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からうり通りのくずり屋さん

 ちりんちりんと音が鳴って、本日最初のお客様が入ってきた。 「……いらっしゃいませ」  木製の小さなカウンター越しにぼそぼそと低い声を出したのは、この「くずり屋」の店主こと、僕のご主人様だ。かまいたちの三男で、名を葛葉と言う。周りからは「くずさん」と呼ばれている。  ご主人様は厚手のタートルネックのセーターの上に、さらにニットのカーディガンを着ている。その上から羽織った白衣はきっちりとボタンが留められている。顔を覆うのは白くて大きめのマスク、それに手袋もしている。靴下も、一体何枚重ねて履いていることだろう。全体的にもこもこしていて、そのせいなのか、心なしか動きにくそうに見える。  決して風邪を引いているわけではない。いつもこの格好だ。  そう、僕のご主人様は結構な寒がりなのだ。 「さっむい! めっちゃさっむい! なんでいつもこんなに寒いのこの店は! 外の方があったかいよ!」  本日最初のお客様――真っ赤な顔をした小鬼の円さんは、両腕をさするようにしながらハイトーンボイスでわめいている。彼は腹巻一つしかしていないから、随分と寒そうに見える。 「仕方がないでしょう。……暑さに弱い薬もある……」  ご主人様は億劫そうに答えた。  ここ、くずり屋には数え切れないほど色んな種類の薬が売られている。天井まで届くような棚がいくつもあって、古今東西掻き集めた良薬、妙薬が所狭しと置かれている。  中には一風変わった薬や、ご主人様自らが作った薬もある。特に塗り薬は、酷い火傷もたちまち治ると、とても評判が良い。  お代は、ネズミの尻尾だったり、蛇の抜け殻だったり色々だ。薬の代わりに、材料になりそうなものをもらっている。  ご主人様はぼそぼそと尋ねた。 「それで、……今日はどうしたんですか?」 「そうだ! 大変なんだ! 母ちゃんが、しゃっくりが止まらないって、困ってるんだ。もしかしてこのままずっと止まらなかったら、母ちゃん、し――」 「そんなことで死んだりしませんよ。……白。二の棚の上から三段目の右から五番目」  ご主人様が僕の名前を呼んだ。ちなみに、白と書いてハクと読む。「くずり屋」の看板オコジョだ。  円さんは背丈が小さいので、棚にある薬まで手が届かない。そういったときに薬を取ってあげるのが僕の仕事だ。ご主人様はめったなことがなければ自分からは動かない。動くのが面倒なのだ。  するすると柱を伝って、目的の薬をくわえて降りる。円さんに渡すと、お代の角の欠片を目の前に置かれた。 「ありがとう、白~!」  頷いて、欠片を口にくわえると、円さんは嬉しそうに言った。 「全く白はこんなに可愛いのに。飼い主はくずさんでしょ? 一体誰に似たんだろうね。くずさんも、もうちょっと愛想よくしなよぉ。せめてマスク取って笑ったらいいのに」  ご主人様は、一つため息をついて言った。 「……愛想をよくしろと言われても……この顔は生まれつきであって、俺のせいじゃないので……、マスクを外したところで変わりませんよ。笑ったところで怖さが増すだけです」  ご主人様は、薬を作る腕前は確かだけれど、かなりの三白眼のせいで、人相があまりよくないのだ。視力も悪いせいで、若干凝らし気味になる目つきは、正直、いいとは言い難い。 「一粒だけ呑んでください。最高で三粒までです。それ以上は呑まないように。……お大事にどうぞ」 「はーい」 円さんは薬の入った袋をぶんぶんと振り回しながら帰って行った。 円さんが帰って数十分後。 「こんにちは」  声と同時に、ちりんちりんと、また鈴が鳴った。  曇りガラスの向こうから、ひょっこりと顔をのぞかせたのは、雪さんだ。 「……いらっしゃいませ」  ご主人様がさっきよりもほんの少しだけ高い声を出した。 「雪さん。調子はどうですか?」 「だいぶいいよ。今年の夏は全然寝込まなかったし。葛葉の薬は本当によく効くね」  ありがとう、と微笑む雪さんは、ほっそりとした美人なお兄さんだ。雪女と人間のハーフで、見た目はすごく若いけれど、ご主人様よりもずいぶんと長く生きているらしい。  