた人達からの信頼を失うことになる。彼らからの信頼を失えば、おそらく外泊を許されることは無くなり、それどころか二人きりで会うことすら叶わなくなるかもしれない。
(最悪なのは、会うことすら許されなくなることだ)
一度失った信頼を取り戻すことは困難で、これまでのように信頼してもらうことはどれほど時間をかけたところでほぼ不可能だろう。
虎は葵を愛し尽くしたい欲を堪えるように血の気が引くほど拳を握り、良き兄を装った。
しかし、どれほど兄であろうと思ったところで目の前の愛しい人を『弟』などとは思えず、これまで必死に培ってきた『理性』は昨日完全に崩壊していた為一瞬でも気を抜けば、継ぎ接ぎだらけの『理性』など見るも無残に無くなってしまう。
「葵。ほら、起きて」
「! とら、く……」
気が付けば可愛い寝惚け顔がすぐ目の前に。とろんと蕩けたような瞳に映るのは自分の姿で、綺麗な青の奥に映る欲情を堪える男の顔に虎は慌ててその身を起こした。
(完全に無意識だった)
唇に残る感触に、おそらく寝込みを襲ったのだろうことは分かった。あれほど『起こすだけ』と誓ったはずなのに、なんて様だ。
しかし、自分の行動が信じられないと内心動揺を隠せない虎の心を更に揺さぶるのは、まだ微睡みの中にいる葵だった。
「とらく、もっとぉ」
「ま、葵っ」
「きす、らいすきだから、もっとしよぉ?」
舌足らずでなんてことを言ってくるのか。可愛すぎるのもいい加減にして欲しい。無邪気に甘えてくるその姿が男をどれほど惑わせるか少しは理解してもらいたい。
そんなことを頭でぐるぐる考えて固まっていれば、愛しい人は更に誘惑してきて困った。
「とらくん、だめ? ぼく、とらくんのきすでおきたい」
蕩けた顔に甘えた声でなんて可愛い事を言ってくるのか。
虎は葵を無邪気で可愛い葵を天使のようだと思っていたが、この時初めてもしかしたら本当は小悪魔なのかもしれないと真剣に思ったのだった。
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