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第四話『 The Moon / R 』 下
「失礼いたします」
「あぁ、ありがとうございます」
季節の移り変わりは随分と早いもので、法雨 が雷 の名刺と再会してからすっかり多忙になり、連絡の事も手につかずに三カ月ほどが好きた頃。
その多忙さも少し和らいだその日に、そのバーの常勤スタッフであるユキヒョウ族の桔流 は、妙に見覚えのある顔立ちの客へと水を運んでいた。
「ご注文はお決まりですか?」
「そうですね、じゃあコチラを」
「かしこまりました。――以上でよろしいですか?」
「えぇ、とりあえずそれでお願いします」
桔流は、そうして男が指し示した季節限定のクラフトビールの注文を受け取り、一礼してテーブルを離れようとした。
すると、そんな桔流を呼び止めるように男がひとつ声をかけた。
「あの、ひとつよろしいですか?」
「はい。なんでしょう?」
桔流は不思議に思いながらも、笑顔で男の問いに応じる旨を示す。
すると男はそこでひとつ、とある事を尋ねたのだった。
「あの~、法雨さん」
桔流はその後、店の裏に入り、法雨が仕事をする事務所にやってきた。
そして桔流がそう声をかけると、法雨はノートパソコンから目を離し、首を傾げるようにして答えた。
「ん? なぁに?」
「んと、さっきお客様がお一人いらっしゃったんですけど――法雨さんは元気にされてますか? ――って訊かれて~……」
「え、アタシ?」
「はい。で、お呼びしますか? って言ったんですけど、それは断られたんでー……一応伝えるだけ伝えておこうかな~と~……」
「そ、そう……」
法雨はそんな桔流の言っている事は理解できたが、その間どうやら何か別の事を考えているらしい様子を見受け、何とも言えない返事をした。
「う~ん……」
そして、桔流がいかにも悩んでいますとばかりの唸りを発した為、法雨は率直に尋ねる事にした。
「どうしたのよ、さっきから。何か思い出せない事でもあるの?」
すると、そんな法雨の言葉に対し、相変らず考えながら言葉を返した。
「ん~実はですね……そのお客様の顔……俺、どっかで見たことがあるような気がしまして……」
「“どっかで”? アタシのこと訊くくらいなんだから常連さんでしょ?」
「いや~……実は店じゃないとこで見た覚えがある感じなんですよね~」
「何よもう、アタシまで気になるじゃない……思い出してよ」
「う~……ん……」
法雨に背を押されるも、どうにも思い出せないらしい桔流に溜め息を吐き、法雨は言った。
「しょうがないわね。いいわ、手伝ってあげる。そのお客様はどんな方なの?」
「え? あぁえっと、オオカミ族の方で~結構かっこよくて、体つきもがっしりしてる感じですね。多分、毛並みは黒です。――オオカミ族で黒って珍しいですよねぇ~」
この時間帯の店内は、照明が少しだけ暗く、橙のトーンが強く映えるようになっている。
その為、明確な色を判断しにくい状態になっているのだが、恐らく桔流ほどのスタッフともなれば、色味の判断は間違えないだろう。
そして、そんな桔流の回答を聞き、法雨ははっとした様子で更に問う。
「え? オオカミ族……? ――身長は?」
「身長ですか? え~と、とりあえず俺よりは全然高かったです。多分190くらいあるんじゃないですか?」
「……まさかそれ――」
「あーっ!!」
法雨が己の予想を口にしようとしたところで、何か思い当たったのか、桔流が突然声をあげた。
だが、それに対し驚いた法雨はすぐに桔流を窘めた。
「や、やだもう何よ! びっくりするじゃない! お客様に聞こえたらどうするの!」
「あ、す、すいません……」
そこでやや反省した様子を見せた桔流にまったく、と言い、法雨は続ける。
「それで? 思い出せたの?」
そして、法雨は法雨でその客の事が気になっていた為、できれば早く回答を聞きたいという気持ちもあり、やや急かすようにそう言うと、桔流がすっきりしたような表情で言った。
「警視庁主催の講演会ですよ!」
「……はぁ? 講演会?」
法雨はその桔流の返答を聞き、一気に脱力した。
