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トイレ掃除の爽仕さん

 彼に会ったのは会議で疲れて、ふと入ったトイレの中だった。個室の中に入ろうとすると、誰かが出てきた。美しい青年が。 「あ、すみません。すぐ掃除用具片付けますね」 と言い、個室の掃除用具を持って出て、ぺこっと頭を下げて出ていった。こちらも会釈を返す。個室に入ると、驚いた。ピカピカなのだ。    服からしてトイレ清掃員なのだが、それにしては若くてイケメンすぎる。マッシュよりの黒髪。髪から覗く切れ長の瞳。小顔。背が高く、手足が長いのでモデルのようだ。トイレ掃除の人として思い浮かぶのはおばさんや、おじさん。または、おばあさん、おじいさんだ。明らかに異彩を放っている。しかも、彼の掃除は完璧なのだ。彼が掃除した後は決まってピカピカになっている。瞬く間に社内の噂になった。女性トイレは掃除してないみたいだが、他の階段、廊下、会議室、各部屋で目撃されている。女性が告白したが、断られた話が後を絶たない。彼女がいるのだろうか。あんなにイケメンなのだからそうだろう。また噂によると、真面目なのか仕事中、話をあまりしたがらないそうだ。それでもがんばって聞き出した人の噂によると、名前は清川爽仕(きよかわそうじ)。名前もそうじなのだ。  私たちはたびたびトイレなどで会った。疲れたときは彼を見ると目の保養になる。同性でも見つめてしまう美しさだ。仕事の疲れが癒される気がした。  ある日、トイレに入ると、上司の高橋さんが清川さんを壁に追い詰めて何か言ってるようだ。 「金はやるから。いいだろ? ちょっとそこの個室に入ろう」 「いえ…私はただの清掃員ですから」 「君を見込んでるんだよ。な?」 あきらかに高橋さんは困っている。高橋さんの手が伸びて、彼の腕に触れる。高橋さんはちょっとやっかいな上司だ。やばい。ここで口を出すと、絶対仕事に支障が出る。でも、困っている人を見過ごすなんて最低だ。人間としての品格を落としてまで、仕事をしたくない。 「ちょっと高橋さん? 何の騒ぎですか?」 「いやなんでもない。君は引っ込んどいてくれ」 「困ってるみたいですよ。放してあげてください。彼もまだ仕事があるんですから」 高橋さんはしぶしぶ手を放す。清川さんはカゴから出た小鳥のようにさっと高橋さんから離れ、 「すみません。まだ、仕事があるので」 と言って、私たちに会釈をしてトイレから飛び出していった。 「いい人ぶってるんじゃないよ。覚えとけ」 と高橋さんは私を睨んで、トイレから出ていった。  まったくややこしいことになった。あれから高橋さんはネチネチと私を攻撃してくるし、仕事も忙しい。エレベーターが来ないので、とぼとぼ階段を下りていると清川さんが掃除をしていた。清川さんは僕の方を振り向き、近寄ってきた。 「あの…先日は助けていただきありがとうございました」 「ああ」 「もしかしたら、あの人上司ですよね。仕事に影響したりしなかったですか?」 「うん、大丈夫だよ」 「そうですか…。何かあったら僕も助けさせてください。お名前は?」 「錦帝人(にしきていと)です。あなたは?」 「清川爽仕です。何か掃除してほしいときでもいいので、呼んでくださいね。掃除は得意なので」 「清川さんが掃除した後はいつも他の人と違ってピカピカなので、すぐわかるよ。あれ、なんか顔赤くないですか? 熱ですかね?」 私は近づいて清川さんのおでこに触ろうとするが、彼はパンチをかわすボクサーのごとくかわされる。なれなれしかったかな。 「大丈夫です! 実は人と話すのが得意じゃなくて。話しかけたのが久しぶりなものですから」 「意外ですね」 「じゃ、じゃあ失礼します」 掃除用具を置いたまま去ろうとするので、呼び止める。 「あれ、これ忘れてない?」 「ああ、すみません」 掃除用具を手渡す。清川さんはペコペコして去っていった。話してみてだいぶ印象は変わった。いい方に。ギャップというやつか。やられた。また清川さんと話したいなと思った。  