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  本来なら立ち寄ることも足を踏み入れることもない路地裏の小さな古本屋に、なぜかその日に限って上月(こうづき)真弥(しんや)は足を踏み入れていた。 そして、誰もが興味を示さなそうな古びた書物が並ぶ棚を歩く。すると、ひとりの少女が描かれた1冊の書物に目を止めた。恐らく、その長い髪の色が灰白(かいはく)で穏やかな微睡(まどろ)みの中にいなければ立ち止まることもなかっただろう。 綴じられていた双眸(そうぼう)からでは瞳の色は窺えない。だから、彼女の瞳の色は何色なのだろうか?という簡素で素朴な問いが真弥の脳裏に浮かぶこともなかった。佳人(かじん)薄命そうだというソレもまたなかっただろう。ソレほど描かれた少女は美しく、尋常ではないモノを纏っていたのだ。 「お前は主を探しているのか?」 その少女に、いや、その書物に話しかけるように開かれた口許は僅かに緩んでいた。皺が目立つ目尻に浮かぶモノは、長年逢えないでいる友人を思うモノが含まれているようだった。 店内は客おろか、店主すらいない。空気は冷たく冷房はよく効いている。雲ひとつない昊は底が抜けるような蒼さで、燦々(さんさん)と降り注ぐ陽光は容赦もなく地肌を黒く焼き、鉄の板でさえ赤く熱しあげるくらいだった。 古本屋なのに焼き鳥の芳ばしい匂いがかすかに漂い、朝から何も食していない胃が食欲旺盛な腹の虫を盛大に鳴り響かせたある昼下がりのこと。真弥が不意に触れてしまった『盾と矛』という古びた書物は、その美しい灰白の少女が描かれた書物の隣にあったモノだった。 「──────え?」 眩い光が射したかと思えば、老いぼれた巨漢の身体は宙に浮き、人生初というべき絶叫マシーンに乗せられた体験をすることになる。もし勝ち組と負け組があるなら、真弥は常に負け組でお天道様の膝元さえいったことがなかった。 「はあああああああああああああぁぁぁ!」 五十路で童貞。接吻もまだで、女のひとの手も握ったことがない。清純過ぎて逆に汚物を引っ掻けたくなるようなその清さは、女神をも生むという。だが、魔法や秘技が使えないのはこの歳まで拗らせ続けた彼の片意地のようなモノだからだろう。 「うぎゃああああああああああああぁぁ!」 深く刻まれた目尻の皺に涙が滲む。暗躍に包まれた身体はくるくるとソレはもう尋常ではない回転をしていた。 上か下か、右か左かすら解らない。また、木霊する己の声に酷く驚かされ、競りあげてくる吐き気には胃液を絞りだす始末であった。 そして、薄れる意識の中で唯一浮かんだあの少女の容姿が今後、真弥の運命を大きく左右することになるとはこのときにはまったく微塵も想定されていなかった。ソレほどまで、彼が吹き飛ばされた異世界は異様で異質なところだったのだ。  

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