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疲れ切ったあなたは毒だ(サイラス×シャオフー)
遅かったですね、と声をかける前に背中から抱きこまれて流れるようにキスをされたのだけれども。
「……っ、ふ……ちょ……、ぅ、……サイ、あなた、どうしたんですか、ええと、その、嬉しいけれど落ち着いて……!」
正直嬉しい。とても嬉しい。ここがキッチンで私は夕飯の調理中だったがフライパンの上のネギなどどうでもよくなるほど嬉しい――が、驚きすぎてターナーを落としそうになったのも事実だ。
サイラスは優しい恋人だ。ベッドの中では些か理性がぶっとぶせいでやたらと情熱的だが、基本的には彼は驚くほどに優しい。というか、口ではだらだらと口説くくせに奥手だ。
ねだれば与えてくれるし、勿論キスだって山ほどしてくれるが……大抵は私が彼をつかまえて迫ることが多く、タイミングも基本的に甘い言葉を交わし合っているときなどが多い。
こんな、いきなり、挨拶も言葉もなしに急に唇を奪われるなんて、私が興奮してしまうからやめていただきたいと思う。本当に。
別に、断じて、一切嫌ではないしなんなら落ち着いていただかなくても結構なのだが人として調理中に急に背中から襲われるのはいただけない。それはよくない。
私のまっとうな抗議を受けたサイラスは、貪るようなキスをやめてほんの少しだけ顔を歪ませてごめんと言った。
「……もう、あの……疲労がピークすぎてシャオフー補充しないと無理、駄目って思って身体が先に動いちゃったー……ごめん、反省します」
「いえ、反省はしなくていいですが火を止める時間だけください。いくらでも襲っていただいて結構です。できればキッチン以外でお願いしたい、というだけなので。……珍しいですね、あなたがそこまで、その……疲れているなんて」
ぐだっとした様子のサイラスは、私の背中にのしかかりながら息を吐く。アジア人としては平均身長である私でも、長身のサイラスにはすっぽりと抱き込まれてしまう。
耳にかかる息が重い。
どうやら、本当に心底疲労しているらしい。
珍しい、と思う。彼は自他ともに認めるワーカホリックで、家でも仕事をしたがる人だ。仕事が好きというよりは、集中して何かをこなしている時間が好きらしい。
どんなに長時間パソコンと向き合っていても、資料をめくっていても、インタビュー音源を再生していても、寝なくても食べなくても休まなくても、彼は基本的に仕事関係で疲労を訴えることはない。
それなのに今日の彼は目に見えてぐったりとしていた。
私は今朝やっと帰って来たばかりなので、今日のサイラスの仕事内容は知らない。今はウィズメディアの時よりは自由に、やりたい仕事ができているのではなかったのか。
そんな私の疑問は口にせずとも伝わってしまったらしく、耳の上に苦笑いが落ちてくる。
「仕事はね、うーん、まあ、いつもの作業なら疲れるなんてことはないんだよ。慣れてるし、おれは同じ作業何度も繰り返すの、苦じゃないし、文字書くのも雑誌作るのもその工程のすべてが結構好きだからねぇ。……実は今日さぁ、マッドの代わりにちょっとした付き合いの場に駆り出されたんだけど、もう、ほんと、死ぬほど疲れちゃって……」
「マッドの代わり? 彼、なにか急用でも?」
「なんか変なモノ食べたみたいで緊急入院しちゃったの。週末キャンプ行ってたみたいだから、そのせいじゃない? ってミレーヌは舌打ちしてた」
「……彼はなんというか絶妙に外れくじを引きますね。というか、マッドの代打はあなたなんですか」
「ミレーヌが嫌だって言うならおれが行くしかないじゃない? ダニエルはおれなんかより引きこもりだし、社交的って言ったらトリクシーのほうが適役っちゃ適役だけど彼女学生だし。ほら、おれしかいない……」
「シンディは……」
「ネッサローズの未来が一瞬で閉じちゃうでしょ。いやシンディはいい子だよ。わかる。おれはすき。たぶんみんなシンディ大好きだよでもシンディ取引とか会議とか社交の場に居たらだめでしょあれ」
「まあ、そうですよね。彼女が素晴らしい友人であることは、周知の事実ですが……。あなたは、外交の場にひっぱりだされてそんなへろへろに?」
「なるよーなるでしょー所詮ウチなんか新参者の、しかも元ボスを売りさばいた非人道的グループですよ。金もないしコネもそんなにないし、あるのは経験とやる気だけだからね。ちょっとした仕事の話だったんだけど、もーほんとちくちく言葉が刺さって、だめだね、おれ人間相手の会話に向いてないんじゃない……?」
確かにサイラスは本を読んでいる方が幸せだろう。元来インドアだろうし、休日に豪遊するときも基本はグループではなく一対一で出かけるようだ。束になった人間が苦手なのだろうということは察している。
「別に嫌味言われたわけじゃないんだけどなぁ、なんか、それでもだめだね、基本人間との会話向いてないんだよ疲れるから。疲れることはやりたくない、んだけど、ほんとそうも言ってられなくって、朝から晩までフルで他人に気を使ってたらもー無理ーってなっちゃってシャオフーに甘えたくなった……」
ごめんね、と柔らかく謝った彼が私の肩に額を擦りつける。髪の毛がくすぐったい。その上耳から入った言葉は甘すぎて私を大いに興奮させる。
甘えたい、と言ったか。いま、この人は、甘えたいと言ったよな?
