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第3話

 * * *  朝日をたっぷりと取り込んだ明るい室内で、カヒトは姿見の前に裸身で立った。ヘソの下にはしっかりと奇妙な模様がついている。 「夢じゃなかったんだなぁ」  つぶやいて手のひらを当てると、ほんのりと温かかった。体の匂いを嗅いでみても、異変は感じない。そもそも自分ではわからないのではないか。 「ま、考えたってしかたねぇ」  調べるのはリアノの役目だ。自分は異変があれば報告をすればいい。そしてリアノに――。 (また、触られるのか)  ブルッと身震いして、ニヤリと口の端を持ち上げたカヒトは着替えを済ませ、兵士たちの詰め所に向かった。 「おはようございます」  顔を出せば、ビシッと背筋を正して迎えられた。面食らうと、彼等は気まずそうに顔を見合わせる。 「なんだ、どうした? 今日はずいぶんと真面目じゃねぇか」  からかうカヒトに、ひとりが一歩前に進んで顔色をうかがうように上目遣いをした。 「あの、昨日は……妙なことになってしまって、すみませんでした」 「すみませんでした!」  唱和した全員が直角に腰を折って頭を下げる。 「あー、あれなぁ」  頬を掻いて、呪いの紋について説明をするかどうかと考える。 (けどまぁ、俺の失態から危険ってことを学んでもらういい機会かもしれねぇし、黙っていても、いずれバレるかもしんねぇからなぁ)  軽く伝えるくらいはいいだろう。口止めをされているわけでもないしいと、カヒトは全員に顔を上げろと命じた。 「昨日の戦闘は覚えているな」 「はいっ!」  元気のいい声が返ってくる。 「最後に、俺が近づいたとき、女の姿をしていた部分が動いたのを見たヤツは?」  ちらほらと手が上がった。 「俺にその手が当たったところを見たヤツは」  手を上げているもののうち、半数が手を下ろした。 「よし。あの魔物は、最後の魔力を振り絞って、俺に呪いっつうか、なんかよくわかんねぇ印を刻んだ。どういう意味があるのかは、まだ調査中だ。だが、おまえらの昨日の妙な態度は、それが原因だったってことはわかった」  ざわざわと兵士たちが顔を見合わせ、ささやきはじめる。 「これは俺の油断が招いた結果だ。完全に仕留めたと思って、不用意に近づいた。これからはもっと、慎重にいかなきゃならねぇ。てなわけで、鍛錬をはじめるぞ!」  パンッと手のひらを打ち合わせると、どこかホッとした顔で兵士たちが「はいっ」と返事をする。ずっと気に病んでいたんだなと申し訳なく思いつつ、カヒトはいつもの訓練メニューを指示した。  しかし、まったく気にならなくなったわけでもなさそうだ。チラチラと様子をうかがう視線が、カヒトに向けられる。しかたがないと苦笑して、カヒトは気づいていないフリをした。こちらが意に介していないとわかれば、安心して訓練や任務に集中するだろう。 (なんの異常も感じねぇし、夜にしか影響が出ないのかもしんねぇな)  楽観視していたカヒトを裏切って、紋は午前の鍛錬が手合わせに移行したころに活動を開始した。 「次!」 「お願いしますっ」  手合わせの鍛錬をしていると、筋肉が勇躍して体中に血液が巡り高揚する。獰猛な本能が引き出され、気持ちが高ぶった。それに呼応したのか、ヘソの下が熱くなった。だが、カヒトはそれを軽視した。性的なものを鍛錬の興奮だととらえてしまった。 「ほらっ、動きが甘い」  かかってきた部下の剣を軽くいなした瞬間、ふわっと鼻孔に触れた汗の香りに膝が痺れて力が抜けた。 「おわっ」  ガクリと膝をつけば、兵士たちが駆け寄ってくる。鍛錬も終盤となり、汗みずくになっている彼等の体臭に囲まれると、体の奥が熱くとろけた。 (これは、マズイかもしんねぇな)  ペロリと唇を舐めたカヒトの案じた通り、兵士たちの表情がうわずったものに変わった。どうやら例のフェロモンを、紋が発しているらしい。匂いは自分ではわからないが、兵士たちの男臭さがいつも以上に鼻孔を刺激してくるのは、性的興奮が嗅覚を過敏にさせているためだと推測する。不快どころか魅力を感じて、鍛錬の興奮とは別の滾りが体中に広がっていった。 「へ、兵団長」 「すげぇ、甘い匂いがします……昨日も、こんな匂いがしました」 「おう、そうか。それが朝、説明したやつだ。まだ詳しいことはわかっていねぇが、どうやら発動しちまったみてぇだな。――離れろ」 「んっ、無理です、兵団長。とても抗えません」 「なに言ってんだ。魔物にやすやすと誘惑されねぇための、鍛錬だろうが。これも訓練のひとつと思って、俺から距離を取れ」 「だけど、相手は兵団長なんですよ? 無理に決まってます!」 「なんでだよ」 「だって、だって俺……俺っ!」  切羽詰まった物言いで、兵士のひとりが腕を伸ばしてきた。軽くはたいて逃れたが、彼の行動がきっかけとなって、次々に兵士たちが手を伸ばしてくる。 「あっ、おい……おまえら、ちょっとくらい精神力を見せてみろって……おわっ」  シャツを引かれて、バランスを崩したカヒトの腕や胸に兵士たちの手がかかる。 「わっ、ちょ、わかった、わかったから落ち着け!」 「無理っす! すげぇ甘くて、いい匂いで……もう、もうっ」 「せめて兵舎に連れて行けっ!」  大喝すると、体を持ち上げられた。大勢の兵士たちに、わっせわっせと運ばれたカヒトは、兵舎の教壇の上に乗せられた。 (さぁて、どうすっかなぁ)  飢えた獣の顔をして、兵士たちが指示を待っている。さっきの大喝で、ちょっとは理性を取り戻したらしい。室内に入ったせいで空気がこもってしまったからか、彼等の体から発する匂いが皮膚にまとわりついてくる。頭の芯がグラつくほどに、誘惑される香りだった。 (紋から出る匂いも、こんな気分にさせるもんなんだろうな)  なるほど、本能の欲求に訴えられたら、なまなかな気持ちでは抗えない。あの魔物もよく考えているものだと感心したカヒトは、己の奥がトロリと濡れて苦笑した。 (まいったな)  わかりやすい性感帯が疼いている。リアノに触れられた時、背中を撫で上げられただけでも心地よかった。このままいけば、全身どこに触れられても乱れてしまいそうだ。 (ガキができるかもしんねぇってのに、好き放題されるわけにはいかねぇよなぁ)  だが、これはいい訓練になるのではないかと考える。魔物相手ではないのだから、緊張感は薄いだろうが、耐える精神力を養ういい機会だ。 「よし、おまえら! そこでおとなしく、指をくわえてガマンしろ」 「えっ。どういうことですか、兵団長」 「そのまんま、言葉通りだよ。ガマンならなくなったら、出して扱いてもかまわねぇ。とにかく、俺に近づかねぇで堪えられるかの鍛錬だ。俺でガマンならねぇのなら、昨日の魔物みてぇに色っぽい姉ちゃんの姿で誘惑されたら、ひとたまりもなくなるぞ」  教壇の上にあぐらをかいて、自分にとっても鍛錬になるとカヒトは下腹部に力を入れた。紋を消せなかった場合を想定し、コントロールする術を学んでおくのは損じゃない。むしろ得なのではないかと考える。 「いいか、その机より後ろに下がれ。それより前には出るなよ。出るヤツがいれば、全員で止めろ。ひとりでも出たら魔物の餌食になると思え」  命じれば、兵士たちはジリジリと後退した。最前列の机から身を乗り出すようにしているもの、その次の机に上っているものもいるが、おおむね誘惑に抗えているようだと強くうなずく。 「そうだ。いいか、その机から前に出れば、魔物の牙が届くと想像しろ。昼の時間になるまで、ひとりの落後者も出さないことが勝利条件だ。