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183.それぞれの周り
車に乗り込んだ滝安 は、シートベルトをかけながら、運転席に入りエンジンをかけた後輩へ声をかけた。
「ナビ」
「うぃっす! やってます」
チラッと目をやると、ナビの設定を終えたらしく、こっちを見てニカッと笑っている。
「昨日も遅かったンすか?」
「……着いたら起こして」
言いつつ助手席で目を瞑ると
「仕事めっちゃ忙しいンすね!」
無駄に元気な声がかかるが、滝安は目を閉じたまま無視した。
「おっけーッス! んじゃ行きまーす」
発進した車の振動に身を任せつつ、速攻眠ったふりで滝安は内心でため息をつく。
もちろん業務で海外とのやりとりもあるし、それに時間を取られることもある。だがゆうべはオンラインでネトゲやってただけだ。むろん、そんなことを教える気は無い。
この後輩、藤枝は先週までかなり落ちていたのだが、なぜか週明けからは入社当初に戻ったような勢いに戻っている。未だに藤枝に対するプレッシャーは課全体で強いにもかかわらず。
そもそも今年度の新人は、どうやら強力なコネを持ってるらしいという噂は流れていた。やってきた二人のうち、どっちがそれかなんて、みんなすぐに分かった。
一緒に入ってきた小松は愛想の良い奴で、溶け込むのがうまい。当たり障りの無い、敵を作りにくい言動を見てると、コレはコレで新人にしてはできすぎ感が無いわけではなかったが、こういうタイプはいないわけじゃない。バイトなどで社会経験を積んでいたりする、妙に物わかりの良い新人というのは意外といるものだ。
だが藤枝は異質だった。モデルでもやれそうなイケメンで高身長という見た目が、まず目を惹いたのだが、それだけではない。あくまで明るく元気で、物怖じってものを知らないように見えた。
誰に対しても、全くと言っていいほど態度が変わらない。どんな偉い人が来ても硬くならない。いつもと同じ、言いたいこと言って、落ちるってことが無いんじゃってくらい、いつもニコニコして元気そうで、行動力はあるし、やるとなれば身を粉にする勢いある上に、そんな状況でも楽しそうに笑ってる。
そんな奴、滅多にいない。というか大学卒業したての新人には絶対いない。
(こいつ、超大物ってコトか?)
(いや、ただのバカなんじゃ?)
(田舎モンで常識知らねえだけじゃ?)
陰でみんな、そんなようなことを言っていた。
特別待遇を受けるような奴なら当然、特別な結果を残して然るべき、という空気も常にあったし、なにをやらかすんだと面白半分に遠巻きにしてる感じというか……つまり藤枝は、配属当初から注目を浴びていたのだ。
だが藤枝の指導を命じられた滝安としては、同じように面白がってるわけにもいかなかった。
もし自分の言動を藤枝が不快と感じたなら、いきなり上に悪評が飛ぶかもしれないでは無いか。そんな危険を冒す気は無いから、以前に倍する勢いで真面目に仕事したし、藤枝が何かやりたいと言い出しても止めなかった。
元から適当な仕事をしていたわけでは無い。だが、頼むからこっちに火の粉が降りかかるようなことにはならないでくれと、そんなことを考えずにはいられなかった。
ともかく藤枝は徐々に課全体から反感を買うようになっていたが、当人はまったく気にしていないようで、それはさらに強い反感を生み、やっかみ混じりの陰口が向けられることになった。
かわいそうだったのは小松だ。
下手に溶け込んでしまっていたが故に、反藤枝の噂は逐一小松に吹き込まれることになっていたようだった。ライバル意識を燃え立たせようという意図もあっただろうが、なぜか小松はそれに乗せられること無く、当たり障り無い対応で上手いこと逃げていた。やはりアレはアレで侮れない。
ともかく、ここ2~3週間くらいは、さすがの藤枝もかなり落ち込んでいたし、滝安はこのまんまやめるのかな、むしろそうなったら助かる、ぐらいに思っていた。
にも関わらず、なぜか週明けからうざいくらい元気になったのだ。
(すげーなコイツ。俺だったら間違いなく潰れてるわ)
漏れそうになったため息を、滝安は慎重に飲み込んだ。
正直、藤枝がどんな奴か、なんて分かって来ている。馬鹿正直で思ったことが顔にもくちにも出る。偉そうな年寄りだけじゃなく、子供でもおばちゃんでも、なんの気負いも無く話しかけて、なにが楽しいんだかわりと笑っている。仕事は真面目にやるし、前向きだし、新人にありがちな愚痴零すようなこともない。
たぶんイイ奴なんだろう。おまけにこのルックスだし、高校とか大学とかで人気者になるタイプ。おまけに七星の経済卒で強力なコネ持ち。
今まで負け知らずで来たんだろうなと簡単に推測出来る。こういう奴って逆境に弱いのかと思ってたけど、週明けの感じからしてそうでもなさそうだ。
しかしまあ、なんだかんだ言って、打たれ強いってのも
「才能かねえ」
「え、なんスか」
思わず漏れた呟きに、運転席から声が返ったが、滝安はまた寝たふりを決め込んで無視したのだった。
「なんか新人回復してんな」
休憩室でコーヒー片手に呟いた青原に、
「意外に繊細そうだったけど、よかったね」
にっこりしながらの声が返った。
「でも青原、そろそろその新人って言うのやめてあげなよ」
「使えるかどうか不明で、いつやめるか分からん奴の名前覚えるとか無駄だろ」
「またそんなこと言って」