いつもは私ばかりが彼に甘えてキスをねだって身体を摺り寄せてしまうのに。いや、まあ、別に、最終的にお互いが好きだしどちらがきっかけでもどうでもいいのだが……やはりこう、私ばかりねだってしまってはしたない、という気持はあった。
彼はいつでも悠然と甘いのに、私は焦ってその袖を引っ張ってしまう。特に最近そう思うことが多く、自重せねばと己に言い聞かせていたところだったので余計にこう、よくない。
興奮と感動と羞恥と歓喜が一気に足元から這い上がり、じわりとしたくすぐったいような痺れが駆け巡る。いますぐ地団太を踏みたいような、あふれ出す言葉を適当な叫びにして垂れ流してしまいたいような。……とにかく、痒い、甘くて、痒い。
サイラスは疲れているだけだというのに、求められて有頂天になっている私の浅はかさと言ったら、もうなんというかひどい。うん。よくない。よくないとは思うが一度舞い上がったテンションはなかなか落ちず、私は降参してターナーを置いて彼の頭を撫でた。
「……そんな嬉しいことを言われては、私が調子に乗ってしまいますよ。顔を上げて、サイラス。……火を止めたのでキスができます」
いつもならだらだらと、甘い言葉が続く場面だ。
けれど今日は言葉などなく、積極的なキスが降りかかる。
「……ふ、……っ、…………ぁ」
「…………シャオフー、舌、舐めたい……」
「ん…………、ぁ…………」
ぬるり、とした彼の舌にすべてをからめとられ、濡れた音が耳から私を犯していく。
たっぷりと時間をかけて、やわらかく転がすようにサイラスは私の咥内を味わう。キスはもう何度目かわからない。いい加減慣れた……と言いたいところだが、実のところいまだに腰が抜けそうになる。
足に力が入らなくなり、自然としなだれかかってしまう。自慢ではないが私は重い。まあ、うん、筋肉というやつは贅肉よりも重いので仕方がないのだが、これが意外なことにサイラスはいつでも私を器用に支えた。
本と仕事の虫かと思いきや、こういうところでしっかりと格好いいから私は困る。元来男性にときめくような嗜好ではなかったのに、格好いい彼の部分に心を動かしてしまう。
思う存分堪能した……と思ったのに、かなり長いキスを終えたサイラスは掠れた声で『たりない』と囁いた。
……本当に、私が興奮するのでやめてほしい。そういう事を言われると、軽率に欲情してしまうのだから。
「あー……だめ。ほんとだめだ、疲れると好きなモノだけ摂取したくなんの……。もういまね、シャオフーを隅から隅まで嘗め回して撫でまわしてぎゅっとしてキスして髪の毛撫でて一晩中好きだよって言いたいもの……」
「なんですかそれは、素晴らしい、私が得しかしていない。愛を囁かれながら甘やかされたい、のではなく、囁きたい方なんですか?」
「え、うん。言いたい。好きって言いたいしキスしたいし撫でたいしぎゅっとしたい……あー、おれ、甘えるって『許してもらえる』ってことだと思ってんのかな……? してもらいたい、っていうより、おれがそうするのを、許してほしいなぁって感じ……」
「ああ……あなたらしい考え方ですね。勿論私は許しますし、というか私に得しかないので大歓迎ですが……それは夕飯の後では駄目?」
「あ、ごめんごはん作ってくれてたんだっけ。あーじゃあ、そっち優先……うーんでも、離れがたいなぁ……シャオフーに抱き着いてると、もうなんかすごい好きだなぁって思って幸せになっちゃうんだよねぇ離れがたい……」
「では満足するまで夕飯はお預けにしましょう。あとは豆腐を入れて炒めるだけなのでどうにでもなります」
「え、麻婆豆腐? えー食べたい。おれ好き、シャオフーの麻婆豆腐。辛くていいよね、最高」
「先に食べます?」
「……もうちょっとキスする」
疲れてるから仕方ないよね、だなんて言い訳を添えてくるあなたは可愛い。かわいいから私は内心の興奮をきっちりと抑えることに必死になる。
別に興奮して押し倒しても五分後には押し倒し返されてそのまま二時間は開放されないのだろうけれど。私は楽しいが、開けてしまった豆腐はできれば早急に麻婆豆腐にしてやりたい。
疲れ切ったあなたはよくない、私の自制心が持たない。
そんな身勝手な事を考えながら、私はあなたの手を握った。
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