桔流の回答からして、つまりはそのオオカミ族の客は警察関係者か、講演会のスタッフか何かなのだろう。
そして、そうであれば私立探偵である彼とは一切関係がない。
そう思い、意気揚々と話す桔流の言葉に気の抜けたまま耳を傾ける。
「そうなんです。実はこないだ、事務所にもお知らせが来てて、一応参加してきたんですけど――」
桔流の云う“事務所”というのは、彼の所属する芸能事務所の事だ。
桔流はこのバーのスタッフであると共に、兼業としてモデルでの仕事もしているのだった。
「――その講演で、犯罪の対策とか心理についてオオカミ族の警視正が講壇に立ってたんですよ」
「け、警視正……!? やだ、そんなお偉い様がこんな庶民的なバーに来るわけないでしょ。ソックリさんよ」
彼らの世界において、警察関係者や学者は、社会階級が上位の者とされている。その為、その警察機関の中でも警視正などという階級をもつ者ならば、お忍びでもない限り、街中に一人でやってくるものではない。
「そうですかねぇ~……でもほら、意外とお忍びとか……」
そう。確かにお忍びであればありえなくもない。
「そうねぇ……でも、お一人なんでしょ?」
「はい」
ただ、もし本当のお忍びであるならば逆に、一人で出歩く事はないだろう。
法雨はそう思い、改めて言葉にした。
「じゃあないわよ。そんな王子様の下町へのお忍びじゃないんだから……警視正なら、ちゃんとお付きの方を付けてるでしょ」
「え~、でもめっちゃ似てますよ?」
「強情ねぇ。きっと曖昧な記憶だから補正されてるだけよ。――ま、でももしそうだったとしても尚の事騒ぎたてたらご迷惑よ。いずれにしても、変に気にしないでおきなさい」
「あ、はい……それはそうですね。――でも、もし本物だったとしたら、法雨さん、王子様に名前知られてますよ?」
そう言われ、法雨は眉間に皺を寄せて言った。
「ヤダやめてよもう……何もやましい事なんてしてないんだから……」
すると桔流はおかしそうに笑いつつ、首を傾げた。
「アハハ、王子様なんですから、イイ話なんじゃないんですか?」
「やぁよ。その王子様、憲兵が本職なのよ? そんなの息苦しくて願い下げよ」
すると、やっと法雨の意図を理解したのか、桔流はまた笑った。
「はは、なるほど。それは確かに」
それから少しだけ冗談を言い合った後、法雨は何気なく気になったので、自分の目でもフロアを確認してみる事にした。
そして、己の目を疑った。
実はあの後、桔流にその講演のパンフレットを見せて貰ったのだが、そこに掲載されていた警視正の顔は、なんと本当にあの雷にそっくりだったのだ。
更にはその名前まで同じだった。
だからこそ驚いたのだが、今店内にいるそのオオカミ族の客も、恐らく雷に違いなかった。
(嘘でしょ……)
法雨は一体どれが真実なのかすらも分からなくなってしまったのだが、いずれにしても今来店しているあの雷には、しっかりと伝えなければならないことがある。
そして法雨は、ちょうど雷からの注文があった為、次のドリンクを自分で運ぶことにした。
「失礼いたします」
法雨がそう言って、丁寧に彼の前にグラスワインを置くと、彼は礼を告げながら顔を上げた。
「あぁ、どう、も……」
そして、彼も法雨の事に気付いたらしく、少し驚いたように言葉を切った。
その様子を受け、法雨は苦笑しながら挨拶をした。
「お久しぶりです――で、合ってますか?」
すると、彼は穏やかな笑みを浮かべて言った。
「はは、えぇ。合ってます。――お久しぶりです。法雨さん」
そんな彼に、法雨は改めて笑みを返す。
とりあえず、この店にいる雷は、法雨が以前出会った雷に間違いないようだ。
「あれから、お加減はどうですか?」
そして、法雨が礼を告げようとしたところで、雷がそう言葉を続けた。
法雨は、そのような事を訊かれるとは思わず、少し驚きつつ言った。
「え、えぇ、変わりなく元気です」
すると、雷はまた安堵したように笑んだ。
「そうですか、それは良かった。安心しました」
そんな雷に対し法雨は、
「ご心配をおかけしました、それで、あの――」
と詫び、言葉を続けた。
「この間はその、失礼な態度をとってしまって申し訳ありませんでした」
「え?」
