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60.藤枝の異変

 最近、藤枝が変じゃないか?  誰かがそう言うと、たいてい「だよなあ」と返る。 「つうか朝、歯磨いてメシ食ってた。静かに」  普通のことだ。普通は朝みんな、そんなもんだ。  だがそれを聞いた奴はおののいた顔をした。なぜなら藤枝は違うからだ。  歯磨きしながらでもしゃべり続ける。朝っぱらから見たもの全てにツッコむ。顔洗って拭いてない手でヒトの肩や腕とかバンバン叩きながらゲラゲラ笑う。ハッキリ言って騒がしく、はた迷惑。それが藤枝だ。  順番守れとか、そこ汚すなとか騒ぎ、片付けろと怒鳴る。ちゃんとした理由があって言い返すと「なら早く言えよ、バッカ!」ケロッと笑う。  元気ねえ奴には、なんかあった? と声かけ、迷惑そうにしても構わず巻き込んで笑う。藤枝のいるところ、必ずなんらかの騒ぎが起こる。  しかも面倒がられてることを自覚してるからタチが悪い。 「おまえ、ちゃんとやんねーと俺が追っかけるぞ! ずーっと言うぞ!」  脅迫じみた強制力で、ヒトの生活にずかずか踏み込んでくる。だから静かに過ごしたいとき、娯楽室から藤枝のツッコミが聞こえれば、誰もが避ける。  確かに良い奴。だけど面倒くさい。それが藤枝だ。なのに 「ここんとこ、無駄な大声聞いてねえ」  ちょっとしたことでも大声で騒いでおおごとにしちまう、あの藤枝が。  あんま笑わない。  ゼンゼン騒がない。  藤枝じゃ無いみたいにおとなしい。 「がっかりイケメンが普通のイケメンになってる」 「どうしたんだよあいつ」 「藤枝のくせに」  そう、あの藤枝が、このところ静かなことに、みんな違和感バリバリなのである。  それだけじゃない。  大丈夫かと声かければ、力なくフッと笑んで小さく首を横に振る。  ずっとひとりで勉強してるかと思えば、ため息付いたり、窓から空見てたりする。  そうなると、外人ぽく彫りの深い顔に、気怠げな表情が似合ってしまうから面白くない。  その日も藤枝はおとなしく定食を食って「おさき」と去って行った。  その後ろ姿を、不気味なものを見る目で見送ったみんなは、ぼそぼそと声を漏らした。 「こないだなんて講義遅れそうなのに走ってなかった」 「メシ大盛りしたらさ、『どんだけ食うんだよ』とかツッコミ入るのに慣れてたつうか」 「俺も毎朝、アタマ爆発してるぞ、つってツッコまれてたんだけど、目逸らすだけで」 「野菜残すなとか、おかんぽいコトも言わないな」 「わざと怒らせてみたけど、ちょい睨んでため息だぜ?」  メシ食いながらぶちぶち言ってるメンバーへ、意味深な流し目を向けてクスッと笑ったやつに、みんなの視線が集まった。 「なんだよ」 「なんか知ってんのか」  聞かれて「べつに~?」ニヤニヤしたのは姉崎だ。 「みんなけっこう、藤枝のこと気に入ってたんだなって思ってさ。あんなに扱いひどかったのに」 「第三者のフリしてんじゃねーぞ」 「おまえが一番ひどいだろ」  言いつつも、なにげに雑に扱ってた自覚のある面々は、それぞれの思いを腹の中で呟く。  だって藤枝だ。なんでも言う藤枝だ。  こっちだってなんでも言ってイイじゃねーか。  それぞれ思いを腹に抱えつつ、口を噤んで食事に集中し、テーブルが静かになる。  そんな中、淡々と食事を終えた橋田が、無言でテーブルを離れていくのを、みんなしらけた顔で見送った。 (同室だろ?) (気になんねーのかよ)  思わず考えて、みな気づく。橋田は通常営業だ。いつもと同じ、である。  なのになんだ、この違和感。 (いつも藤枝が二人分騒いでるから、目立たなかったんだ)  そう気づいて、なんとなく気まずい沈黙が降りるテーブルで、ひとり機嫌良さそうにクスクス笑った姉崎は「愛されてるねえ、藤枝」呟いてコーヒーを飲み干した。  橋田雅史は、焦って藤枝を追いかけた。  このところ、非常に興味深い状態が続いているのである。  丹生田が原島とつきあい始めたのは十二月アタマ。どうやら順調なようで、ほぼ毎日報告してくるのだが、概ねどうでも良い内容でしかない。  その日話したこととか(ほとんど剣道の話だが)、手を繋いだとか(だからなんだ)、原島の手料理を食ったとか(サンドイッチだったけど)、クリスマスにはプレゼントを贈るべきだろうかとか(なんで聞く?)  そしてクリスマス。  丹生田は、ものすごく嬉しそうに、キスしたと報告した。  