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白衣の天使とスクラブの悪魔

 ボンヤリと目が覚めた。いつものせんべい布団とは大違いの、ふかふかで清潔な布団がかかってる。  あれ。どっか泊まったっけ……?  まず一番にそう思う。    目に入る天井は白一色。寝覚めがスッキリしなくて右手で瞼を擦ろうと思ったら、ピリリと痛みが走って俺は顔をしかめた。 「いってぇ……」  見回すと、何処もかしこも真っ白な空間で、ベッドの周りをぐるりとカーテンで仕切られてた。瞬間、思い出す。  そっか。俺……。  脳裏にコマ落としの映像が浮かぶ。俺は趣味のバイクを走らせてた。クラシックにカスタムしたカブ。フリーターの俺の給料じゃとても手に入らなかったけど、大学の先輩が格安で譲ってくれた。  その、初乗りの日。走りを楽しみたくて、峠なんか攻めてみた。カーブを曲がろうとしたところで、記憶は途切れてる。  ああ……俺、()けたんだな。(はじ)ぃ……。  痛いとか入院費とかより、恥ずかしい方が勝って情けない。自分の身体を見回すと、右腕がギブスで固定してあった。その他は、特に痛むところはない。  ホッと息を漏らして左手を上げようとしたら、手の平に違和感があった。  何だこれ。ナースコール? が握らされている。  ああ、気が付いたら押せってか。  怪我が軽かったこともあって、ふと邪念が目の前をチラついた。確か、昔ダチがスキー行って骨折って入院した時、担当の看護師と一瞬付き合ったって言ってたなあ。  白衣の天使。うん。悪くない。  ちょっとドキドキしながら、俺はナースコールのボタンを押した。 『はい、今行きます』  何だ。男の声だ。医者が来るのかな。  密かに落胆しながら待ってると、白衣ではなくブルーのスクラブを着た背の高い男がやってきた。 「気が付きました? 頭がボーッとしたりしませんか?」 「はい、大丈夫です」 「ヘルメットに傷がついてなかったから、頭は打ってないと思うんですけど、一応検査しました。右腕もヒビが入ってるだけですし、検査結果に異常がなければ退院となります」  天然パーマなのか、長めに伸ばした前髪が波打って瞳に降りかかる、大人しそうな優男だった。  俺の白衣の天使は?   思わず訊いてしまう。 「あの……担当の看護師さんは?」 「僕ですよ。よろしくお願いします、大内さん。八潮といいます」 「げ」 「えっ」 「あ、いや」  俺は慌てて口を塞ごうとして、右手に力を入れてしまって再度、顔を歪める。 「いって……」 「ああ、利き手だから不便でしょうが、意識して使わないようにしてください」  マジかよ。俺は、担当が男だということと、不便さに心の中で悪態をつく。俺はよく分かりやすいってからかわれるから、思いっきり顔に出てたんだろう。看護師……八潮さんが小さく吹き出した。   「可愛いナースを期待しました? すみませんね、僕で」  何処か自虐的な響きも混じってる。 「あ、いえ、そんなことは……」 「思わなかった? AVによくありますよね。ロリータナースの夜の回診、とか」  うっ。それ観たことあるやつだ。  何と返したら良いか戸惑って思わず黙ると、八潮さんは拳を口元に当てて今度は盛大に噴き出した。 「あはは。その顔、観たことあるでしょ。僕も正看護師になるまでは、そういうの観てました」 「えっ」 「今はまだ割合は少ないけど、男性看護師増えてるんですよ。AVみたいな展開は、期待しないでくださいね」 「参りました……」  八潮さんは楽しそうに笑う。一発乗らせて貰うのは無理だけど、その笑顔を見ると、男同士ハラ割って話すのも良いもんだな、と思った。 「じゃあ、先生呼んできますね。何かあったら、すぐナースコールで呼んでください」  笑みながら、八潮さんは軽く手を振って病室を出て行った。     *    *    *  夕食は、実に質素だった。ガキの頃しか入院経験のない俺は、忘れてた。病院食が、上手くも不味くもない代物だということを。しかも、利き手が使えないから食べられない!  俺は早速、ナースコールを押していた。 「どうしました?」 「食べられないんですけど……」  俺の手元を覗いて、八潮さんは眉をしかめた。 「ああ……スプーンで食べられるものを、と伝えておいたんですけど。通常食が来ちゃってますね。手伝います」 「えっ」  八潮さんは箸を持つと、焼き魚の骨を器用に取って、躊躇いなく俺の口元に運ぶ。