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神様の家出

 俺にはすごく変わった恋人がいる。  図々しくて無神経でチャラチャラしていて、そのくせ妙に憎めない。  そもそも、そいつは人間じゃない。    俺の恋人は、貧乏神をやっている。                     〇  天気予報では降水確率0%だったはずなのに、勤務先であるカフェバーを出ようとした瞬間にゲリラ豪雨が襲ってきた。  こんな日に限って鞄にうっかり折り畳み傘を入れ忘れて、駅まで濡れながら走る。  終電前の駅のホームはいつもより混んでいて、そこら中むっとする湿気に満ちていた。  嫌な予感をひしひしと感じながら階段を下りていると、案の定、後ろを歩いていたおっさんが派手に滑った。 「うわっ!?」  思い切り体当たりして来たおっさんの衝撃に耐えたものの、転がりかけたおっさんにシャツを掴まれ、ボタンがはじけ飛んだ。  ペコペコ謝るおっさんを振り切って、ちょうどホームへ入ってきた電車に飛び込む。  ほっと息をつく間もなく、後ろからどやどやと入ってきた酔っ払い集団に囲まれてしまった。  派手にえづく酔っ払いどもに生きた心地もしないまま、何とか地元の駅にたどり着く。  容赦なくざあざあ叩きつけてくる雨は、ちょうどアパートにたどり着いたころにピタリとやんだ。  ぼたぼたと水滴を滴らせながら、玄関の鍵を開けて部屋に滑り込む。 「……コウ?」  真っ暗なワンルームの部屋はしんと静まり返って、誰もいない。  俺はびしょぬれのまま、小さくため息をついた。  居候で恋人のコウがふいと居なくなって、そろそろ一ヶ月が経とうとしている。  居なくなる前の晩に、俺とコウはちょっとした言い争いをした。原因なんかもうろくに覚えてないくらいの、些細な喧嘩だ。  ぎくしゃくしたまま仕事に出て、帰ったらコウは姿を消していた。  そもそもマイペースな奴で、ぶらりと二、三日居なくなることはよくあったので、最初は特に気にしてなかった。  一週間を過ぎた頃から、何となく落ち着かなくなった。  二週間経った頃から、帰宅してドアを開ける前に深呼吸するようになった。  三週間に入ったあたりから、家にいるときにきょろきょろと辺りを見回す癖がついた。  とうとう今日は、カフェバーのマスターに「目の下のクマすごいけど、大丈夫?」と言われてしまった。  ベッドに寄りかかったまま、俺はぼんやりとしていた。着替えて何か食べないと、と思いつつも起き上がる気力がわかない。  広くもないはずの部屋が妙にがらんと空虚に感じる。  こんな時、普通の相手なら電話をするなり、実家なり友達の家なり、居そうな場所に見当をつけて探しに行ったりするんだろう。  だけど、コウは普通の人間どころか、人間ですらない。 「神様を探すときっていったいどこへ行ったらいいんだ?……神社か?」  言ってはみたものの、コウと神社なんて死ぬほど合わない。本人が聞いたら馬鹿笑いしそうだ。  俺は首を振って、もそもそとベッドにもぐりこんだ。                〇  次の日は休みだった。昨日の豪雨が嘘みたいな快晴だ。  家にいても悶々とするだけなので、俺はぶらりと散歩に出かけた。 「こんないい天気、久しぶりだな……」  明るい陽の光を浴びてのんびり歩いていると、少しは気分が上向きになってきた。  自動販売機を見つけて、何気なく缶コーヒーを買おうとボタンを押す。  突然華やかな音楽が自動販売機から流れ、俺はぎょっとした。 「あらお兄さん、ツイてるね。当たりだ」  通りすがりのおばさんが俺の手元を覗き込んで言った。 「あ、当たり!?」 「そうだよ、ほら好きなボタン押しなよ。もう一本、タダだよ」  俺は呆然とした。自販機で当たりを出すなんて、初めてだ。  おばさんの弾む声と裏腹に、ひやりと冷たい感触が心を掠めた。 「……俺はいらないんで、良かったら好きなもの押してください」 「え、いいのかい? ありがとうお兄さん」  俺は缶コーヒーをポケットに突っ込んで、足早にその場を立ち去った。  何だか落ち着かなくて、目についた喫茶店に飛び込んだ。  ドアを開けた瞬間、けたたましいクラッカーの音が俺を迎えた。 「おめでとうございます! あなたはこの店を訪れた1万人目のお客様です、どうぞ!」  俺は唖然としたまま記念品を受け取った。     その後も次々と不思議な偶然が俺を襲った。買い物をすれば店のおばちゃんがおまけしてくれ、ふらりと入った書店では好きな作家の新刊がちょうど出ていて、財布は拾うわ美人に逆ナンパされるわチョコボールは金のエンゼルが出るわ(財布は交番に届けたし、俺はゲイなのでナンパは丁寧に断った)、とにかくおよそ幸運とされるできごとが一気に押し寄せてきた。 「……何なんだ、いったい」  やっとのことで家に帰り着いた俺は、両手に抱えていた様々な記念品を放り出してベッドに倒れこんだ。  とにかく行く先々の店の「●●人目」を踏みまくったのだ。もしパチンコ屋か競馬場にでも行っていたら、大当たりが出ていたのではないだろうか。 「とりあえず、茶でも飲もう……」  体を起こしたとき、ひらりと紙切れがポケットから滑り落ちた。立ち寄った神社で引いたおみくじだ。  『大吉』と書かれた赤い文字が目に飛び込んできて、更にずんと気分が沈んだ。 「……やっぱり、いなくなったのか?」  貧乏神であるコウが傍にいるようになってから、俺には常に不運とか言いようのないトラブルが付きまとってきた。  