いいな?」 「はいっ!」 「よぅし、気合を入れろ!」  宣言したが、これといってすることもない。ただ黙ってにらみ合うだけだ。静まった兵舎の中で、ひとりひとりの息遣いだけが耳に届く。程度の違いはあれど、どれも荒く乱れていた。興奮しきった目や、粘り気のある視線がカヒトの体をさまよい撫でる。 (こいつぁ、なかなかハードだな)  シャツを持ち上げている胸筋に視線が触れて、硬く凝った乳首の存在に気づかれた。凝視されても隠すわけにはいかない。堂々と背筋を伸ばして、彼等の視線を受け止める。肌が粟立ち、乳首が疼いて股間が膨張しても、カヒトは身じろぎひとつしなかった。どんな動きが彼等を刺激するのか、わからない。こちらも堪えなければ危険なのだと気を引き締める。  通常ならば、全員に飛びかかられても、無傷とまではいかないが逃げおおせる自信があった。だが、いまは尋常な体調ではない。彼等の匂いにあてられて、膝に力が入らない。それが知れれば、部下たちを刺激するのは間違いない。 (さぁて、ガマン比べだ)  呪いの紋の誘惑が勝つか、自分たちが勝利をするか。不敵に笑って、カヒトは性欲をみなぎらせている部下たちをながめた。  誰もが息を殺して、懸命に己の肉体を抑え込んでいる。飢えた顔をしながらも、一歩も前には出ていない。ムンムンと男の匂いを発しながら、本能に抗っている。  彼等の淫らな気配に、カヒトも耐えた。濃さを増していく彼等の汗の匂いとオスの気配に、尻の奥がわなないている。乳首は強い痺れを覚え、陰茎はズボンを突き破る勢いで硬くなっていた。乳首がピンと尖っていることも、陰茎が怒張していることも、服の上からはっきりと見えている。目の色を変えた視線が集中すればするほど、カヒトの体は疼きを増して、尻の奥から液が生まれた。  唇を開いて、胸に溜まった息の塊を吐き出すと部下たちがざわめいた。 「う、俺……すんませんっ!」  叫んだひとりが下半身をむき出しにして、自慰をはじめた。 「お、俺もっ!」 「すんません、兵団長」  謝罪しながら、顔を真っ赤にして昂った欲望を擦りあげる部下の姿に、カヒトの下腹が熱くなる。まだ堪えているものもいるが、顔つきを見れば時間の問題だと感じた。獣欲をたたえた視線にカヒトの肌が細かく震える。服を脱ぎ捨てて部下の手の中に飛び込みたいと、本能が叫んでいる。体の奥が濡れて疼いてたまらない。下着はすでに、尻から垂れる液と陰茎の先走りで濡れていた。 (耐えろ、コントロールするんだ)  グッと奥歯を噛みしめて、こぶしを握る。自分にとってもいい修練だと、総身に力を入れると筋肉が盛り上がった。シャツを押し上げる胸筋が膨らんで、さらに乳首が強調される。布に圧迫された乳首に淡い刺激が走って、カヒトは低くうめいた。 (くそっ、扱きてぇ)  ズキズキと陰茎が痛いほどに脈打っている。目の前で扱く姿を見せられているので、なおさら欲が高まっていく。 「くっ」 「ううっ」 「は、ああっ」  ビクン、ビクンと次々に達する部下の精の香りが流れると、カヒトの尻の口は物欲しそうに収縮した。脳裏にリアノに指で乱された記憶がよみがえって、入り口から奥へと内壁が波打った。 (ヤベェ、たまんねぇ)  ひとり、またひとりと自慰をする部下が増え、精の匂いが強くなる。胸が上ずり、体中がむず痒くなって、頭の芯が甘く痺れた。 「は、ぁ」  たまらず息を吐きだすと、口の中がひどく乾いた。放たれる部下たちの精液が飲みたくなって、そんな自分に呆れてしまう。 (節操がねぇなぁ)  ずいぶんと淫乱になってしまったようだと、分析する余裕があるだけまだマシか。気を抜けば情動に流されると確信して、いよいよとなったら逃げだそうと部下たちの動きに注視しながら、最短距離でリアノの研究室に到達するルートを頭に描く。 (窓から出るのが一番だが)  部下の間をかき分けて行かなければならない。興奮を引き出す匂いの中に飛び込んで、彼等を振り切るのは難しそうだ。となれば、扉に向かうほかはない。 (よし)  そろそろ潮時かと片膝を浮かせたカヒトは、最後まで堪えていた部下のひとりが、ズボンを下ろした瞬間に教壇から飛び降りた。 「ここまでだ! 休憩ッ」  叫びながら扉に向かう。足がもつれて、いつものように走れない。 「チッ」  舌打ちをして兵舎を出ると、右に曲がった。遠回りだが、人通りの少ない場所を通りたい。欲望に駆られた部下が追いかけてきて、万が一の状態になったとしても、誰かに見られる心配のない所であれば、内々で処理できる。 (それに、あいつら以外の連中に匂いを嗅がれたら、やっかいだ)  なにも知らない相手が、紋から発せられるフェロモンにあてられて、襲ってこないとも限らない。無用な混乱は避けたかった。 「はぁ、はっ……ううっ」  膝に力が入らない。走るごとに体が重くなっていく。下着はすでにぐっしょり濡れて、ズボンにまで沁みが広がっていた。  快楽におおわれた体を叱咤して、魔導士の研究室がある城の東棟に入る。たいていの魔導士は、研究室にこもりっきりで、廊下で物音がしても顔を出さない。ここまでくれば大丈夫だと、重い体を引きずりながら、壁に手をついてフラフラとリアノの研究室の扉の前へ到着した。 「リアノ」  叫んだはずが、弱々しい声になった。ドアノブに手をかけて、開けた隙間に滑り込み、扉を閉めるのが限界だった。 「ああ」  やっとついた。もう大丈夫だと安心すれば、もう立ってもいられなくなった。ドアに背を当ててズルズルと滑り落ちる。 「カヒト!」  テーブルに向かって書物をにらんでいたリアノは、突然の訪問に弾かれたように立ち上がった。 「どうした、カヒト」  問いながら、濃く放たれている匂いに顔をしかめる。ズボンの股間のあたりが湿っていると気がついて、さらに渋面になった。 「カヒト」  しゃがみ、肩に手を乗せると、肌が熱い。発熱しているのかと考えて、いいや違うと否定する。 (発情しているんだ)  ゾッとして、呼びかけた。 「なにがあった、カヒト」  まさか誰かに襲われたのかと思ったが、衣服に乱れはない。いまは鍛錬の時間のはずだ。訓練中に紋が疼いて、逃げてきたのか。 「リアノ」  顔を上げたカヒトは、案じ顔のリアノに腕を伸ばし、後頭部を掴んで引き寄せた。 (もう、無理だ)  体が疼いてたまらない。慰めてほしくて唇に噛みつけば、驚いたように目を丸くしながらも、察したリアノは舌を伸ばして救いを求めるカヒトの舌に舌を絡ませた。 「ふっ、んぅ……ふ、はあ……っ、んっ、んぅうっ」  夢中で吸いつくカヒトを、リアノは抱きしめた。膝をついて彼の頭を抱え込み、より深く口腔を愛撫する。 「んっ、んぅ……ふっ、ぅ、ううっ」  息苦しさと快感に涙を浮かべたカヒトの股間が脈打って、腰が強張り絶頂が訪れる。口内に安堵に似た熱い吐息を感じたリアノは、ゆっくりと顔を離した。 「カヒト」 「はぁ……は、悪ぃ」  肩で息をするカヒトが落ち着くのを、リアノはじっと見つめて待った。彼の体から立ち上る香りに意識が持っていかれそうになる。唇だけでなく、体中を味わいたい。上下する胸筋に手を這わせて、シャツ越しにもはっきりとわかる乳首に噛みついて、腹筋の溝をなぞって陰茎にしゃぶりつき、おそらく濡れているであろう秘められた孔に欲望を突き立てたい。 (ただの強姦魔と変わりない)  渦巻く欲望に胸中で舌打ちをして、リアノは想いをにらみつけた。たとえ呪いの紋の影響だとしても、カヒトを傷つけたくはなかった。 「少し、落ち着いた」  つぶやいたカヒトが、のろのろと立ち上がる。