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『言い訳が足りない』
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ヘッドハンティングされて、出社初日で後悔した。エレベーターで1階まで降りると、3人の受付嬢に御丁寧なお辞儀をされる。外に出て巨大な自社ビルを見上げる。今までの所はスタッフが全部で5人だった。
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ビルから十分離れたのを確かめて、適当なバーに入る。今日は金曜日で、それはいいことで。カウンターに突っ伏している男がいる。酔い潰れるような時間じゃない。
「彼だったら大丈夫。ここに寝に来るんですよ。」
バーテンダー。ベストスーツに普通のネクタイ。昔気質のタキシードはもうあまり見掛けなくなった。
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珍しいウィスキーがあったからそれにして、俺はワザとその男の側に座る。白い首筋に男の若さを感じる。それにしては、仕立てのいいカシミアのコート。だけどあの会社、俺になにを期待している? 確かに俺は今まで、色んなメンズブランドを倒産から救ってきた。だが俺はカジュアルが得意で、フォーマルは完全に専門外だ。グラスを握る。転職のお祝いだ。後悔してるけど。
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それにしても、こんな所で熟睡できるのは凄い。俺は眠りには苦労する方だ。ケータイのアラームが鳴って、男が飛び起きる。
「もう、マスター、これからまた接待! デパートのお偉方。デパートなんて坊ちゃんばっかだから苦労するよ。ちょっとビール頂戴。」
「いいの?」
「バカバカしくてやってらんない!」
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ジョッキで半分、一気に飲み干したところで、彼は俺の存在に気付く。
「あ、もしかしたら,デザイナーの大和秀治さんですよね?」
態度が急変して、俺はクスクス笑う。
「よく知ってるね。」
「それはそうです。よく雑誌でお見掛けします。僕、貴方のデザインの服、たくさん持ってますよ。」
名刺を渡される。庄司達矢。俺が新しく就任したブランドの営業。尻尾を振ってる子犬のように人懐っこい、営業向きの男。イケメンで。
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「君んとこのブランド、景気はどうなの?」
「相当ヤバいですよ。メンズのフォーマルなんてスーツばっかりですからね。今のままだと、他との差別化が図れない。」
彼は別れ際に、俺の肩を軽く叩く。ボディタッチ。営業の技?
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俺は一人で飲んでいると、必ず嫌なことを思い出す。希望を探そうとすると、不安と焦燥感が増す。挙句に、俺はハッピーになるために生きてるんじゃない、ということを考え出す。フォーマルはスーツだって言ってたな。俺はペンを握る。思い切った懐古趣味はどうだろう? ヴィンテージの要素を加えて。ベートーヴェンが生きた時代の伊達男。そこまで考えて、金曜の夜だということを思い出す。ペーパーナプキンに描かれたデザイン画を見て自嘲する。バーテンダーがそれを覗く。
「さすがデザイナーさんですね。」
「もう止めた。」
俺は絵をポケットに捻じ込む。
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月曜日。幹部会議が終わって部屋を出ると、そこにこないだの若者が立っている。誰だった? 庄司達矢。
「大和さん。ズルいですよ。」
「なにが?」
「僕に内緒で。」
無理してるような微笑み。でも十分可愛い。俺は笑いを堪える。
「君が就業中に昼寝をしようが、ビールを飲もうが、俺には関係ない。」
達矢は焦って、辺りをキョロキョロ見回す。あまり虐めるのも可愛そうかな?