苦笑するのを素っ気なく無視してコーヒーをすすっていると
「見た目通りの体育会系だよな。先輩の言うこと絶対って感じ」
「ああいう暑苦しい感じって無理だと思ってたけど」
周囲でもボソボソ声が上がる。
「あはは、キッチリ礼して『分かりました先輩、ありがとうございます』とかね」
「そうそう、いちいち椅子から立ってやるんだもん、超真面目だよね~」
「良いから座って作業続けて、て感じだけど」
「でもあれ、やられてみると、意外に気分良くない?」
「そだね~、やれって言われたらやだけど」
明るい笑いが休憩室に響く。
青原は、この仕事を始めて十年になる。この会社に来て五年目。
専門卒業して最初に入った会社は、とんでもないブラックで半年持たなかった。メンタルも身体もボロボロになって、三ヶ月休んで、次の会社で働き始めたが一週間でやばい雰囲気感じ取り、すぐにやめた。この業界が無理なんだろうかと飲食でも働いてみたが、そっちの方はもっと無理だった。自分には人前で働く仕事は向いてない。とはいえ事務系のスキルなんて無いし、しゃべるのも苦手な青原は、結局この業界に戻って、いくつか会社を渡り歩いた。
そしてこの会社に入って、やっと落ち着いたのだ。ここは色々ちゃんとしている。もちろん作業はキツいことがあるが、今までいた会社に比べればゼンゼン楽だ。なのに『きつい』とやめていく新人が続き、そういう奴らを青原は心底バカにしていた。
こんな楽な会社、他には無い。ここでやれないなら、他のどんな会社に行ったって無理に決まってる。
今年の新人は三人。うち二人は専門卒で、基本は学んできてた。もう一人の大卒は、なんでうちに来た? と疑問に思うくらいデカくてゴツイ男。立ってるだけで威圧感あるのに、ニコリともしねえし声低いし……だがとことん真面目な奴だった。
入社前からバイトとして手伝いに入ってきた。『なにも分かりませんので』て感じの、異常なほどの低姿勢で、教えたことはキッチリやるから、単純作業の手順はすぐに覚えて、そうなると手は早かったからなにげに使えた。
しかしうちの会社は、単純な打ち込みだけならバイトや外注を使う。
クライアントの意志を汲んだコンセプトを表現するためのコードを組む。上がってきた打ち込みをチェックする。社員はそういう仕事をする。そういう現場仕事の経験を積んで、いずれ動作確認も含めた作業管理がメインになっていく。
だがそういうのは、要領を掴めないと泥沼にはまる。
入社してから、コイツはまさに泥沼にはまっていた。額に汗を滲ませながらモニターを睨んでる様子に(あ~こりゃ持たねえパターンだな)と思っていた。
黙々と頑張る真面目な奴。まさに愚直を絵に描いたような、こういう奴はおのずと自滅する。
しかしその後のコイツを見ていて『愚直』という言葉の真の意味を知った気がした。
青原は『早く現実を知れ』という思いもあって、わざときつい言葉をぶつけていた。転んでも大卒。しかも七星卒なのだ。こんな会社じゃなくても入れるだろ、もっと良いトコ行って楽で華やかな人生歩め。そんなやっかみもあった。
なのにコイツは、青原たちの言葉をひたすら謙虚に受け止めて修正してきた。
確かに歩みはのろい。要領も良いとは言えない。
だが、驚くほどの熱意を持って、ひたすら努力している。メンタルは強いんだな、と見直し、先日の失敗で落ち込んでいるのを見て、責任感もあるなと思った。
そして青原は、ここでどっちに転ぶかと、少し意地の悪い、観察するような目でこの新人を見ていたのだ。
「ていうか、やっぱり丹生田君ってなにかスポーツやってるんだよね」
「やってるよね、なにか絶対!」
「剣道なんだって」
「え、なんで知ってるのよ!」
「この間の飲み会で聞いちゃった~」
「うっそ! しゃべったんだ? いっつもむっつり黙ってるじゃない」
「話しかけにくいよね」
「でも大丈夫だったよ?」
「そうなんだ~。今度声かけてみようかな~」
「剣道かぁ~、なんか、らしい感じ~」
「だねえ~」
コーヒーを飲み干した頃、女どもの話が自分から逸れたので、青原は黙って休憩室を出る。
課に戻ると、愚直野郎は休憩も取らずにモニターを睨んで作業をしていた。
「オイコラ新人」
背後に立って声をかけると、ゴツイ肩がピクンと揺れ、手が止まった。
「適度に休憩取れ」
振り返った顔は、ハッとしたように目を見開いていた。
思わず笑ってしまいながら、青原はポンポンと肩を叩く。
「そんなんじゃ集中切れて、またミスすんぞ」
「……はい、済みません、青原さん」
項垂れる様子に、また笑っていたら、新人は腰を上げてキッチリ礼をした。
「では、行ってきます」
「あ、……けど今休憩室行かない方がイイと思う」
「……なぜでしょう」
今行ったら、ぜってー女どもの餌食になる。コイツそういう耐性ねえだろうしな。
「……よし」
青原はボリボリと頭をかいて、クルッと入り口に身体を向ける。
「俺はコレからサボりに行く」
「…………」
「おまえチクるなよ」
「……言いません」
「ん~、でもよ、信用出来ねえから、おまえも来い」
「………………」
「黙ってンじゃねえよ、丹生田」
背後で、ハッと息を呑むような気配がした。
「ホラ行くぞ。ついてこい」
そのまま部屋を出る。チラッと後ろを見ると、ばかデカい新人は、少し眉を寄せながらついてきた。
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