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第1話

 森の中を大勢の人間が駆け回っている。 「そっちに行ったぞ!」  叫びを受けて散開した部隊が追い詰めた獲物の前に、大柄で肉厚な男が不敵な笑みを浮かべて立った。平均値よりも頭ひとつぶん背が高く、たくましい体つきは大型の肉食獣を思わせる。がっしりと張り出した顎と、底から伸びる太い首。それを支える肩は広く、みっしりとした胸板へと続いている。  獰猛さを含んだ笑顔をしているが、ほのかな愛嬌を感じるのは、よく見れば童顔であるからかもしれない。紫色の瞳と、こぶしを呑み込めそうなほど大きな唇は、好奇心旺盛な子どものようだ。茶色の短いクセ毛が好き放題に跳ねているのも、その印象を強めていた。  よく日に焼けて褐色の肌をした彼は、充分に盛り上がっている胸筋を誇るように胸をそらせて、ゆったりと獲物に向かった。獲物は頭部に魅惑的な人間の女の姿を掲げた、巨大なクモのバケモノだった。欲情をそそる甘い香りを放って人間の男を惑わせて、充分に引き寄せたところを喰らう魔物だ。 「悪ぃなぁ。俺にゃ、そういうのは効かねぇんだ」  白い歯を見せた男は土を蹴り、魔物に迫る。威嚇の声を発した魔物の爪が男に迫った。腰を低くしてくぐりながらも足を止めず、魔物の目に剣を突き立てる。 「おぉおおっ!」  叫びを上げる魔物の声を聞きながら、剣をひねって横なぎに振るうと大量の体液が吹き上がった。飛び退って間合いを取り、魔物の痙攣が収まるのを待つ。 「やりましたか?」  背後から近づいてきた兵士のひとりに声をかけられ、動かなくなった魔物の傍へ近づいた男は、つま先で魔物を蹴った。その瞬間、魔物の頭部にあった女体が動き、男のヘソのあたりに手を伸ばす。 「うおっと」  とっさに身を引いたが指先が腹に触れて、じんわりとした熱を感じた。怪我をしたかと腹に手を当てたが、なんの変化もない。 (体温を感じただけか)  ふうっと息を吐いた男は魔物の頭部をえぐって核を回収し、魔物の肉体が砂塵となって消えるのを見届けると、森の中に朗々と声を響かせた。 「任務は終わりだ。引き上げるぞ」  応と答えた声はどれも誇らしげだった。  * * * 「てなわけで、無事に退治をしてきたぜ」  男がいるのは、昼間だというのにランプを煌々と照らしている、レンガ造りの壁の室内だった。ひんやりとした空気が漂っているのに、生ぬるく感じるのは部屋の雰囲気のせいだろう。  そこここにガラス瓶で育てられている植物があり、奥にはカビの匂いがしそうな古い書物がずらりと並ぶ本棚があった。窓はなく、時間が停滞している気分になる。森の中で魔物を追いかけていた男には、まったくそぐわない場所なのだが、彼は勝手知ったる様子で清潔なシーツにおおわれている、治療や検査のために使われる簡素なベッドの上に、あぐらをかいて座っていた。  彼の前には、魔物の核をランプの明かりにかざしながら、ためつすがめつしている痩身の男がいた。いかにも生真面目な研究者といった風情の、怜悧な瞳をした青年だった。細い顎に似つかわしい長い首と、身幅の薄い体。肌は白く、髪はそれを際立たせるかのような、艶やかな漆黒だった。肩まである髪に輪郭を囲まれている彼は、実際よりも華奢に見える。 「ほかに、変わったことは?」  魔物の核をながめていた男の青い瞳が、ベッドに座る男の上に移動した。 「特にねぇな。怪我人もいないし、上等だろう?」  ニヤリと屈託なく男が笑えば、青年は冷ややかに鼻を鳴らした。 「それがカヒトの任務だろう。おまえは兵団長なのだからな」 「そんで、俺らがやっつけた魔物の核を有効活用するのが、王宮魔導士リアノの役目だ」  ちいさくうなずいたリアノが、魔物の核をテーブルに乗せる。球体の核の中で、紫色の雲に似たものがゆったりと渦を巻いた。 「ずいぶんと人を喰らった魔物のようだが、本当に何事もなかったんだな」  念を押されて、カヒトは視線を斜め上に投げて記憶を探った。 (最後の、腹に触れられたってのは、大したことじゃねぇしなぁ)  こと切れたと思ったが、まだわずかに息があっただけのこと。傷を負ったわけでもないし、見極めが浅いと非難されそうなので、黙っていることに決めた。 「ああ。みんなで追い詰めて、俺の剣でブスリよ。核だって、ちゃんとそこにあるだろう?」  顎で核を示したカヒトに、リアノがもの言いたげな顔をする。 「なんだよ。なんか、気になることでもあんのか?」 「いや。報告を聞く限り、問題はなさそうだ」 「だろう? だったら、いいじゃねぇか。それよかさ、いい酒が入ったってシュオウから連絡があったんだよ。たまには外に出ねぇと、脳みそにカビが生えちまうぜ」  行きつけの店の名前を出して、カヒトはニヤリと歯を見せた。  ベッドから下りたカヒトの誘いに、リアノは表情も変えずに背を向ける。 「ああいう不特定多数が騒ぎ立てる店は好かん」 「店の隅っこでチビチビ飲めばいいだろう」  振り向いたリアノは、ギラリとカヒトをにらみつけた。 「おっ?」 「おまえは、自分が目立つという自覚がないのか。誰彼構わず愛想を振りまくせいで、どこに行っても気軽に声をかけられるだろう。そんな相手と共に、静かに飲めるとは思えんな」 「なんだよ。別にリアノに愛想よくしろなんて、言ってないだろ? うまい酒を飲んで、飯を食うだけなんだしよ」 「それだけで済まないから、断っている」 「ふぅん? なら、まあ……酒の持ち帰りができるか、聞いてくるわ。リアノにフラれちまったし、部下のねぎらいでもするとすっか」  腕を天井に向けて伸びをしたカヒトの耳に届かぬくらいの小声で、リアノは「どうせ自然と、そうなっていただろう」とつぶやいた。彼とふたりで飲もうとしても、誰かがかならず声をかけてくる。気がつけば己は蚊帳の外になり、黙って消えても気づかれない状態になるのは目に見えていた。 「ん? なんか言ったか」 「空耳だ」 「そうか。ま、いいや。ちゃんと飯は食えよ」  じゃあなと部屋を出ていくカヒトの背中に向かって、リアノが「人の気も知らずに、のんきな奴だ」とぼやいた声は、閉じられた扉に当たって床に落ちた。  * * * 「っ、はぁ! うめぇ」  ぐいっと腕で口を拭ったカヒトの前には、脂滴る肉の塊や魚の蒸し焼き、野菜や果物などが、所狭しと並んでいた。むろん、彼だけがテーブルについているわけではない。彼の周囲には屈強な男たちがたむろしており、その間を酒場シュオウの店員が、満面の笑みをたたえて泳ぐように行き来している。 「おうい、こっちにも酒をくれ!」 「はぁい」  ビアマグを手にした店員が愛想よく返事をして、すぐに追加の酒が運ばれてくる。酒場の二階は兵団の者たちの貸し切り状態になっていた。 「くっはぁ、うめぇ」  空になったビアマグを店員に突き出して追加を求めたカヒトは、酒と料理を持ち帰りたいと耳打ちした。 「リアノ様の分ですね」 「おうよ。あいつ、ほっといたら飯も食わねぇで研究に熱中するからよ。遊びに夢中になるガキみてぇだよなぁ」  クスクス笑うカヒトに、まぶたの動きで返事をした店員が去っていく。 「兵団長! まだまだ飲みが足りないんじゃないですか」 「なぁに、まだまだこれからよ」  グイッと酒をあおったカヒトは、肉の塊に手を伸ばし、ふと下腹部に違和感を覚えた。 (なんだ?)  ヘソの下あたりが、じんわりと熱を持っている。最後に魔物が触れた場所だと思い出し、肉に向けていた手を腹に置いた。 「兵団長?」 「ん……なんでもねぇ」  さすってみても、痛みはない。任務の後、リアノに会う前に湯を浴びて着替えをしたが、傷はなかった。酒が入って腹がぬくもっただけだろうと結論づけて、食事に意識を戻したカヒトは周囲の異変に気がついた。  なにやら、視線が自分に集まっている。見られることに慣れてはいるが、いつも向けられている尊崇や憧れといったものではなく、熱っぽく、ねばついた気配があった。