肩を貸したリアノは、彼をベッドへ導いた。ドサリと音を立てて座ったカヒトは、そのままゴロリと横になり、目元を腕で隠した。 「まいった。まあでも、なんとか、逃げ切れてホッとしたぜ」 「逃げ切れた? 部下に襲われそうにでもなったのか」 「うーん、ちっとばかり、違うかもしんねぇが、まあ、似たようなもんか」 「どういうことか説明しろ」 「鍛錬してたら、ヘソの下が熱くなってよぉ。外で手を出されそうになって、とりあえず兵舎に連れてけっつって、兵舎に入った」 「それで?」 「んー……そんで、俺にとっても、あいつらにとっても、いい訓練の機会だと思ってよぉ。最前列の机より前には出るなっつって、耐える訓練をさせたんだよ」 「それで、どうしてそんな状態でここに来ることになるんだ」  うーんと、カヒトはうなりながらリアノの様子をうかがった。眉間に深いシワを刻んで、不機嫌を前面に出している。 (叱られるよなぁ)  当然だよなと思いながら、心配されているのだとうれしくもなった。 「なにを笑っている」 「俺、笑ったか?」 「笑ったんじゃないのか?」 「どうだろうな」 「なんだ、それは」  体を起こしたカヒトは、シャツを脱いで放り投げると、靴を脱ぎ捨て、ズボンに手をかけた。 「下着がグショグショだ」  脱いだカヒトの股間の先端は天を向いていた。 「カヒト?」  彼の意図が分からずに、とまどいながらリアノは彼の勃ち上がった陰茎を見た。 「俺を魔物だと思って、近づくなっつったんだよ。ガマンしろってな。そんで俺も、じっとしていた。限界が来たら、扱いていいぞっつったら、本気で俺を見ながら自慰をされてよぉ。イッたヤツの匂いを嗅いだら、興奮した」  声を落としたカヒトに色気を感じて、リアノは鳥肌を立てた。ゾワリとした悪寒と興奮に包まれたリアノに、カヒトは説明を続ける。 「どんどん濡れて止まんなくなっちまって。そしたら俺の匂いも強くなってったんだろうな。とうとう全員が俺をオカズにしちまってよ。俺も、あいつらの中に飛び込んで、しゃぶりてぇって思っちまった」 「それで」  硬い声を出したリアノに、カヒトはニッと歯を見せた。 「逃げた」  ホッと胸をなでおろしたリアノは、服装の乱れがなかったことを思い出す。濡れてはいたが、理性で本能を押し込められていたのだ。 「あいつらには、休憩っつって飛び出してきた。けどよぉ、足に力が入らなくて、追いかけられたらヤバかったな。今頃、マワされてたかもしんねぇ」  軽い笑い声を立てたカヒトに、リアノはこぶしを握りしめた。 「笑いごとではないだろう! 忘れたのか。子どもができるかもしれないんだぞ」 「忘れてねぇよ。だから、無事にここに来られてよかったつってんだ」  安心しきった笑みを向けられて、リアノは怒気を抑え込んだ。信頼されているというよろこびと、欲望を抱えている後ろめたさに苛まれる。 「なあ、リアノ……まだ体が熱いんだ。どうにかしてくれよ」  部下たちのように、リアノが欲情してはくれないかとカヒトは望む。兵士たちは情欲にまみれた視線で、触れずにカヒトを犯していた。あれがリアノの視線なら、迷わず身を投げ出していたと確信する。体の中で渦巻いている行き場のない欲望が、リアノのキスで方向を見いだした。彼に抱かれたいと、強く願う。 「カヒト」  かすれた声で呼んだリアノは、艶めいたカヒトの視線から目が離せなくなった。紋について調べたことを説明しなくてはならない。いや、いま紋がどんな状態になっているのかを確認し、より詳しく状況説明を聞いて、なぜそうなったのかを考えなくてはならない。 (それなのに、私は……っ)  股間を熱くたぎらせている。これではフェロモンに当てられた彼の部下と変わりないと、肉欲に想いを汚された気になった。  