なんでそんなこといちいち言うのか不思議だったし、言葉を発するのを惜しんでるようにすら見えた無口な丹生田が、剣道と数字の話以外で雄弁になるのはなぜかと考え、幸せを感じるとヒトは開放的になるものなのかも、と考察を進めていた雅史は、しかし藤枝の方に、より注目していた。  無駄な動きが多いうざキャラ、あらゆるものにツッコんで生きているはずの藤枝が、感情に蓋をしたように無口で無表情になっている。勉強に集中しているかと思うと、ボーッとしてため息をつく。  まあ片想いを告げること無くぶっ潰され、意気消沈は当然とも言えるのだが、不思議なのは丹生田に対する行動だ。  避けようとするわけでも無く、あきらかに以前より力ない笑顔で、くだらないとしか思えないのろけをニコニコ聞いて「よかったな」「やったじゃん」なんて言ってる。  なんでだろうと考えたけど、残念ながら雅史の理解が及ばない領域の思考経路が存在するらしい、ということしか分からなかった。  部屋に戻ると、この時間には珍しく丹生田もいた。  いつもは剣道の稽古のあと原島と過ごすので、寮に戻るのは早くても二十一時を過ぎるのだが、今日は思い詰めたような顔で、藤枝に話しかけている。ものすごく言いにくそうなのが、最近にしては特殊な状況ではある。  なので雅史は興味を持って自分の椅子に座り、椅子に座っている藤枝とその前に立ってモジモジしている丹生田を眺めた。 「どしたんだよ。原島とケンカでもしたか?」  にこりと笑って問う藤枝に、丹生田は眉を寄せ「……そうかも知れない」と言ってくちを閉じ、また呟いた。 「怒らせたかも知れない」  雅史の知る限り、原島というやつはかなりの頻度で怒っているように見えるのだが、丹生田の前では違うのかも知れない、と考えつつメモにペンを走らせる。なんとなく重要な展開があるような気がしていた。 「なんだよ。ヤバいことでもしたのかよ」 「いや。……しないと怒られた」 「しないって、なにを」 「……なにも」  妙に優しい顔で笑みを深めた藤枝が、少し首を傾げる。  くちを開かずそうしていると、顔は確かに整ってるので、ずいぶんカッコ良く見えた。 「なにもってなんだよ」  静かに問われ、丹生田は俯いた。 「……その、つまり……キス、以上、というか」  一瞬、泣きそうになった表情はすぐに消え、ニカッと笑って立ち上がった藤枝は、立ったまま項垂れている丹生田の肩をポンポンと叩いて静かに尋ねる。 「エッチなこと?」  俯いたまま頷いたのを見て、藤枝は目を閉じて息を整え、目を開いて笑みで丹生田を見た。 「つうか突っ立ってねーで座れよ」 「ああ」  藤枝はクルッと回れ右して自分のベッドに腰を落とし、腕を組んで笑みを浮かべている。丹生田も自分の椅子を引っ張ってきて、藤枝の前に座る。 「原島はなんつって怒ったんだ?」 「…………好きじゃないから、触ろうとしないのだろう、と」 「ふうん。んで丹生田はどうなんだよ。……さ、……わりたいとか思わねーの」 「思う。……だが……」  用心深く言葉を選んでる様子。丹生田らしいな、と思いつつ、雅史は言葉や表情を書き留めていく。 「原島は素晴らしい剣士だ。俺などが……身体に触れて、傷つけるのではないか、と臆する気持ちもある。……俺の欲望だけなら、手コキでじゅうぶんだ。わざわざ原島を傷つけなくても……」 「そっか~」  ため息混じりに呟いた藤枝は、笑みのまま少し目を伏せ、くちを開く。 「えっと、そういうのってヒトによって違うつうか。まあ俺の経験とツレの話とか総合するとさ」  丹生田は一言も聞き逃すまいと言うかのように前のめりで、ひどく真剣な様子だ。 「その人のことばっか考える。その人になんでもしたくなる。そんで時々、めっちゃ辛くなったりして、でもやめられない。……それが好きになるってコトじゃん? んでさ、好きな人とするセックスは、これ以上ないくらい気持ちいいんだって。それになんか、すんげー幸せな気分になる、……んだってよ」  藤枝はそう言って目を閉じ、小さく息を吐いた。妙にきれいな顔になってるな、と雅史は思う。 「つうか手コキと比較なんて、原島に失礼だろ。比べるもんじゃねーつの、ばか」  ニッと笑った顔を見て、丹生田は少し息を詰め、コクコクと頷く。 「そうか。……すまん」 「別に良いけど」  呟いた藤枝はポンと丹生田の肩を叩き「ま、頑張れよな」と言って腰を上げる。 「のど渇いた~。ペプシ切れてるから買ってくるわ」  そのまま振り返らずに部屋を出て行く背を、呆然と見送る丹生田の表情も興味深く、雅史はきっちりと記録したのだった。

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