暑さに弱い雪さんは、定期的に薬を買いに来ている。身体に冷気を閉じ込める薬だ。以前は、夏の間はずっと大型の冷蔵庫から出ることができなかったと言っていた。 「白、おいで」  手招きをする雪さんの手にも、手袋がはめられている。うっかり素手で触れると、火傷をしてしまうことがあるからだ。 「白はずっと真っ白なままだねぇ」  近寄ると、抱き上げられて膝の上に乗せられた。野生のオコジョは年に二回換毛するらしい。夏になると背が茶色に、冬が来ると全身が白くなる。  けれど、生まれも育ちもくずり屋の僕は、どういうわけか、ずっと白い毛のままだった。この店が寒すぎるのか、それともここが妖怪の住む町だからなのか。他のオコジョに比べて長生きだし、もしかしたらいつかは、僕も話せるようになるのかもしれない。  背を撫でる優しい手にうっとりしていると、急に背中に悪寒が走った。毛が逆立つ。  振り向くと、ご主人様と目が合った。表情はさほど変わらないのに、確実に怒っていることがわかる。視線が痛い。ちょっと心が狭すぎると思う。  急いで膝の上から降りると、少し残念そうな雪さんの顔と、当然だとでも言わんばかりのご主人様の顔が見えた。 「雪さん、どうぞ……」  ご主人様は、カウンターの奥から薬を取って、雪さんに渡した。カウンターの後ろには、毒薬や劇薬といった、表には置けないようなものや、依頼があって作ったものが置かれている。雪さんの薬も特別なもので、お店の棚には並んでいない。 「いつもありがとう。ああ、そうだ。今日も沢山もらってきたよ」  そう言うと、雪さんはカウンターの上に、ボタンほどのサイズの粒や粉の入った小袋を置いた。雪さんのお代は、人間界の薬だ。研究熱心なご主人様の新薬開発の為に欠かせないものだ。 「ありがとうございます……」  ご主人様の言葉に、雪さんは首を振って、それからにっこりと笑った。 「葛葉には、いつもお世話になってるから。今俺が、こんなに自由に動けてるのは、ぜんぶ葛葉のおかげだよ。……あれ?」  そう言って首を傾げた雪さんの視線の先には、薄桃色をした液体の入った小瓶があった。 「すごくキレイな色だねぇ。こんなのあったっけ? 一体何の薬?」 「あ、ええっと…………栄養剤、です」  雪さんは小瓶が気になるようで、ご主人様の少し焦ったような声には気がつかなかったらしい。小瓶を手に取って、軽く傾けて揺らす。はちみつのようなとろみがあった。 「へぇ、葛葉が作ったの? もらってもいい?」 「え? い、いいです、けど……あの、でもちゃんとできているかどうか、わからな……」  雪さんはにっこり笑って、小瓶の中身を一気に飲んだ。と同時に、ご主人様がごくりと唾を飲んで、雪さんをじっと見つめた。 「……どうですか?」 「甘い」 「他には? それだけ、ですか?」 「うーん、特には……これから効くのかな?」 「……一応、即効性がある、はずなんですけど。昔から良く効く薬は苦いといいますし……まだ、改良が必要なようですね……」  がっかりと肩を落としたご主人様を雪さんは慰める。 「……葛葉の作る薬は、俺にはいつも甘いよ。俺でよかったら、いつでも言って。何度だって協力するよ。葛葉の為なら」 「……ありがとうございます」  それじゃあまたね、と手を振って雪さんは店を出た。  見送りに出て、姿が見えなくなるまで手を振っていたご主人様は、戻って来るなりカウンターに突っ伏すようにしてうめいていた。 「あー……もう……つらい……ばか……なんでだ……? 理論上では完璧のはずなのに……何がいけなかった……?」  どうして。何がおかしい。ぶつぶつと呟いている。  寒がりなご主人様が、一年中厚着をしながら常に店の中を低温に保っている理由は、本当は薬の為だけじゃなくて、いつ雪さんが来てもいいようにだってことくらい、僕も知っている。  とっても頭のいいご主人様だけど、とてつもなく鈍感だ。僕が話すことができるようになったら、教えてあげたい。  もともと恋の病にかかってるひとに、惚れ薬は効かないんじゃないですかって、ね。

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