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第81話
「──……これは珍しいものが見られたな。魔王よ、お主を口説いているのは誰だ? 人間だな?」
「っ」
突然、俺の背後から低く染み渡るような威厳のある声が聞こえた。
パッと振り向くと、いつの間にか真後ろに知らない人物がいる。俺はつい反射的に警戒し、身を固めた。
ニメートルほどある大きな上背に、真白いマントを羽織った軍服の男だ。
マントの下に覗く海獣の尾。
癖のない薄く青みがかった絹糸の髪は腰あたりまで伸び、その頭上にはユリスくんと同じく犬耳が生えていた。
太陽の光を受けるそれは透けるような美しい長髪だが、女性らしさはない。
鋭い目つき。ライゼンさんのような柔和な雰囲気でもない。
──背後を取られた……?
──勇者として戦場をかけていた俺の背後を、気配もなく……?
この男は、強い。
勝てる気がしない要注意人物とみた俺が身構えていると、男の登場に一切動じず悶絶していたアゼルが復活した。
スッとスムーズに立ち上がる。
ぷるぷると顔を数度振って、ペシペシと頬を軽く叩くアゼル。何食わぬ顔をするアゼル。いや、食べまくっていたぞ。
「久しぶりだな、ワドラー。海は変わりねぇか?」
「うむ。大事ないぞ、我が王。大事あるのはお主の頬だろう。林檎のようだ」
大男──ワドラーさんは厳かに頷いたが、未だに赤らんだ頬を指摘されたアゼルは、バツが悪そうに舌打ちした。
んっ? 確かユリスくんのお父さんだったな。ふむふむと物珍しそうにアゼルを眺めているワドラーさん。
ほほうと興味深い声が聞こえそうだ。
父性に満ちた眼差しである。
「〝鬼哭血獣 〟嘆きの魔王、アゼリディアス・ナイルゴウンが、よもや人間に口説かれて照れ顔を晒すなんてな……アワヤルが見たら卒倒するぞ」
「やめろ。その大雑把に訳すと不貞腐れて泣きながら血まみれの犬って感じの恥ずかしい肩書フルで言うのやめろ。魔王だけにしろ」
「そうか? 恥じるところはないと思うが。役職を持てば真名 に肩書がつくのは当たり前だろうに、なにを今更」
やはりアゼルもガドやライゼンさんと同じく、恐ろしい二つ名を持っていたようだ。
本人はかなり気に食わなさそうだが、ワドラーさんはその恐ろしい名前をなんとも思っていないらしい。
名付けをする習慣がある魔界ではよくある表現なんだな。
だとしたら人間とは感性が違う。
大丈夫、種族の文化の違いなら特になんとも思わないぞ。冒険中その肩書きであの魔物姿のアゼルとエンカウントしたら脇目も振らずに逃げるが。
そんなことを考えていたので反応を示さずにいたところ、なぜかアゼルがチラチラと視線で伺ってきた。どうした?
意図がわからず首を傾げると、目を逸らされた。なんだ、気のせいか。
ちょっと気になったが意味はないのかもしれないので、俺は深く触れないことにした。
「……なるほど、人間に怯えられたくないのか……ククク。本当に今日の魔王は魔王らしくない」
「チッ……うるせぇな。今日も明日も俺は優しい魔王だぜ」
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