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17.丹生田だいじょぶ?

 帰ってきた丹生田は、さすがに疲れた顔してた。 「お疲れ……ちゃんと寝たか?」 「いや」  それだけ言って、丹生田はおもむろに着がえ始めた。めちゃきれい好きなのだ。いつも練習後は道場にあるシャワー浴びてくるくせに、飯食ったら必ず風呂に入るし、洗濯とかもマメにやってるし、机の上とか無駄なものは一切出てないし、置いてあるモンも角度までビシッとそろえてあって、いないときでもそれ見て几帳面なんだなあ、なんて嬉しくなる。  だから汗かいたTシャツが気持ち悪いんかな、と思いつつ、「ああ、緊張とかで寝れなかったのな」と言って少し笑う。  実は、あまり寝てなかったのだ。  つうかゆうべは牛丼屋から帰っても橋田はまだトランス状態で、話しかける気にならなかった。そんで寝たんだけど、なんか落ち着かなかったし、いつもはぜんぜん気にならないキーを叩く音が妙に耳について、うとうとしてもなんか眠り浅い感じで。  けどマジで疲れてる丹生田にそんな話してもなあ、って感じで、だからカラッと笑った。 「んじゃこれから寝るんだろ? 今日は講義休むんだよな。俺、言っといてやるよ」 「いや、行く」  いつも通り、最小限の言葉しか口にしないけど、いつもとは違って憔悴した顔は、少し頬がそげて見えるほどだった。 「え~、でも寝てないって、やばいだろ?」  着がえ終えた丹生田は、フッと笑って、低い声で「大丈夫だ」と言った。  続けて制止の言葉を放とうとして口を開け、すぐに閉じ、また開いたが声は出せずに閉じて 「……そっかぁ~」  それだけ言って微笑む。 「じゃメシ食いに行く?」  丹生田が頷いて立ち上がったので、一緒に部屋を出る。俺を睡眠不足におとしいれた橋田は、憎たらしくもすやすや寝ていた。  七時に開いたばかりの食堂は、朝飯ラッシュになる前、余裕のある空気だ。  俺らは焼き魚と漬け物と佃煮、そしてサラダが乗っているトレイに、勝手に好きなだけよそった飯のどんぶりと味噌汁を置いて、好みで納豆だの生卵だの味付け海苔だのを取り、席に着く。  ちなみに今日は味付け海苔と卵。紙パックの牛乳も乗っける。飯の盛りは、まあ普通。  丹生田はいつも通り、焼き魚と漬け物で山盛りの飯を半分食い、納豆に生卵を入れてガシガシかき混ぜたのを飯に乗っけて残りを平らげた。味噌汁は当然のように二回おかわりしたが、全て平らげてもまだ七時半になってない。晩飯はそうでもないのに、朝飯を食う早さは姉崎もビックリだ。 「すまん、先に行く」 「あ、うん。あの……」  さっさと立ち上がった丹生田に、おもわず声をかけた。 「あのさ、今日くらい、朝練、休んだら……」  箸とどんぶりを持ったまま言うと、丹生田はトレイに手をかけた状態で動きを止め、ふっと口元を緩めて目を細めた。  1限の講義は九時から始まるから、たいていの学生はゆっくり寝て、朝飯も八時過ぎに食う。  だが丹生田は剣道部が始まってから毎朝、七時半には道場へ行っている。この時間になるのは寮の食堂が七時からだからで、そうでなければもっと早く行ってると思う。バイトで夕方行かないことがあっても、朝の練習は欠かしたことがないのだ。 「つうか今日は寝てないわけだし、ちょい仮眠取るとかした方が」  けど丹生田は、バカみたいに真面目なんだ。 「一日一度は竹刀を持つと決めている。それにシャワーも浴びたい」  まあ、そう言うよな丹生田なんだから、ちょっとがっかりしながら 「……そっか~」  どんぶりに目を落とした。すると頭上から「ありがとう」微かな低い声が降ってきた。そっと顔を上げ、困ったような顔でトレイを持つ丹生田を見た。 「だが、行く」  真顔でそれだけ言って歩き去って行く後ろ姿は、いつも通り背筋が伸び、堂々とした姿勢だったが、足取りはいつもより少し力無く見えて、らしくない、と思い、やっぱり心配になった。  部屋に戻ると、橋田がベッドで寝ていた。まだ寝てんのかよと近寄ると、目を開いてぼうっとしてたので声をかける。 「おはよ。どした?」  目だけ動かしてコッチを見たがなにも言わない。  なんかむかつく。ゆうべあんな態度だったくせにツラっとしやがって。  橋田がどんくらい近眼なのか知らないけど、メガネしてないから見えてないだろ、と思い、思いっきりバカにしてやった。つまり両手の指でくちを横に拡げて舌をレロレロしてやったのだ。 「バカじゃない」  すると間髪入れずにいつもの淡々とした声が返る。 「へ?」 「メガネしてなくても、そこまで変なコトしたら分かるよ」 (うわなにこの冷静な感じ! すっげ恥ずかしー!!)  「分かってんならせめて笑えよ!」  怒鳴り返したのは逆ギレだが、橋田はいつも通りの顔と声だ。 「笑うほど面白くない。よく見えなかったし」 「せめてなんかリアクションとか!」  すると橋田はむっくり起きてメガネをかけてから「はい、メガネしたからやって」つってまっすぐコッチ見た。  むっか~! とアタマに血が上る。 「今やれってか! どんだけ偉いんだおまえ!」  誰のせいでゆうべろくに寝らんなかったと思ってんだ! 「つか芸人じゃねえし、芸磨いてねえし、そもそも論評求めてねえつの!」  言い始めたらどんどんイライラしてくる。もうくちがとまんねー! 「空気感じてんならちったあ笑え! なんだ偉そうに! つうかおかしいよおまえ? ゆうべだって、ひとのこと観察とか、すっ、すっ、いやいやいや、おっかしいだろっ!!」  寝起きのぼさぼさ頭のまま、橋田は小さくため息ついて「はいはい」とだけ言い、淡々とベッドから起き上がる。 「な・が・す・なよっ、サラッと!」 「うん、けど腹減ったし、まずトイレ」  淡々とした声のまま、すたすたと部屋を出て行ってしまった。ちょっとゼイゼイしながら見送ったら、なんかガックリ力抜けて、「はあぁ~もう~」と自分のベッドに倒れ込む。  橋田は、やっぱり橋田だった。  なんかぐったり感がハンパない。突っ伏すみたいにベッドに倒れてたんだけど、なんか自動的にもぞもぞ布団の中に潜り込んで、瞼が重くなるのに逆らわずに目を閉じる。  そのまんまうとうとしてきた。  安心、したんだ。  橋田があくまで淡々としてて、ヘンな感じに見てるわけじゃないって思ったってか、害はなさそうって納得したってか。観察だろうがなんだろうが好きにしろ、って開き直ったような感じ。  自覚しちゃったこの想い。でも橋田は自覚する前から気づいてて、そんで観察かなんか知らねーけど黙って見てたわけで。  つまり橋田は誰にも言わない。  丹生田にはバレてないみたいだから、自分が黙ってたら今までと変わんないってコトだ。 「ん~~~、もういいやあ」  呟いたのを最後に、意識は眠りに呑み込まれた。

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