沈黙がふたりを包む。  先に動いたのは、カヒトだった。 「なんてな。さっき、なんとかしてもらったばっかなのに、これ以上甘えるのは、悪ぃよな」  首筋を掻いて顔をうつむけたのは、視線を外すきっかけを作るためだった。あのまま見つめ合っていれば、手を伸ばしてリアノを押し倒し、ひん剥いて下肢にしゃぶりつきそうだ。  ホッとしながら落胆を抱えたリアノもまた、首を動かしてカヒトから目を離した。 「古い文献を探していたら、似たものと思われる資料に当たったぞ」 「本当か? さすが、リアノだな」 「よろこぶのは、まだ早い。解決法が見つかったわけではないんだからな」 「けど、進展はしてんだからいいじゃねぇか。それで、なんて書いてあったんだ?」  首を縦に動かして質問を受け止めたリアノは、テーブルに戻って本を抱えると、該当のページをカヒトに見せた。 「うん? よくわかんねぇから、説明してくれよ」 「読んでから言え」 「読むより、説明を聞くほうが早ぇだろ」  やれやれと呆れつつ、リアノは図柄を指さした。 「形は違うが、人体に魔力を用いて刻む紋があると書いてある。効用はさまざまだそうだ」 「ほうん? 魔導士が魔物の力を人に移すって書いてあるな」 「だが、それは人道にもとるからと禁止になった」 「まあ、魔物の力を宿すなんて、おかしくなっちまうもんなぁ」 「自分がいま、その状態になっていると忘れていないか?」 「忘れてねぇよ。だから、おかしくなっちまうって言ったんだろ」 「フン、まあいい。用途の目的は、奴隷を支配するためだったらしい」 「奴隷?」 「そうだ。その中でも……ああ、ここだ」  ページをめくったリアノが、該当の記述を示す。 「性奴隷を使役するために、淫紋というものがあったと書いてある」 「いん、もん?」 「そうだ。淫紋を刻まれたものは、性欲に支配されてしまうらしい。中には、相手を誘惑するための香りを発するほど、強力なものもあったということだ」 「まさに、いまの俺じゃねぇか」 「そうだ。おそらく、おまえに刻まれたのは、淫紋と見ていいだろうな」 「げぇ。俺が性奴隷ってか。笑えねぇな」 「当然だ」  ガタイのいい男が性奴隷なんて、という意味でカヒトは言い、リアノは彼が性奴隷になるなど許せない、という意味で同意した。 「そんで、その淫紋を外すには、どうすりゃいいんだ? ほかの紋でも、刻めるんなら、外す方法だって書いてあるんだろう」 「言っただろう。解決法が見つかったわけではないと」 「つまり、書いてないんだな」 「だが、早急に見つけ出す。それまでは、おとなしくしていろ」 「そう言われてもなぁ」 「そもそも、なぜ訓練中に体が熱くなった。運動をすれば紋が反応するのか」 「いやぁ……多分、違うな」 「思い当たることがあるなら、隠さず話せ」 「隠しているわけじゃねぇけど」  いたずらを咎められた子どもの表情で、カヒトは上目遣いにリアノを見た。 (言ったら、訓練は休めって言われるよなぁ) 「なんだ。さっさと言え」 「うーん……汗の匂いが原因なんじゃねぇかと思ってんだ」 「汗?」  こっくりとカヒトが首を動かして、リアノは腕組みをした。 「なるほど、汗……体臭に反応しても、おかしくはないな」 「部下のひとりがイッた後に、よけいに体が熱くなってよぉ。そんで、それが続いたら喉が渇いたつうか、しゃぶりたくなっちまったんだよな。だから、間違いねぇと思うんだ」  ギョッとしたリアノに、カヒトがバツの悪そうな顔をする。 「体の力が抜けちまって。そんで、もうギリギリだっつって逃げてきたんだよ」 「出てくるのが遅ければ、餌食になっていたんだな」 「餌食っつうか、自分から行ってたんじゃねぇかな。そんぐれぇ、ヤバかった」 「よく……出てこられたな」  心の底からリアノが言えば、カヒトの胸がキュンと高鳴った。 (俺のこと、そんなに気にしてくれてんのか)  不愛想で人付き合いが嫌いなリアノにまとわりついても追い払われないのだから、そこそこ好かれているとは思っていた。幼馴染だから、しかたがないとあきらめられているだけかもしれないとも考えていたが、もしかするとそれ以上の存在として認識されているのかもしれないと、心が浮き立つ。 (もっと、リアノが俺をどう思ってんのか知りてぇな)  彼が自分に欲情するのかどうかを知りたくなったカヒトは、妙案を思いついた。 「なあ、リアノ。淫紋って、性奴隷にするためのものだったんだよな」 「そう書いてある」 「それって、相手を欲情させるためのもんってことだよな」 「求めに応じて反応させるためのものだと考えて、間違いはないだろう」  なにが言いたいと視線で告げたリアノに、カヒトは期待と緊張を抱えて言った。 「匂いに俺が興奮するかどうかを試してみてぇ」 「は?」 「だから、汗の匂いで反応したり、あいつらの精液の匂いで興奮したのは、気のせいなのかどうかを調べてぇんだよ」 「また、おなじことを繰り返す気でいるのか」  低めた声に怒気を含ませたリアノは、どれだけ自分の力量に自信があるのかとカヒトをにらみつけた。 「次は、逃げられないかもしれないんだぞ」 「相手がリアノなら、問題ねぇだろ」 「私?」 「そ。リアノなら、危険なことにゃならねぇはずだ」 「私ひとりなら、やすやすと殴り倒せるからな」  苛立ちを含んでリアノが言えば、そうじゃねぇってとカヒトが手を振る。 「リアノが相手なら、悲惨なことにはならねぇって意味だよ」  目をまたたかせて、リアノはまじまじとカヒトを見つめた。にっこりしているカヒトに、他意は見えない。 (それほど私を信用している、ということか)  強い信頼にズンッと腹のあたりを重くしたリアノは、己の情欲を知ればカヒトはどう思うだろうかと恐怖した。 「まあ、俺を相手に欲情なんてしねぇだろうけど。ほら、つられてデカくなったりすんだろ? 本能的にさ。だから、ええと……昨日は俺が色々としてもらったしよ、実験も兼ねて、俺にさせてくんねぇか?」 「なにを言っているのか、わかっているのか」  興奮に声を震わせるリアノを、嫌悪と怒りのせいだとカヒトは捉える。 「イヤだろうけどさ、なにが原因で反応したのか、はっきりさせてぇんだよ。リアノのほかに、こんなこと頼める相手はいねぇしさ」  頼む、と両手を合わせて頭を下げるカヒトの後頭部を見下ろして、リアノは思わぬ展開に唾を呑み込んだ。 (カヒトは、私に抱かれてもいいと思っているのか)  まさかそんなと否定する。 (ギリギリのところで、私なら理性で持ちこたえると考えているんだ)  だから、こんな申し出をしているのだと、信頼の厚さに心を浮き立たせつつ、裏切るわけにはいかないと気を引き締めた。 「今後のこともあるし、なにかわかるかもしれねぇだろ?」  拒絶しないでくれと、カヒトは心の中で叫んだ。こういう機会でなければ、リアノに触れられない。淫紋のせいにすれば、求めることもできる。 (キスだって、してくれたしな)  情熱的なディープキスを、してくれた。治療や研究の一環だったとしても、あきらめていたことが現実になったのだから、素直にうれしい。 (淫紋なんて、知らねぇよ。俺は、リアノとエロいことがしてぇんだ)  望みを瞳に乗せて、カヒトは迫った。 「なぁ、リアノ」  ランプの明かりを含んだカヒトの目に、リアノの理性は揺らいだ。 「そう……だな。わかった。試してみよう」  それぞれの思惑を抱えて、ふたりは胸を熱くした。

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