法雨はあの時、彼に対し酷く無礼な物言いで、彼の厚意を無下にした事をただずっと謝りたいと思っていた。
だが、当の雷はその謝罪に対し、不思議そうにした。
そんな彼に苦笑しつつ、法雨は続ける。
「いえ……助けて頂いたのに、あんな物言いをしてしまったので……お詫びをしたかったんです。それと、お礼も。――あの時は、助けに来て下さって、本当に有難うございました」
すると、雷はやっと法雨の意としているものを理解したのか、あぁ、と言って続けた。
「いや、そんな詫びも礼もいりませんよ。あれは俺が勝手にやった事ですから。――それよりも」
「?」
雷は少し表情を引き締め、
「あれから、トラウマになっていたりはしませんか?」
と心配するように言った。
「トラウマ?」
法雨はそれに対し首を傾げるようにした。
「えぇ、あれだけの事があったので、もしかすると俺もまた、その嫌な記憶をフラッシュバックさせるような要因になっているのではと思いまして……」
「いえ……そんな事は全然――」
そしてそんな雷の言葉を受けた法雨は、そう言いつつはっとした。
なぜ、雷がこの店に姿を見せなかったのか。――つまりはそういう事だったのだろう。
「――もしかして、それを気にされて、これだけ時間をあけていらっしゃったんですか?」
すると、雷は苦笑し、頷くようにして言った。
「はは、鋭いですね。――実を言えば、そうです」
「………………」
やはり探偵ともなれば、そういった依頼人との接触も多いのだろうか。
そんな事まで考えて、あえてすぐには様子を見に来ないという判断は、法雨を驚かせた。
だが、それは法雨が一人ではない為にそうしたのだろうと考えると、妥当だった。
まず、法雨には家族が居たし、大切にしている従業員たちもいた。そして、友人の存在もすぐに思い浮かぶだろう。――であれば、その中で一番親しみの浅い雷が、わざわざ彼の様子を見にくる必要はない。そして、雷の言うように、もしもあの日の事がトラウマになっていたのであれば、雷を見る事でフラッシュバックする可能性もあるだろう。
そう考えれば、雷が法雨に会うならば、十分に時間をあけて来るというのは妥当な判断だ。
そしてそこまで考え至った法雨は、そこまで自分の事を考えてくれた雷に改めて感謝の意を伝えた。
あのように酷い態度をとったにも関わらず、雷はただ法雨の身を案じていてくれていたのだ。そんな彼は、本当に優しいヒトなのだろう。
「そんなお気遣いまで、本当に有難うございます。でも、安心してください。本当に何ともありませんから。――あの時にも言いましたけど、アタシ、そんなにか弱くはないんですよ」
すると、そんな法雨の言葉に、雷はまた穏やかに笑んだ。
「確かに、とても心のお強い方のようだ。恐れ入りました」
「ふふ。恐縮です。――あの、それと、アタシも雷さんに一つお伺いしたい事があるんですが」
そして、法雨がそんな事を言うと、雷は不思議そうにして言った。
「はい、なんでしょう?」
法雨はそんな雷に対し、一呼吸おき、意を決したように言った。
「その、雷さんがこちらにいらっしゃらなかったのは、そのトラウマに関しての他に、お仕事がお忙しかったからいらっしゃれなかったのではないですか?」
下町へ忍ぶ為の偽りの姿。
庶民に扮した憲兵の王子様。――いや、警視正ならば王様級かもしれない。
「仕事……ですか?」
「えぇ」
法雨は、やや緊張気味に雷の言葉を聞く。
だが、当の雷は相変わらず不思議そうな様子で言葉を紡ぐ。
「仕事は、そう、ですね……依頼も大きなものはなかったので、事務的な仕事が多かったのですが、忙しいとまではいきませんでした。――あぁでも、少し講壇に上がる事があったので、その期間は移動が忙しかったですね」
講壇。
――オオカミ族の警視正が講壇に立ってたんですよ
講壇という事は間違いない。
やはり、彼は王様なのだ。
法雨は心臓が騒がしくなるのを感じながら、改めて問うた。
「あの……お名前は、雷さんでよろしいんですよね」
「え? えぇ、“雷”という字を書いてアズマと読みますが」
「……その、では、あの時……アタシを助けに来て下さった時……警察なんて呼ばなくても、雷さんなら逮捕できたんじゃないですか?」