いったいなんだと思っていると、部下のひとりが鼻をうごめかせながら近寄ってきた。 「なんか、兵団長、すんげぇいい匂いしますねぇ」 「は?」 「甘ったるくて、こう……クラクラするっていうか、体の奥に沁み込んできてガツンとくる、みたいな」 「なんだよ、そりゃあ。酒か料理の匂いじゃねぇのか」 「違いますよ。絶対に兵団長から匂ってきます。すんげぇ、いい匂いしてますよぉ」  うっとりと泥酔したような口調で言われて首をかしげたカヒトは、自分の腕を嗅いでみた。だが、別になんの変哲もない。 「兵団長の匂いを嗅いでたら、なんかこう、体が熱くなってきちまいました」 「すげぇ、ムラムラしてくるっていうか」 「てか、兵団長って、めちゃくちゃ色っぽいですよね」  とんでもない発言に絶句したカヒトの胸筋に、部下の手が乗せられる。 「ほどよい弾力と盛り上がり、すげぇエロいですし」 「ああ、それは俺も思ってた! てか、ずりぃぞ。俺も触らせてくださいっ」 「へっ? え、ちょ……なんだよ、おまえら……ちょ、待てって、おいっ」  前後左右から伸びてきた手に胸筋を撫でさすられて、とまどうカヒトの太ももにも部下の指が乗せられた。 「太ももだって、みっしりモチモチで色っぽいですよねぇ」 「がっしりしてんのに、腰はキュッと引き締まってて、すげぇそそられるなぁって思っていたんです」 「豪快だし、すげぇ強いから見落としがちですけど、兵団長って美人っつうか、可愛い顔してますしねぇ」  そうそうと同意をする部下たちの態度が異様すぎて、頬をひきつらせたカヒトはイスを蹴立てて立ち上がった。 「お、おまえら、なに言ってやがんだよ」 「前々から、ずっと思っていたんですよ」 「俺だって」 「なぁ」 「実は、こっそり兵団長をオカズにしていた連中も、少なくないと思います」 「オ、オカズって」  上気した頬とギラついた瞳に性的なものを見つけて、カヒトはゴクリと喉を鳴らした。 (こ、こいつら……俺をそんな目で見ていたのかよ)  背中に冷たい汗が流れるのと同時に、ヘソの下が熱を発する。 (まさか)  魔物は最後に呪いをかけたのではと、腹を抑えたカヒトは部下たちの腕から逃れて酒場から外へ飛び出し、星明りの下を全力でリアノの研究室へと向かった。 「リアノ!」  王宮の城門を抜けて裏庭へ回り、地下への階段を転げるように下りた勢いのままで扉を開ける。息を切らせて室内に入ったカヒトは、机に向かっているリアノの肩を両手で掴んで乱暴に揺さぶった。 「部下が変なんだ! つうか、俺がそうなのかもしれねぇが」  眉をひそめたリアノが、静かに薄い唇を動かす。 「私からすれば、おまえも部下たちも奇妙な存在なんだがな」 「そういうことじゃねぇって! なんか急に、あいつらが俺のことをエロい目で見ていたとか言い出して、胸とか脚とか撫でてきてよぉ」  キュッとリアノの目元が険しくなる。困惑しきっているカヒトは、気がつかなかった。 「もしかして魔物の呪いじゃねぇかと思って、逃げてきたんだ」 「呪いを受けたと感じることが、あったんだな。なぜ、報告しなかった」 「う……たいしたことじゃねぇと思ったんだよ」  うなだれて、カヒトは腹に触れられた話をした。きつい目で話を聞き終えたリアノにうながされてベッドに行き、あおむけになったカヒトは不安を顔中に広げて唇を尖らせる。 「傷もなかったし、別段なんともなかったんだよ」 「見た目ではわからないこともある」  ピシャリと言われたカヒトは首をすくめた。兵団長を務めている彼を遠慮なく叱りつけられるのは、幼馴染で気安い間柄のリアノしかいない。部下のいる前ではカヒトの立場をおもんぱかって、物言いを多少は和らげるリアノだが、ふたりきりだと容赦はなかった。 「じっとしていろ」  命じられたカヒトは、服をめくってズボンのボタンを外すリアノの細い指をながめた。腹部があらわになり、ヘソの下を見てギョッとする。 「なんだよ、こりゃあ」  そこには、くっきりと入れ墨が掘られてあった。 