裏返せば、不運が続いているうちは、近くにコウがいるってことだ。  それなのに、今日は全く逆のことばかりが起こった。  考えないようにしていた言葉が、頭の中いっぱいに広がっていく。  コウはもう俺といるのが嫌になって、本格的に遠くに行ってしまったんだろうか。 「……どこ行ったんだよ」  俺はぎゅっと『大吉』を握りつぶした。 「神様なら大人しく神社にいろよ、バカ……」    あんなにツイている一日だったのに、神社の中をどれだけウロウロしても、名前を呼んでも、コウは出てこなかった。  だったらもう、どこへ行ったら会えるのかなんてわからない。  相手は人間ですらないんだから、道を歩いていて偶然出くわす、なんてことすら期待できない。 「……もう、どうしようもない、のか」  この喪失感は経験がある。ずっと好きだった相手が事故で死んだときに、真っ暗な泥のような感情が襲って来て息もできなかった。  また、この苦痛に耐えなければならないのか。 「コウ……」  苦しい。  辛い。  どうしてこんな―― 「コウッ……!」 「なに?」  ――とうとう幻聴が聞こえたのかと思った。 「うわっ、何この大荷物!? サンタでも来た?」  そろりと顔を上げる。  放り出した記念品の山。その真ん中に、コウが立っていた。 「よっ、ユキオ。灯りもつけないで何やってんの?」 「……お、……お前」  俺はぽかんとしてコウを見上げた。目の前の光景に頭が追いつかない。 「うわー、ヒデー顔! アンタほんと良く泣くなあ、その図体で。今度はどーしたの? あのバー、クビになった?」 「な、なってない!」 「あっそ。んじゃ、何で泣いてんの」 「な……何でって……」  覗き込んでくるコウに、俺はパクパクと口を開け閉めし――手にしていた『大吉』の紙を思いっきり投げつけた。 「わっ、なに!? 何だコレ、おみくじ? あっ、大吉じゃん」 「お、お、お前のせいだろ!?」 「は? オレ?」 「お前がいきなりいなくなるからっ! すぐに戻ってくると思ったら、全然帰ってこないし! いい加減限界になってたのに、今日なんか、いいことばっかり起きて……もう、本格的にどっかいっちまったのかと……」  コウはおみくじを持ったまま、目をぱちくりさせた。 「え、それで泣いてたの? オレがいなかったから?」 「なっ……」  俺が絶句すると、コウはがしがしと頭をかいて、勢い良く手を合わせた。 「ごめん! いや~予想外にテストが長引いてさあ」 「て……テスト?」  予想外の単語に、とんでもなく間抜けな声が出た。 「そ、神様のランクアップテスト。で、見事合格! オレ、今日から福の神!」 「……それじゃ、俺が今日バカみたいにツいてたのは」 「オレのおかげでしょ。さっそくご利益ありか、いい感じじゃん」  俺はぽかんとして能天気な笑顔全開のコウを見つめた。 「……ケンカしたこと、怒って出てったのかと」 「は? ケンカなんかしたっけ?」 「してただろ……!?」  コウは少し考え込んで、両手を上げた。 「あーダメ、オレそういうのすぐ忘れるタイプ。てか、ケンカくれーでアンタに愛想尽かすわけね―でしょ、今さら」  そうだ。  こいつはこういう奴だった。  いろんな感情がごちゃまぜになって、俺は深々とため息をついた。 「……お前って、ほんと迷惑な奴……」 「あーっ、何だよそれ。言っとくけど、テスト頑張ったの、ユキオのためなんだからな」  コウは口を尖らせた。 「俺のため?」 「アンタ、元々笑っちゃうくらい不運でしょ。オレが傍にいたらうっかり死にそうじゃん」 「……バカにしてんのか?」 「何でよ。一緒に居たいから頑張ったって話」  思わず言葉に詰まった俺を、コウは覗き込んだ。 「オレのパワーで、ユキオの辛気臭さ相殺できるといいなって」  いちいち引っかかる物言いでドヤ顔のコウを見ていると、さっきまでの最低な気分がいつの間にか綺麗に消え失せているのに気付いた。 「でさ、テスト内容が死にかけのバーさんを幸せにしろって内容なの。もうつきっきりで世話……」  俺は目の前の恋人を抱き寄せた。 「お?」 「……何の連絡もなしに一ヶ月は長すぎだろ。……神様なんて、どこ探したらいいのか分かんなくて大変だったんだぞ」  コウの身体はひんやり冷たくて、雪の匂いがする。 「オレのこと探したの? どこ行ったん?」 「……神社とか」 「マジで言ってんの? オレ、どう見ても神社キャラじゃねーし!」 「笑うな!」  コウの腕が優しく俺を抱きしめた。 「わりーわりー。アンタ、ほんと可愛すぎ。 ……ただいま、ユキオ」  俺は目を閉じた。ひたひたと温かなもので心が満たされていく。 「なあ。……もう少し、こうやっててもいいか?」 「は? ヤダよ」 「えっ」  ぎょっとして目を開けた時には、ベッドに押し倒されていた。  コウがのし掛かってくる。 「相変わらずオトメだな~ユキオは。でもオレ、それじゃ全然足りねーから」 「お、おい、ちょっと、コウ……」 「確かに、アンタの言うとおり一ヶ月は長すぎたわ。今夜はじっくり穴埋めしようぜ」 「いや待て、もっとムードっていうか情緒っていうか」 「そんなん待ってらんねーくらい、アンタが欲しいんだけど?」 「待て、まてまて、ちょっとま……こ、コウっ……!?」  ――俺にはすごく変わった恋人がいる。  図々しくて無神経でチャラチャラしていて、そのくせ妙に憎めない。  そもそも、そいつは人間じゃない。    俺の恋人は、神様をやっている。

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