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俺はその週の内に、スタッフを半分他の部署へ送った。幹部を含めて。まだ人が多すぎる。どっち道、相当ヤバいブランドだから、会社はなんにも言わない。金曜日の夕方。エレベーターに乗ろうとすると、達矢が追って来る。
「僕のこと、どうして他へやらずに残したんですか?」
不貞腐れた調子。
「悪かったかな?」
彼は下を向いて、足でカーペットを蹴る。それが可愛い。エレベーターのドアが開く。
「どっか行こう。俺この辺、知らないし。」
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薄暗いバー。男しかいない。そういうバーなのか? 達矢が俺の腕を無理矢理つかんで店に入る。なんでそう乱暴なのか分からない。周りの男に俺達が一緒だと知らせてる? 考え過ぎか。二人でビールを頼む。一人で飲む時と気持ちが違う。一人で飲む時は余計なことを考える。彼はいつもと全然違って、黙っている。そうして俺の気を引いてる? それも考え過ぎか。
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「君は随分静かだな。」
それでも彼はなにも言わない。俺の顔も見ない。気を引いているのだとしたら、かなり効き目がある。営業の技? 達矢に、俺のポケットに入ってたデザイン画を見せる。ペーパーナプキンに描いた、ベートーヴェン。仕事の話しはすべきじゃないけど、俺達の接点は、今はそれだけだ。
「俺は好きだな。売り易いとは言えないけど。」
彼の口調が変わる。上司と部下じゃなくて、二人の男になる。変わり方が上手い。だからさっきあんなに黙って。
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「大和さん、もっとこういうの描いて。」
「秀治でいいよ。」
彼はやっと俺の目を見る。
「じゃあ、秀治。もっとこういうの描いて。ヴィンテージ。」
俺は彼を立たせて、着ているスーツを見る。そつなく仕立てられたフォーマルスーツ。
「これは家のブランド?」
「そう。」
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ピンがあったら打ちたい箇所がたくさんある。身体には合ってるけど、理屈には合ってない。
ジャケットを脱がせて裏返す。メンズは芯の貼り方が勝負だ。そしてシャツの形を見る。達矢は、すっかり仕事の顔になってる俺を笑う。
「服見たいんなら、俺の家に行けばたくさんあるし。」
「どこ?」
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タクシーに乗る。達矢が俺の手を握る。真っ直ぐ前を見ながら。それがエロいな、と思う。部屋に着いて俺はクローゼットを開ける。綺麗に整頓された服。
「秀治。ほんとに服見に来たの?」
「そうだけど、なんで?」
彼は持っているビールの缶を開ける。俺は彼にスーツを着せようとする。
「やだ。」
「なんで?」
達矢は俺の頭をしっかり掴んで、キスをする。ビールの味の。
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こないだのカシミアのコート。無難なベージュの。色はもっとモダンでもいいな。淡いブルーとか。明るいグリーンとか。とうとうベッドに押し倒される。彼のシャツ。襟の幅が中途半端。俺だったらこうする、という絵が浮かぶ。ボタンに手を掛けて、手が止まる。フォーマルだったらもっといいボタン使いたいな。
「もういい!」
達矢が拗ねてどこかへ行ってしまう。ふと見ると、ほんとに俺のデザインしたTシャツがある。去年の夏物。
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彼を探すと、キッチンの隅でビールを飲んでいる。
「なにしてんの?」
俺はそう声を掛ける。彼は一度俺の目を見て、すぐ逸らす。
「服ばっか見て。俺のことなんて。」
可愛いな、って思ったから、少しからかいたくなった。
「家のブランド問題多いな。コンセプトが中途半端だ。」
「だからなに?」
俺のこと睨む。
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俺はまたクローゼットのあるベッドルームに戻る。すぐに達矢が追って来る。
「こないだ会ってから、ずーっと秀治のこと考えてたのに。」
「せっかく来たから、ここにあるの全部見たい。」
「それじゃあ、言い訳になってない。」
言い訳になってない?
「今夜のうちにアイディアをまとめたい。」
「それじゃあ、言い訳が足りない。」
言い訳が足りない?
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それについて考える。言い訳が足りない。
「君がここに来れば、服がたくさんあるって言うから。」
「じゃあサッサと見て!」
メンズフォーマル。創られたフォーム。達矢はベッドに横になる。プンプンしながら。
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俺は考える。男の身体。感情のある。今まで男の身体を創ろうとし過ぎた? もっと自然な形でいい。まあ、それはいい。金曜の夜に考えることじゃない。俺は、達矢の身体を優しく抱きしめる。
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