こんなこと、彼女にだってやって貰ったことない。というか、彼女が居たことがない!  何だかドギマギして一瞬躊躇(ちゅうちょ)したら、駄目押しに八潮さんが笑った。 「はい、あーん」 「ちょっと! からかわないでください!」 「あ、彼女に怒られる?」 「いや、彼女居ないけど……って、そういうことじゃなくて!」  顔が熱い。赤面症気味の自分が恨めしい。きっと真っ赤になってるだろう。 「じゃあ、大内さん念願のナースプレイってことで。あーん」 「やめてください!」  思わず大声を上げたら、薄い唇に人差し指が立てられた。 「シーッ」 「あ……すみません」  カーテンで仕切られてるから個室みたいに感じがちだけど、さっき衣擦れの音が聞こえてたから、大部屋なんだろう。 「ここ、何人部屋ですか?」 「六人部屋ですけど。ベッドがここしか空いてなくて、他はお婆ちゃんばかりです」 「そう……ですか」  八潮さんだって、いつまでも俺と遊んでるわけにはいかないだろう。覚悟を決めて、俺は口を開けた。  八潮さんがカールした前髪の奥で微笑む。何だか妙に、色気を感じる表情だった。 「バイク」 「ん?」 「バイク、好きなんですか」 「あ、はい」  『あーん』の気恥ずかしさを紛らせるみたいに、八潮さんが穏やかに話し始める。 「でも今日、小雨が降ってたじゃないですか。雨の日のバイク事故、多いんですよ。だからせめて、晴れてる日だけにして欲しいんです」 「はあ……」  高校卒業と同時に家出同然で上京した俺には、そんな風に親身になってくれるひとは居なかった。何だか、口元にほんのり笑みを浮かべたまま間近で食事の世話を焼いてくれる八潮さんのことが、気になってくる。 「八潮さんって幾つですか?」 「僕ですか? 二十一ですけど」 「えっ」 「えっ」 「俺よりみっつも下じゃねぇか!」 「ええ。それがどうかしました?」 「敬語使って損した……」  実際、背が高く適度に筋肉質で、面長の雰囲気は、三十代と言われても信じただろう。   「年齢を気にするってことは、男女も気にしそうですねえ……残念です」  一瞬、何を言われたのか分からなかった。八潮さん……八潮と目を合わせると、視線を絡ませたまま、右手のギブスを手にとって……そこに、キ、キス!? された!! 「なっ……! だから、からかうの、」  舌が回らない。また真っ赤に上気して、舌足らずに八潮を責める。 「からかってませんよ。可愛いひとだな、って思ってました。僕、バイなんです。ロリータナースじゃなくて申し訳ないですけど……好き、になっちゃいました」 「お前みたいなデカいの、好みじゃない」  いやいやいやいや、それよりもっと前にツッコむところがあるだろう? 自問しながらも、言葉が勝手に溢れ出す。 「大丈夫です。僕、タチですから」 「は? 何?」  俺たちは一瞬、同じ表情をして顔を見合わせた。困惑の表情で。 「ええーっと……つまり、僕が乗る方ってことです」 「はあ!?」 「シーッ」  その静止で、ようやく大部屋なのを思い出す。小声で額を付き合わせて、噛み合わない問答をする。 「お前、年下だろ!」 「じゃあ、僕に乗るのはOKなんですか?」 「まさか」 「アッ。勘違いしてました。僕、二十八です」 「嘘なのが見え見えなんだよ!」 「じゃあどうすれば、彼女になってくれるんですか?」 「なっ……なるか! ボケ!」  精一杯凄みながらグッと顔を近付けたら……信じられねぇ。鼻の頭にちょんとキスされた。 「ふふ。真っ赤ですよ。可愛い」 「こっこれは、赤面症だからで……」 「毎日、『あーん』しましょうね」 「こっこの……!!」  意味ありげな笑みを唇の端に浮かべたまま、食事のトレーを持って、八潮は病室を出て行った。生まれてこのかた彼女が居たことのない俺は、確かに人肌恋しかったけど……絶対! 絶対あいつなんかと付き合わねぇ!  そこが心臓になったみたいにトクトクと疼く鼻の頭を左手で押さえて、俺は涙目でナースコールを押した。 「どうしました? ……おや」 「てめぇ……責任、取れよな!」  八潮は切れ長の瞳を見開いたあと、俺の顎を人差し指で引っかけて、ぺろりと鼻を舐めてきた。 「変態!」  俺は、鼻血を出していた。言い逃れの出来ない、男のさがだった。八潮が喉の奥で忍び笑う。  新しい扉が、開いてしまうのかもしれない。 End.

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