なぜか私の行く先がピカピカになっていることが多くなった。清川さんだろう。このピカピカさでわかる。彼なりにお礼をしたいと思っているんだろう。しかし、ピカピカの清潔な場所で仕事をするのは気持ちいいものだ。仕事もはかどる。彼に早くお礼を言いたい。  残業が終わり、お気に入りのペンがないことに気づいた。そんなに高いものではないのだが、自分なりに気に入っていたので探す。デスク周りは見当たらなかった。今日は会議があったので、会議室にあるかもしれない。会議室へと向かう。会議室のドアを開けると掃除機の音が聞こえた。まさか。掃除機をかけているのは清川さんだった。清川さんは私に気づくと掃除機を止めた。 「あれ、錦さん。どうしたんですか?」 「お気に入りのペンをなくしてしまったんです。何か落ちてたりしなかったですか?」 「あ、もしかして」 清川さんは机に置いていたものを取って、私に渡した。 「これですか?」 「はい。これです。良かったです! 見つけてくださってありがとうございます。どこにあったのですか?」 「良かったですね! 床に落ちてました」 「はあ~良かった」 おもわず表情が緩んでしまう。 「錦さんそんな表情はじめて見ました」 「すみません。つい気持ち悪い顔に」 「いやいや素敵な表情ですよ」 「最近、僕の行く先がいつもピカピカなんですけど、清川さんですよね?」 「は、はい」 「やっぱり。ありがとうございます。おかげで気持ちよく仕事させてもらってます」 「ちょっとでもお役に立ちたいと思って。最近あの上司さんは何かしてこないですか?」 「少々あたりは強いけれどなんか慣れてきました。清川さんもあれから迫られたりしてないですか?」 「はい。彼を見たらちょこまかと逃げることにしているので」 「良かった。とんだ変態野郎ですから気を付けてくださいね。何かあったら私に言ってくださいね」 「ふふ、わかりました」 「では、お仕事の邪魔をしてはいけないので」 清川さんは少し残念そうな顔をしながらも 「はい。遅くまでお仕事お疲れさまでした」 と無理に微笑んだ。 カチッ あれ…?何も見えなくなった。真っ暗だ。停電? やっぱりそうだ。廊下も真っ暗だ。何にも見えなかったが、だんだん目が慣れて少しだけ輪郭が見えるようになった。 「びっくりしました。停電ですね」 「そうみたいですね」 「掃除もできないですし、もうちょっとお話してましょうか」 「はい」 なんとなくだが、彼は微笑んだ気がした。 「この仕事をしてると、家族や数少ない友達に文句を言われるんですよ」 「えっ」 「清掃員だなんて。そんな仕事辞めてちゃんとした仕事につけって言われるんですよ。ちゃんとしたって何でしょうね? 清掃員はちゃんとしてないんですかね。確かにこの年でこの仕事をしてる人は少ないでしょうが。世間一般的には変だというのも実は少しわかっています。でも、僕は好きでこの仕事をやってるんです。得意なことだし、好きなことなんです」 「うん。私もそういう職業差別はよくないと思う。偏見ですね。私は清川さんの掃除の出来のすばらしさについて知っていますから。あなたは誇りをもって清掃員をやってていいと思いますよ。自分で決断して、自分で選んだ道なのですから。しかも、好きで得意なことです」 「ありがとうございます。すみません。愚痴を聞いてもらうような感じになってしまって。つい錦さんには何でも話してしまいます。錦さんのそばにいると安心するんです。それと同時にドキドキも…」 「ドキドキも…?」 「あっ…あの…僕コミュ障だから…です」 「あ、なるほどですね」 「清掃員だと人と話さなくてもいいっていうのもあるんです」 「でも、それはちょっともったいないと思います。せっかくイケメンなんですから、もっといろんな人と交流を持つと楽しいと思いますよ。無理にとは言いませんが、結局生き方を決めるのは清川さん本人ですから」 「はい。じゃあもうちょっとがんばってみます。僕もこれはなおしたいと思ってるので」 「こういう風に普通に話せてるんですから、きっとなおりますよ」 「それはやっぱり錦さんだからですよ。丁寧な物腰だし、優しいし、とても話しやすい。