「エビ……いや、あの魔物の輪郭か」  胴体部分を表していると思われる楕円形からは左右に四本ずつの線が伸びており、疑似餌の女体らしき部分は細長い曲線で描かれている。それは爪のない太ったエビを思わせる図柄だった。  顔を近づけたリアノは匂いを嗅ぐと、指の腹で線をなぞった。 「ん、くっ」  ビクンとカヒトが反応する。 「痛むか?」 「いや、痛くはねぇが、くすぐってぇ」 「それだけか」  問いながら、リアノは指を動かして彼の反応を確かめた。 「っ、ふ」  滑る指に合わせてゾワゾワと悪寒に似た甘美なものが湧き上がり、カヒトは指を握った。 「どうだ」 「んっ、やっぱ、くすぐってぇ……つか、これ、呪いなのか」 「まあ、呪いと言えば呪いだな」  明言しないリアノに、カヒトは渋面になった。 「魔物の特性を移されたと言えばいいか」 「はぁ?」 「つまり、あの魔物の特技を刻まれたということだ」 「もっと、わかりやすく言ってくれよ」  体を起こしたカヒトの肩に、リアノの手が乗る。軽く押されて、まだ寝ていなくてはいけないのだと悟ったカヒトはおとなしく従った。 「魔物の特性を思い出せば、すぐにわかる」 「特性?」  うーんとうなって考えるカヒトに刻まれた紋様を、リアノはなぞり続けた。ヒクッ、と細かく腹筋を波打たせたカヒトの体から、濃密な香りが立ち上る。 「あっ」 「わかったか」 「いや……その」  モジモジと言いよどむカヒトは視線を左右にさまよわせ、リアノは憮然と見下ろした。 「さっさと言え」 「ん、ううん」 「なんだ」 「ケツが」 「ケツ? 尻がどうした」 「変だ」  ふむ、と鼻を鳴らしたリアノが、カヒトのズボンを下着ごと一気にずらした。うわっと叫んで止めようとしたカヒトの手が宙を掴む。すぽっとズボンが足から抜けて、カヒトは体を丸めて股間を抑え、リアノに背を向けた。 「なんだよ、急に」 「尻がおかしいのなら、見てやらねばならんだろう」 「だったら、そう言えって……ヒッ」  尻に手のひらを当てられたカヒトが悲鳴を上げる。しゃがんだリアノは彼の尻をまじまじとながめた。 「どう、変なんだ」 「どうって、その……尻がなんか、漏れてるっつうか」 「漏れる? まさか……いや、少し待て」  言って離れたリアノは、右手に手袋をはめて戻ってくると、無遠慮に人差し指をカヒトの尻に突っ込んだ。 「ひょえっ、あ……リアノ……っ、う」 「ふむ、濡れているな」  グニグニと尻の内側をまさぐられて、うめくカヒトの股間が熱く硬く立ち上がる。ますます体を丸めたカヒトを、冷静な目で見つめたままのリアノは指を増やしてグチャグチャと奥をかき回した。 「ふぁ、あっ、あ……リアノ……そんっ、指……動かすなよっ、ぁ、あ」 「さらに濡れてきたぞ。まさか、孕むようになってはいないだろうな」 「はっ、孕むぅ?!」  すっとんきょうな声を上げたカヒトが、腰をひねって背後を振り向く。内部に呑んだ指がねじれて、柔らかな部分が刺激された。 「ふはぁっ、あ、ん」 「いい声で啼くじゃないか」  皮肉に頬をゆがめたリアノに、カヒトは顔を赤くした。 「は、冗談……っ、つか、ガキができるかもしれねぇって、どういうことだよ」  そろそろと身を起こしたカヒトの動きを阻止すべく、リアノは激しく指を動かした。 「んぁあっ、ばっ、ぁ……話……っ、してぇのに」 「わかっている。だが、まだ話ができるほど材料がそろっていない」 「んっ、ぁ…………リアノぉ」  指が動くたびに、液体と空気が混ざる音が立つ。こぶしを握ったカヒトは体の奥から湧き起こる未知の感覚に困惑した。 (俺、もしかして……感じてんのか?)  目玉の奥がグルグルと回転する。陰茎が熱くたぎってビクビクと痙攣していた。間違いなく快感を覚えているのだと確信して、カヒトは興奮する体とは裏腹に、心の中を蒼白にした。 (なんで、ケツで気持ちよくなってんだよ、俺は!) 「どうした。