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216.死ぬまで、死んでも
「……違ったのか……」
顔にこそ出ていないが、愕然として呟いた健朗に、拓海はブンブンと首を振る。
「いやそりゃ!」
黙ったまま目を上げた健朗の視線にぶつかって、眉を寄せて俯き、まっすぐ受け止めるコトを避けた。
「……そりゃ……嬉しい、よ。……丹生田と一緒にいれんだって、そんだけで嬉しいんだよ俺はっ! そういうバカなんだよっ!」
しゃべりながら、拓海のテンションはどんどん上がっていく。ここまで八年、いやもっと……ずっとずっと、色々ガマンしたり悩んだりしてたのが、なんだったんだか分かんなくて、涙ボロボロ出てしまっている。しかし健朗の地味なパニックも継続中だ。
「バカじゃんっ、俺……俺、バカじゃん……っ!」
おかしなテンションになってる拓海は、言ってることも支離滅裂になっていきつつ、なに言ってイイかわかんねえ! とパニクりつつ、くちは止まらない。
「バカだアホだ俺……てかだって、そう思うだろ? しょうがねえよな、だって丹生田、女の子にモテたいって……告られて嬉しいって……そのうち好きな子できて結婚してイイ父親に……なるに決まって」
垂れ流される涙声に、健朗は眉を寄せる。
「どうしてそうなる」
ため息混じりになってしまった自覚も無く、健朗も混乱していた。
「俺が同居を提案したとき、なんだと思ったんだ」
「だって!」
俯いたまま怒鳴った次の瞬間、拓海は肩を落とす。
「……だっておまえ……家賃助かるって……言ったじゃん」
健朗の眉間には深い縦皺が刻まれた。
────確かに言った。
しかし、あれは姉崎の悪知恵に乗っただけで、本心から出た言葉などではない。
仕方が無かった。あのときはとにかく離れるわけには行かないと、それだけしか考えられなかったのだ。ゆえに姉崎にすら教えを請うて、なんとか同居に持って行った。一緒に住んでしまえばなんとかなると、……その考えが甘かったのだろうか。
長く共に過ごす中で、生活しながら、行動で、……おのずと伝わっていると思っていた。なぜなら……
「…………なぜ、セックスに応じる」
そうだ、藤枝自ら、同居するならセックスもすると宣言したのだ。実際どちらかが多忙で無い限り、週一回している。同居してから数え切れないほど抱いた。
これはいわゆる『付き合っている』状態ではないのか。共に暮らした年月を考えればまさに伴侶。
なのに単なる同居だと藤枝は言うのか。いったいどういうことだ。
「単なる同居ではないから、セックスをするのではないのか」
混乱のまま、思わず聞いた。
「だって丹生田……気持ちイイんだろ?」
「もちろんだ。だが……」
おまえも、そうではないのか。
──────という言葉は、喉から出なかった。
なぜなら、まさかとは思うが、藤枝がとんでもない誤解をしていたのでは、と思い至ったからだ。それを強く信じていたのだとしたら、それゆえに今、こんなコトを言い出している。それゆえに、離れようなどと……
健朗は、戸惑いと混乱に支配されてしまった。
なにより欲するのは藤枝だ。むろんセックスはしたい。が、それだけではない。それだけで満足などできない。
「俺は……。藤枝、……」
全てを欲している。自分の強欲はよく知っているが、今さらのように自覚した。
藤枝の全てが欲しいのだ。健朗にとって最も大きな欲望は、目的は、藤枝と共にあり続けることである。他の誰にも渡さない、と思い極めている。その為になら、自分はなんでもするだろう。それに──────
「俺はセックスを、時間の無駄だと思っている」
低い呟きとなって漏れた言葉が意外すぎて、
「……は?」
ぼうだのごとく溢れていた涙が止まった。
「出すだけなら手コキでじゅうぶん、俺はそう考えている。そもそもセックスは生殖であり、本来種 を残すための行為であるにもかかわらず、藤枝が俺の種 を宿すコトはない。つまり無駄、無意味だ」
まっすぐ見下ろす目はなんだか真剣だった。
「いきなりなに言って」
「なのになぜ俺が藤枝を抱くか、本当に分からんのか」
いや、ちょい怒ってる、と思い拓海はまた混乱し、キツく寄せた眉の下で、じんわりと目が細まるのを、涙に濡れた頬のまま、呆けたように見つめる。
「え、だって……てか気持ちイイって……」
「そうだが、セックスは一時間以上かかるだろう。処理だけなら手コキでじゅうぶんだ。五分で済む」
「いや、五分でセックスする奴もいる、……らしいよ?」
囁くようになった声に、健朗の眉間は少し晴れる。
「そうなのか」
「うん」
どっかで聞いたことある、ような気がする。……と考えて、拓海はそゆことじゃねえ。なに言ってンだ俺、と考え、
「や、や、いや……」
ブンブン首を振った。
健朗は小さく息を吐いて、ゆっくり首を振った。
「しかし俺は、……もったいなくて無理だ」
「……もったいない……?」
「そうだ。藤枝とのセックスを五分で済ますなど無理だ。ただでさえ耐えている。週に一回と約束したからだ。叶うなら毎日でも問題無いにもかかわらず、だ」
「……………………は?」
「週一回しかできない……それは約束だから仕方ない」
「………………」
くちをあんぐり開けて見つめる健朗は、クソ真面目なほど真剣な顔だった。
そうだ、丹生田って冗談下手くそだし、言うとき微妙な顔ンなるし────
(てことは……マジで言ってる……?)
