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第106話(sideアゼル)

 巨大な狼へと変貌した俺を、月が余すところなく照らし出す。 『シャルを食ったのは、お前だな』  口元を赤く染めた海坊主の魔族を見下ろしそう尋ねると、影縛りによって悲鳴もあげられない男が、唯一動く大きな目玉だけで俺に助けを請うた。  俺はそれを一瞥して、海坊主の周りにいる魚人たちの指を、全て正確に刈り取る。  ヒュン、と刃が走る音が刹那聞こえるだけ。奴らの声はあがらない。血の一滴すらも流れない。  俺を前にして失血死なんて、興ざめもいいところだろ?  優しい俺は、鎌の表面に熱を持たせ、刈ると同時に傷を焼いている。  なるほど。ライゼンが気に食わない敵を殺さず焼き、時間をかけていたぶる気持ちがようくわかったぜ。  一瞬の苦痛では到底足りない大罪だ。  長く長く、殺さず生きながらえさせ、来世までも逃がさず、徹底的に罪の味を覚え込ませたいのだろう。  けれど相手の防御なんて無に等しく、いつもすぐに殺してしまう俺じゃあなかなかライゼンのようにうまくできないようだ。 『おっと、ヒレが全てなくなったな? ほら、次はどこがいい? 俺は温厚な王だから、望むところを、綺麗に削ぎ落してやる』  ザシュッ、ザシュッ、と鎌を振るい、腕を少しずつ輪切りにする。  耳を削いで、鼻を削いで。  少しずつ体の凹凸をなくしていく。  そこに憐れみや慈愛の感情はない。  ただ、俺は犯してはならない罪に、当然受けて然るべき罰を与えているだけだ。  どのくらい罰を与えていたかはわからないが、体の表面が爪の先程もなくなった頃。  罪人の魚人がいつ事切れたのかすら、わからない。  気がつけば真っ赤なただの木偶になっていて、俺は苛立ちを隠しきれなかった。 『あぁ、ダメだろ……? 全然、苦痛が足りねぇな。脆すぎる。たかだか表面全てを落としただけで、どうしてのうのうと死ねるんだ? 本当に、この魔王のものに手を出したことを反省して詫びる気持ちがあるなら、できる限り長く生きて苦痛を受けるべきじゃねぇか? なぁ……海坊主』  ──わかるだろう? 次はお前だ。  そういう意味で海坊主に問いかけると、もうとっくに俺が魔王だと気がついている男は、涙を流して命乞いの視線を送ってくる。  ……そうだな。  お前は、特別。 『シャルの血は、誰にも渡さねぇ。だからお前は、スペシャルな俺の慈愛を持って』  全部──食ってやる。  ことさら甘ったるい語気とともに、海坊主の視界は、永遠の闇に呑み込まれた。  身動きの取れない男を一口で飲み込んだ俺は、ようやく凶暴な独占欲が落とし所を見つけ、込み上げていた怒りを鎮める。  拷問が下手くそでいけない。  殺してしまったらあとは我慢しなければ。深呼吸をして、口元を舐める。  体をくるりと曲げて背中に視線を向け魔力を薄めてみると、シャルは安寧の中で弛緩した表情を晒し、穏やかに眠っていた。  体に傷はなくとも、肉体と精神の疲労と貧血が色濃く出てしまったのだろう。  安心しきったその寝顔を見ると、張り詰めていた気が緩んだ。  ついさっきまでの殺伐とした感情がなごやかに解け、俺の心は優しく穏やかなもので埋め尽くされる。  シャル……よかった。  きっと知られてねえな。  残酷な部分は隠し通せる。  重罪人の口は封じていたし、魔物語を発する俺の声は聞こえていなかったはずだ。  そばにいてくれるなら、俺の持てる全てでお前の障害は排除するから。  お前が俺の大切なお前のまま、幸福の中を生きていけるように、そしてその隣に、できれば俺がいるように。  ただ、それだけを祈って。

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