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蟻と台風 01(有賀+海燕)

こんな仕事をしていると、世界って世知辛いなぁとかアホばっかだなぁとか現実は小説より奇だなぁとか思うことは多々あれど、世界って狭いなァなんて思って尚且つその狭さに感謝したのは初めてに近かった。 その日は特別特記するようなこともない比較的平和な日だった。 いつも通り朝起きて、一階下の事務所に出勤して、一日の業務を確認して、お昼に春さんの作った親子丼を平らげて、特別面倒な客が来店することもなく、トラブルが発生する事もなく。 大変順調に日が暮れるまで事務作業をこなしていた。 春さんはここのところ夜はずーっとキャバクラのバイトに引っ張られていて、大変眠そうではあったけれども。 一人やめたとかバックレタとか、もーもーそんなの放っておけばよろしいのに優しいんだからそういうところも好きだけれどやっぱり夜ご飯を一緒できないのは中々寂しい。 相変わらずボクは全く料理ができない。掃除もできない。壊滅的に生活能力がない。 なわけで、しゃーないなーって溜息ひとつと苦笑でお掃除とか晩御飯とか作ってくれる恋人の存在がそれはもう大変貴重なわけですよ。 別に、春さんはそこにいるだけで貴重なお方だけれどもね。 かわいいし。かわいいし。格好良いし。優しいし。仕事もそつないし。もーなんであんな大したことない会社でこき使われてぼんやり生きてたのって今でも頭傾げちゃうくらいに、深川千春その人はお仕事ができる方だった。 そんな完璧な恋人様が居ないと、ボクは途端に暇になるわけです。 大した趣味もないし。テレビは苦手だし。最近買った本は軒並みハズレで、途中で読むのを辞めたものばっかりだ。 春さん迎えに行くついでに、本屋にでも行こうかなぁ。 ぼんやーりとそんな事を思い立ち、なんとなーくいつもより早い時間にジャケットを羽織った。 面倒くさいから今日もスーツだ。というか、面倒くさくて着替えて居ない。ついさっきまで残業してたし、わざわざ部屋着になってから外出することもないだろう。 フラットな状態で迎えに行くと、春さんはともかくリリカ嬢達が大変楽しそうに冷やかしてきて煩いったらない。 好意故の弄りだということは理解していても、相変わらずからかわれるのは苦手だ。集金帰りにちょっと寄ったんですーというスタンスが一番、面倒がない。 いつもは持たない財布をつっこんで、うーんそう言えば買ってたシリーズがあったなぁどこまで読んだかなぁ、この前ネットで書評読んだアレはどこの出版社だったかなぁ、なんてことをごねごねと考えながら繁華街を横切った。 書店を一周して、買い続けている好きな作家の最新作と、なんとなく目に付いたものを数冊買った。 ここの書店は紙袋に入れてくれるから好きだ。今はみんなスーパー袋で味気ない。 ちらっと伺った時計はまだまだ夜が更けるには早い時間で、財布持ってるしなぁということで珍しく喫茶店に入った。 駅前の喫茶店は程良く寂れていて好きだ。 多分、去年できた若者向けのコーヒーチェーン店に軒並み客を持って行かれてるんだろうと思う。時々顧客とのお話合いに使うせいで、新人店員にはうっかりビビられているけれどマスターは知り合いなので、見るからに怪しいスーツのボクでも安心して足を踏み入れられる。 案の定手前に座っていた女性二人組に二度見されましたけれど。 ボクなんて最高に無害なのに全く失礼な話だ。 「こんな時間からお仕事ですか?」 「いやいや、個人的な時間つぶし。たまにはボクだって一人でぼんやり珈琲飲みたくなる時もあるんですよーってことでブレンドください」 馴染みの店長にさっくりと注文して、奥の席に座り、珍しく混んでるなーと店内を見渡すと、向かいの位置にあるテーブルについている数人の人間と目が合った。 四人掛けの席に三人。僕に背を向ける椅子の席には金髪の男性。その向かいのソファー席にはスーツの男性二人。 なんかの勧誘かなーと目を細めた時に不自然に視線を逸らされて、おや、と思う。 ……どうにも、見覚えがあるような、気がするんだけど誰だろう。 多分知り合いじゃない。自慢じゃないが交友関係はアホみたいに狭い。ボクの周りは素敵な御老体と女性ばかりで、男性の知り合いなんかこの界隈には皆無に等しい。 うーんそうなるとお客様なんだけど基本的に借金をなさるお客様ってどうもきちんと返済していても『闇金から金を借りるなんて心苦しい事』だと思っているらしくていついかなる時も目を合わせてくれないし挨拶なんかもってのほか状態だ。 もっとこう、気軽に声かけてもらってもいいのに。普通に返済してるなら、入用の時にご利用いただくのは恥じることじゃないと思いますけどね。まあ、世間のイメージっていうのもあるのは存じておりますので、ボクも声など掛けずに本を――開こうとしたところで急に思い出した。 あ。 あのおっさん長期御滞納でこの前シャチョウが事務所ごと逃げられたクソがって超絶悔しがっていた事務所の人じゃね? 「……うわぁらっきー」 スーツ着てきてよかったぁと思う。 ボクは剣呑な顔つきをしている自信はあるけれどイマイチ体つきが細くて迫力がない。私服姿はただのそこらへんのおにーちゃんになってしまう。いや実際そこらへんの若造なんですけどねーやっぱりこう、お仕事中は迫力が欲しいじゃないですかぁ。 というわけで時間つぶしの読書タイムは無かったことにして、大変怖いと皆さまから絶賛される目が笑って無いらしい笑顔を作ってスーツの襟を正して立ちあがった。

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