エリートサラリーマンっていう感じでかっこいいし、イケメンだし、スタイルもいいし、目の色もきれいだし、セクシーな感じがするし…」 「ちょっと、恥ずかしいからそこまでにしていてください。申し訳ありませんが私はそんなたいした人間じゃありません」 「顔赤いですね」 「え、見えるんですか?」 「見えないです」 「からかわないでください」 私は顔を隠した。 「私なんてろくな人間じゃないですよ。いろんな人を傷つけてきた」 「そんなこと言わないでください」 ん…? 手を握られている? うっすらだが、彼の真剣な顔が見える。 「錦さんは僕の特別な人です。ろくな人間じゃないわけありません。誰でも人を傷つけて生きてきてます」 彼の体温がポカポカと伝わってくる。あったかい。仕事の握手とかではなくこういうふうに手を握られたのなんて何年ぶりだろう。 「私は特別なんですか? なぜ…?」 「それは…あの…」 「?」 「秘密です」 「え、秘密?」 清川さんは私の手を離した。手はしだいに冷たさを取り戻していった。もう少し握っていてほしかったと思った。 「すみません。変なことして。気持ち悪いですよね。本当にごめんなさい」 「え、いや…」 真っ暗だが、うっすらと見えるのと気配でわかる。清川さんはすくっと立って、暗闇の中を歩いて離れていく。会議室を出て行ってしまった。廊下もどこもかしこも真っ暗なはずだ。暗い中、急にどこへ行ってしまったんだろう。 パチッ 電気がついた。会議室のドアを開けて清川さんの姿がないか見てみるが見当たらない。何だというだ。混乱だけが私の頭を支配している。電気がついて、職場はいつも通りにそこにあった。  あれからなぜか清川さんの姿を見ない。私を避けているのか? なぜだ。私は彼の気の触るようなことをしたか? 全然わからない。彼と結んだ友好関係がなぜか一瞬にして途切れかかっている。心臓に穴が空いて、すーすーとすきま風が吹いている感じがする。 次に会ったのは、1カ月後の会社の飲み会だった。清川さんは清掃員で普通は参加しないのだが、あまりの人気に(主に女性の)特別ゲストとして呼ばれたみたいだ。彼の周りにはチャンスだとばかりに集まった女性がギラギラとお互いをけん制しあっていた。あれはあれで居心地が悪そうだ。せっかくなので話しかけたいが取り巻きによって完全な壁ができていて無理そうだ。私は気の合う同僚たちと話すほかなかった。なぜだか、今日はいつも以上にお酒を飲んでしまった。清川さんのことで落ち込んでたからだろうか。私は珍しく酔っぱらって、自分が何を話してるかさえわからなくなってきた。同僚の心配そうな顔がぼやけて抽象画みたいに見える。 「おい、大丈夫か」 「もう飲まない方がいいと思うぞ」 と口々に言っている。私はゲラゲラ笑って 「大丈夫、大丈夫ですよう」 とろれつのまわらなくなってきた口で言う。もうどうにでもなってしまえ。グルグルと次元が渦巻きだした。ブラックホールにでもなんでも吸い込まれればいいんだ。自分なんて。  目を開けると、見知らぬ場所にいた。ホテル? さっきまで会社の飲み会にいたはずだが。頭がガンガンする。飲み会からの記憶がない。一人でここに来たのだろうか。あれ、ちょっと待て。2人分荷物があるように見える。(荷物からして男?)そして、シャワーの音が聞こえる。私は恐る恐るシャワー室まで行ってみる。誰かがシャワーを浴びてるのは確実なようだ。思い切って、シャワー室のドアを開けてみる。なんてことだ。清川さんだ。清川さんは驚いてこちらを振り向いたが、私は彼の裸に気恥ずかしくなってドアをすぐ閉めた。私は混乱して、とりあえずベットでフリーズしていた。シャワーを浴び終わった清川さんがこっちに来た。濡れた髪がまた艶やかだ。バスローブに着替えている。いつもは見ない胸元が開いている。 「大丈夫ですか? 錦さん。シャワー浴びます?」 「あの、これはどういう状況ですか? お恥ずかしながら全然先ほどまでの記憶がないのです」 「……。錦さんが飲み会で酔いつぶれてしまったので、心配になって〈僕彼と親しいので家まで送り届けます〉と言って、飲み会を出たんです。