「え……?」
「雷さんのお仕事……本当に探偵なんですか?」
もしかしたら自分はまた失礼な事をしているのかもしれない。
だが、もしも本当に警視正などという存在ならば、ただ一言の礼だけでは済ませられない。
法雨はそう思い、無礼を承知で問いを続ける。
「どうして……そう思われるんです?」
そして雷はただそう問い返した。
「その……――」
法雨はそこで、雷に先ほど桔流としたやりとりを簡単に説明した。
そして一通りの話を聞いた雷は、納得したように笑み言った。
「あぁ、なるほど。そういう事だったんですね。ははは、そうか、アイツもここ最近で講演があったんですね」
「“アイツ”?」
法雨は首を傾げて復唱した。
すると変わらぬ笑顔で雷は続けた。
「はい、俺もアイツもまだ真名 を貰っていないので、ややこしかったですね」
“真名”というのは、亜人族間に存在する“名付け”の風習により授けられる、生涯で他者から名付けられる二つ目の名の事だ。
一つ目は“幼名 ”と言い、こちらはこの世に生を受けた際に両親から名付けられる名で、基本的には成人するまでの名乗る名となっている。
そして成人後は、親から受け継いだ姓のみを自分の名として名乗るのが一般的だ。
次いで、“真名”というのは、自らが生涯でたった一人と決めた相手に貰う名の事だ。
基本的には婚約する際などにお互いの真名を授け合うのが一般的だが、そうでない場合もある。
そして、この雷と、アイツと呼ばれる雷氏は、お互いにその真名を貰っていない為、雷とだけ名乗っているようだった。
そんな雷は、言葉を続ける。
「確かに俺の名前は雷に間違いありません。そして、その警視正の名も雷です。でもその警視正は俺じゃなく、俺の弟なんですよ」
「お、弟?」
法雨が目を丸くしていると、雷はまた続ける。
「えぇ。正しくは、双子の弟です」
「………………」
なんと、王子様もとい王様は双子だったらしい。
まるで影武者だ。
「そう、だったんですね……」
「えぇ。俺が警察機関にいたのは、数年前までです」
「……え!?」
再び情報の訂正が入った。
影武者などではなく、彼は元王様という事らしい。
そのように、法雨が脳内で彼の階級変更を行っていると、ほがらかな笑みをもって雷は言った。
「俺もまた近いうちに別の講演はありますが――俺は嘘偽りなく、探偵ですよ」
「な、なるほど……」
そうして無事、雷は私立探偵に間違いないという情報が手に入ったところで、法雨は長く話し込んでしまった事にひとつ詫びを入れ、一度店の奥へと戻った。
そして、そこで何やらそわそわと待機していた桔流に報告を入れてやる。
「桔流君。残念だったわね……あの人は正真正銘の私立探偵さんよ」
しかし、桔流はそこで新たに一枚のパンフレットを取り出しながら法雨に行った。
「いや……わからないですよ法雨さん……」
「え?」
「こ、これを見てください……」
すると、そんな桔流が見せて来たのは数日後に開催されるらしい医学会主催の講演パンフレットだった。
そしてそこに医学界の権威としてオオカミ族の医師の写真が掲載されていた。
その名も“雷”である。
法雨はそれを見るなり、動揺を隠しきれない様子で
「か、……顔がちょっと違うじゃないの」
と言った。
それに、あの雷は嘘をついているようには見えなかった。
だから彼は本当に私立探偵の雷であるはずなのだ。
――俺もまた近いうちに別の講演はありますが
(じょ、冗談でしょ)
法雨は心の中でそう思いながらも、どうしても気になってしまった。
そして、結局雷に尋ねてみる事にした。
すると、それを聞いた雷はまたにこやかに教えてくれた。
「あぁ、それはうちの一番上の兄ですね。……兄弟揃って講演の時期が被るとはなぁ……」
そうしてのほほんとした様子でそう言った雷に、法雨は更に目を丸くしていた。
もちろん、テーブルを整えるふりをして、二人のその話を盗み聞きしていた桔流も目を丸くしていた。
(恐るべし……雷一族……)
雷の話を聞きながら、その時、法雨と桔流は同時にそう思ったのであった。
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