急におとなしくなったな」 「ひっ、ぃ……あっ、リアノ……っ」 「ガマンしろ。どうなっているか、探っている」 「んぁっ、あ、くぅ」 「声は抑えるな。反応をされた方がわかりやすい」  フフンと語尾を揺らしたリアノの表情は、見なくてもすぐにわかった。楽しんでいるなと羞恥と悔しさで腹を立てたが、どうしようもない。 「んぁっ、あ、は……っ、く、う……んっ、ぁ、う」 「指ではどうにも、奥まで届きそうにないな」 「は、ぁ、奥って……っ、く」 「この液体の出所だ。体の中までが変化をしたのなら、子を宿す臓器ができている可能性が高いだろう」 「ふ、ぁあっ、んっ、それ……あっ、そこぉ」 「なんだ。気持ちがいいのか」 「ちがっ、ぁ、ああう」  頭の芯を貫くほどに鋭い刺激が走って、ビクンと腰を跳ねさせながらの否定は説得力がない。 (やべぇ、このままじゃイッちまう)  尻をまさぐられて達するなんて恥ずかしすぎると全身に力を込めれば、リアノの指を強く締めつけることになってしまった。グリッと内壁をえぐられれば、背中がしなった。 「ひっ、あああっ」  ドクンと下肢が脈打って、ビュクビュクと快感の証がほとばしる。解放の心地よさを味わいながら、カヒトは頭の隅で「終わった」とつぶやいた。 「ふん? そんなに気持ちがよかったか」  うるさいと怒鳴る気力も失って、おとなしく横たわっていると尻から指が抜ける。 「カヒト。こちらを向け」 「なんでだよ」 「拗ねるな」 「拗ねてねぇよ」 「声が拗ねている」 「気のせいだ」 「とにかく、体を見せろ」  自分の精液で濡れた体を見せたくなくて動かずにいると、尻をピシャリと叩かれた。 「紋様がどうなっているのか、確認させろ。このままでいいのなら、もう知らん」  いいわけがないので、恥ずかしさを噛みしめながら、カヒトはのろのろと仰向けになった。ふてくされて顔をそむけるカヒトの姿に、リアノの口の端が持ち上がる。 「次からは素直に従うんだな」 「なんだよ、その言い方はよ」 「医者に診てもらう場合に、遠慮をしていては治療などできないだろう。おなじだと考えろ」 「ううっ」  同意しかねてうなったカヒトの腹に、リアノの手が乗った。 「ほかの魔導士に診てもらうか」 「それは……っ、嫌だ」 「なら、耐えろ」  幼馴染であるから恥ずかしいのだが、彼でなければこんな情けない姿は見せられないと、カヒトは唇を噛んで目を閉じた。ヘソのあたりでリアノの手が動くのを感じつつ、自分の体はどうなってしまったのかと考える。 (本当に、孕むようになっちまったんなら、えらいことじゃねぇかよ)  あの魔物の特性はなんだったかなと思い出してみるも、人体を変化させるなんて特徴はなかったはずだ。人間の男を引き寄せて、近づいたところを丸呑みにする以外の情報は持っていない。 (引き寄せるためにフェロモンをまき散らして、色っぽい女の体を見せて腑抜けにさせたところで、食うんだったよな)  するとヘソの下に刻まれた紋のせいで、フェロモンを放つ体質になってしまったということか。そのせいで部下たちが奇妙なことを言いだしたのだとしたら納得できる。 (納得なんて、したかねぇけど)  ほかに考えようがないのだから、受け入れるしかないと薄目を開けると、眉間に深いシワを刻んだリアノが見えた。 「リアノ?」 「めんどうなことだな」 「なんだよ」 「呪いではなく、後継者扱いをされているのかもしれないぞ」 「どういうこった」 「あの魔物はクモに核を移して、形を成しただけに過ぎない可能性があると言ったんだ」 「けどよ、核は取り出して渡しただろ?」 「魔力が尽きる前に、おまえに移したとも考えられる」 「じゃあ、なにか? 俺の体も変化して、男を釣るためのエサが、どっかから生えるってことか?」  自分の体から女の体が生える姿を想像し、カヒトは顔をゆがめた。 「いや、それはない」  きっぱりとリアノが断言する。 「なんで、そう言い切れるんだよ」 「おまえの肉体そのもので誘惑できるからだ」 「はぁ?」 