家を知ってると嘘をついたのは、心配になったのもありますが、飲み会から脱出したかったというのもあります。で、外で住所を聞いたら、錦さんが言ったんですよ。ホテルで休みたいって。で、僕が帰ろうとしたら気分が悪いから付き添ってくれって」 「そうだったんですか。すみません。迷惑をおかけしました」 「いつまでたっても起きないので時間も時間だし、休憩じゃなく泊まりに変更しておきました」 「そ、そうですか」 「前のままではどうかと思っていたので、この際ゆっくり話しませんか?」 「私も少々気になっていました。酒と汗臭いと思うのでシャワー浴びてきます」 「はい。待ってます」 シャワー室へ向かい、シャワーを浴びる。何もかもが流れていく。脳が少し冴えてきた。しかし、なんてことだ。清川さんとホテルで二人だなんて。どういう状況だこれは。自分がこういう状況にしたのだが。これではまるで…。タオルで体をふき、バスローブに着替えた。清川さんはソファーに座りテレビを見ていた。私に気が付くとテレビを切り、 「錦さん。こっち来てください」 と自分の横をポンポンしている。私はそこに座る。ちょっと距離が近いような。 「単刀直入に言ったほうがいいですよね?」 「? 何のことかわからないですがその方がいいかもしれませんね」 「こんなとこで言いたくなかったんですが…」 「はい」 「僕錦さんのことが好きなんですよ」 「はい。え? 好きというのは?」 「恋人に思う方の好きです」 「な…」 「やっぱり。気持ち悪いですよね。ごめんなさい」 「いえ、そんなことは。清川さんは同性愛者なのですか?」 「はい。すみません」 「謝ることなんてないですよ。ちなみに私は同性愛者ではないです」 「そうですか…」 清川さんはしゅんとしている。 「でも、清川さんは特別で、そういう好きなのかもしれないです」 「えっ…」 清川さんの目が輝いた。 「僕も錦さんは特別です」 「あのとき言ってましたね」 「あのときはすみません。あんな風にはぐらかして急に去ってしまったのは自信がなかったからです。実は以前、同性の方にふられたことがあって。それがトラウマで。またああいう風に錦さんにふられるぐらいなら、普通の関係でいいのではないか。でも、この思いを隠し続けるには心が苦しい。と、がんじがらめになってしまって」 「そんなことがあったんですね。つらかったでしょう。でも、清川さんをふった人に対いて私は感謝してしまいます」 「え」 「彼が清川さんをふってくれないとこういう関係にはなれなかったですから」 「錦さん…。キス…していいですか?」 清川さんの端正な顔が近づいてくる。唇を見ているからか、伏し目がちで長いまつ毛が強調されている。彼の目が閉じられ、私も目を閉じた。やわらかな唇の感触があった。優しく探り合うキスが続いた。彼は恐る恐る舌も入れてきた。彼の舌を受け入れ、自分の舌を重ねる。艶めかしいキスにだんだん体が熱くなっていく。清川さんは私をベッドに誘導して、押し倒した。 「あの、我慢の限界なんですけど、錦さんが嫌ならやめます] 「だ、大丈夫です。来てください。初めてなのでお手柔らかに」 「はい…かわいい錦さん」 バスローブを優しく脱がされ、清川さんも脱ぐ。白く適度に引き締まった体が美しい。 「あの…」 「どうしました? やっぱりやめときます?」 「灯りを暗くしてください。恥ずかしいです…」 「ふふ。わかりましたよ」 灯りが暗くなる。清川さんはよく慣らしたあと入れてくれた。気持ちいいのか疑問だったが、気持ちよかった。それに大好きな人との交わりだ。肌が触れ合ってるだけでも幸せだ。  翌日の朝、ホテルから直接二人で出勤することになった。昨日着た服になるので少々臭いのが気になるが、そんなことどうでもよくなるぐらい気分は晴れやかだった。天気も良くすがすがしい朝だ。会社の人に見られたらどうやって言い訳するか二人で笑いながら話し合った。

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