……と呆ける拓海の顔には、徐々に熱が登って赤くなっていく。それを睨むように見据えながら、低く揺るぎない声が続いた。
「それにセックスのときは藤枝がずいぶん可愛いというか、そそるというか……止まらなくなるところを、三回出したらやめると決めているんだぞ。……が、可能なら一晩中ヤリ続け────」
「ばっか黙れっ!」
無自覚に血が上った真っ赤な顔で、拓海は怒鳴った。
「真っ昼間から真顔でっ! なに言ってンの? おま、なに言ってンだよっ!」
頬に雫の後は残っているが、涙に濡れていた目は渇いて、だが前にも増して真っ赤な顔になり、動揺露わな声は徐々に怒鳴り声になっていく。
が、健朗は少し目を細めたのみだ。
「本当のことを真剣に言ってなにが悪い」
「…………いや! いやいやいやいや!」
思わず両手を振った拓海を、眉を寄せた真剣な顔が見返している。
「藤枝は違うのか」
「え、ち、ちが……」
「……藤枝はなぜ俺とセックスする」
「え、……や、好き、だから、だけど……」
「そうだ、何度も言ってくれた。ゆえに俺もそう理解している。ではなぜ俺は違うと、そう思う」
本気で分かってない顔で、超クソ真面目に、健朗は問うた。
「なっ、なんで……!?」
健朗が本気で言ってるってコトは分かった。分かったがゆえに
「……て! か……っ! だから言えよっ!」
拓海はキレた。
「つっ、付き合あおうとか! 好きとか! そゆコト言われてねえし! それで分かれってアホかっ!!」
「…………そんなもの言えるか」
羞恥で死ねる、という確信と共に、毅然と言う健朗に、キレたテンションのまま拓海が声を上げた。
「てかおかしいよっ? つうかンなこと考えてんならっ! こっ、……いっ、いきなり伴侶ってなんだソレっ! 恋人とかっ、そういう段階あんだろっ! そういうの踏めよ! バカアホ丹生田っ! ボケかてめえ!」
「藤枝、真っ赤だぞ」
言わずもがなのことを、あえて健朗はくちにする。
「だ、だからっ! そゆコトを真顔で言うなっての!」
「ではどんな顔で言うのが正しい。教えてくれ」
手が伸びて、拓海の頬を触った。指先と視線があまりにも優しくて、拓海は声を呑む。
低く柔らかい声は、とてつもなく優しかった。
「……俺は至らない。それは分かっている。……済まん」
そのまま、健朗は手を拓海の後頭部に回し、引き寄せる。逆らわずに、逞しい胸に頬を押し付ける格好になりつつ「なんだよっ」上げた声は少し勢いを失っていた。
「済まない。……藤枝」
「……だから、なんだよ」
アタマの上から降ってくる低い声。妙な安心感と共に、拓海は目を閉じる。
「俺は、俺は……つまり、どうでも良い相手とセックスするほど勤勉じゃあない」
「………………」
もう片方の腕が拓海の背に周り、柔らかく抱きしめられながら、まだ涙のあとが乾かない頬のまま、拓海は無自覚に笑んでいた。
エッチで勤勉を語るとか、なんか丹生田らしい、と思ったのだ。
「藤枝。俺は……し……死ぬまで」
胸に押し付けた耳から、アタマの上から、少しくぐもった低い声が降ってくる。
「いや、死んでも……同じところで……おまえといる。……いてくれ。俺と……」
ドキン、と。心臓が一打ちした。まさか……
「伴侶…いや………」
まさか、まさか、まさかまさかまさか────────
「結婚してくれ、藤枝」
まさかの……大逆転……?
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