「実際、そうなったんだろう?」  忌々しそうに、リアノはカヒトのシャツをたくし上げると、盛り上がった胸筋に手を乗せて強く握った。ほどよい弾力に指がわずかに沈み、突起が指の股で擦れる。痺れに似た感覚を覚えて、カヒトは片目をすがめた。 「まさぐられたんだろう? こうやって」  揉まれて、カヒトは顔をゆがめた。濡れた指で乳首をつままれ転がされると、甘美な刺激が生まれて全身へとさざ波のように広がっていく。 「っは、そんなふうには、されてねぇよ」 「逃げ出さなければ、されていた」  断言したリアノは身をよじるカヒトの上に馬乗りになり、顔を近づけてささやいた。怜悧な瞳の奥に炎の揺らぎを見つけたカヒトは、ゾクリとして息を呑む。 「どんな気分だ?」 「どんなって」 「気持ちがいいのか」  キュッと乳首をひねられたカヒトの腰が跳ねる。 「ひっ」 「どうした」 「んっ、ぁあ、わかんねぇよ……つか、もういいだろう」 「きちんと答えろ。でなければ、判断ができない」 「ふっ、ぅ……リアノ……っ、ん」 「どうした」 「き、もちいい」  渋々と答えたカヒトに、リアノは満足気に首を縦に動かした。 「それでいい。これからは問いに素直に答えろ。体の変化で気づいたことがあれば、聞かれなくても報告しろ。いいな」 「う、う」 「返事は」 「わかったよ!」 「なら、いい」  生真面目な顔のリアノに、カヒトは眉を下げた。 (仕事とはいえ、ガタイのいい男の体なんざ、まさぐりたくねぇだろうしなぁ)  気の毒な役回りをさせているなと考えて、カヒトは申し訳なくなった。 「なんだ。急にしおらしくなったな」 「面倒をかけちまってんなと思ってよ」 「いまさらだ」  腰から下りたリアノは、濡れたカヒトの下肢を一瞥すると手袋を外して、テーブルの上に乗せている魔物の核に視線を置いた。 (もしも予測の通りなら、カヒトは男を誘うフェロモンを出すだけでなく、快楽に溺れやすい体になっている)  尻が濡れるのは、男を受け入れるためだろう。そしてその先にあるものは、子どもを宿して子孫を残すという目的だと予想できる。 (まずいな)  リアノはカヒトがそういう方面に疎いことを知っている。性欲が弱いわけでも、興味がないわけでもないが、さりげない誘いや視線にはまったくといって気がつかない。当人よりも周囲が気づくという例はよくあるが、カヒトはまさにそれだった。 (どうせ、あの紋のせいで部下がおかしくなったとでも考えているんだろうが)  もともと、彼に性的な目を向けている部下がいたことをリアノは知っている。体躯のいい男に欲情する男など、ましてや部下にそんな目で見られるなどと、カヒトは想像すらしていない。視線に気がついたとしても、色っぽいものを含んだものではなく、憧れのためだと勘違いをする程度だ。そのくらい、カヒトは鈍い。 (だが、だからこそ危険だ)  無防備になってしまう。今回は逃げられたからよかったものの、意志と反した体の反応に流されればどうなるか。 (任務先で発動すれば、無数の部下に抱かれてしまう)  ギリ、と奥歯を噛みしめたリアノは魔物の核を叩き壊したくなった。 (やっかいなものを刻んでくれたものだ)  カヒトは誰にも渡さないと、はらわたを煮えさせているリアノの背中に、カヒトの不安げな視線が触れた。 (よっぽど面倒な問題らしいな)  自分のために真剣に考えてくれているのだと、カヒトはリアノに感謝した。彼が優秀な魔導士になってくれてよかった。でなければ、こんなことを相談できる相手はひとりもいなかったろう。 (恥ずかしい上に、情けねぇもんなぁ)  幼い頃から親しみ、信用している相手だからこそ、さらけ出せるし親身にもなってもらえるのだと、体を起こしながらリアノを見つめる。 (頼りにしてるぜ、リアノ)  心の中で語りかけたカヒトは、あぐらをかいて紋をさすった。

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