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第3話 デリヘルではない

「何だお前、デートじゃなかったのかよ」  そう言いながら俺の部屋に入ってきたのは、同じゼミの淡島行緒(あわしまゆきお)だ。  つい数時間前にいそいそとバイト先を出て行った俺に突然呼び出されたことが気に入らないらしく、えらく迷惑そうな顔をしてる。  長く伸びた黒髪を後頭部で一つくくりにして団子にしてて、ゴツい黒縁眼鏡をかけたオシャレな男。なかなかにガタイが良くてデカいから、淡島にはときめいたことがない。俺は立石さんみたいな中性的な雰囲気の(ひと)がタイプだからだ。それに、淡島はノンケだ。大学に入るまでは、普通に女の子と付き合ってたらしいし。  淡島と俺は、東京芸術工科大芸術学部の文化財保存学科に所属する三回生。  文化財保存学科っていうのは、長い年月を経て現代に受け継がれきた美術品や文化遺産の数々を、適切な方法で修繕・保護していくための技術を学ぶ学科だ。  どんなに有名でどんなに美しい作品でも、放っておけば年月とともに傷み、劣化してゆく。特に日本は湿度の高い国だから、美術品や文化財がより良い状態で生き残っていくには適さない環境だ。誰かが定期的に埃を払い、カビや虫から守ってやらなくては、その姿を保っていられない。  今、現代の人々の目の前に、数百年前の美術品たちがその美しい姿を映していられるのは、これまでに多くの人間たちが修復と保存に関わってきたからなのだ。世間で大々的に取り上げられる存在ではないが、修復師の仕事は歴史をつなぐために存在する崇高な仕事だと、俺は思っている。  そして俺たちは二人揃って、郊外にある美術品修復工房art aliveというところで、実習という名のアルバイトに入っている。工房と名が付いているが、art aliveは一応株式会社。うまく入社できれば、会社員としてそこそこの給与をもらいながら職人仕事をこなすことができる夢のような職場だ。  個人的に所有しているコレクションの修理を依頼してくる人もいるし、博物館、美術館、アートギャラリー……美術品・文化財を扱う様々な現場から依頼は舞い込んでくる。油彩画、日本画、版画などの絵画作品はもちろんのこと、木像、ブロンズ、石膏、石材の立体作品、珍しいケースだとステントグラスなどの修復も請け負うこともある。  この会社は東京芸術工科大学との連携を生かし、幅広い分野の芸術品の保存・修復を引き受ける企業で、業績も上々。学生である俺たちにとってもすごく修行になる場所だし、やり甲斐も得られる。  でもその分、責任は重大だ。ほんの少しのミスで、ここまで守り受け継がれてきた芸術品の価値を下げてしまう可能性だってあるからだ。高い技術と繊細さと集中力の求められる職人仕事なのだ。  ちなみにart aliveの社長はうちの大学の卒業生で、大学時代の仲間を集めてこの会社を興したのだという。だからこそ、実習やアルバイトを積極的に受け入れているのだ。社長のお眼鏡に適えばそのままそこに就職することもできるらしい。俺はこのままここで働きたいと熱望している。なのに……。  立石さんからのメール一つで、将来を棒に振りかねない暴挙を犯した俺……馬鹿!! 俺の馬鹿!! 性欲に負けた俺、死んじまえ!!  仕事締めの日が近づき、年内に返却せねばならない作品は概ね修繕が完了しつつあるものの、いつだって多忙な仕事場から「スンマセン、今日は、ちょっと、ちょっと、アレで! スンマセン!!」と馬鹿みたいにぺこぺこしながら、俺はそそくさと仕事場を後にしてしまったんだ。淡島が俺の行動を不審がっているのは、火を見るよりも明らかだった。 「だ、だからデートじゃないって言ったろ! ってか、ってか、それどころじゃないんだって!!」 「ギャーギャーうっせー。で、何?」 「落ち着いて、落ち着いて聞いてくれ」 「俺は落ち着いてる。まずはお前が落ち着けよ。どうした……ん?」  淡島の知的な目が、分厚い黒縁メガネ越しにきらーんと光った。  俺のワンルーム、壁側に据えたシングルベッドの上に眠るブロンドの人物を、はっきりとその目に捉えている。 「お、お前もついに、デリヘルに手を……」 「ち、違ぇよ! そんなんじゃなくて!!」 「まぁまぁ、いいじゃないか。お前だっていいオトナなんだし、人肌恋しい夜もあるだろうしな。うん、クリスマスだしな」 「違うって言ってんだろっ!! この子は、その……そ、空から、降ってきたんだよ……!!」 「は?」  淡島は心底俺を馬鹿にしたような顔をして、はぁあと派手にため息をついた。そして大げさに肩をすくめながら「お前、俺をからかいたいならもっとマシな冗談を言え」と、俺を押しのけてベッドの方へと歩み寄る。  空から降ってきた少年は、俺を半殺しにした後に空腹を訴え、ぽっくり意識を失ってしまった。  警察を呼ぼうかとも思ったけど……何となく、何となくだが、この少年の悲痛さ滲む声色と目つきが心に引っかかり、ごみ捨て場に置いて行けるような気分になれなかった。何でだろう、ものすごく、助けを求められているような気がして、どうしても放っておけなくて……。だから俺は、首を絞められたにもかかわらず、この不審人物を連れて帰ってきてしまった。  しかし、意識を失った人間ってのはものすごく重たいんだな。細身だから余裕で抱えて帰ってこれると思ったけど、うんうん唸りながら引きずって帰ってきたんだ。……もし誰かにその様子を見られていたら、むしろ俺の方が不審人物だぜ。  その少年は壁の方を向いて、顎の下まで布団をかけて眠ってる。淡島はそっとその寝顔を覗き込み、ぱちぱちと目を瞬いた。 「うわー……すんげぇ。モデルみたいな子だな。……ん? あれ、男? 最近のデリヘルはこんなハイレベルな美少年まで、」 「だからデリヘルじゃねーって言ってんだろ!! 俺がそんなことするわけ、」 「うるさいうるさい。そうだな、お前は自他共に認めるヘタレだもんな。初対面の相手とあんなことやこんなことできるわけないもんな」 「分かってんならデリヘルネタから離れろよ! この子のことも大問題なんだが……ええと、まずはこの鎧を見て欲しいんだけど」 「鎧?」  俺は淡島に、この男が降ってきたときの状況を事細かに伝え、ベッドに寝かせる時に苦労して脱がせた鎧を差し出して見せた。  色は明るいプラチナシルバー。厚さはだいたい一ミリ程度。胸元に金色の花のモチーフ。細かな装飾の施された美しい一品だ。  胴体を覆う丸みを帯びた形状は滑らかで、少年のしなやかな身体に完璧にフィットしていた。材質はステンレスに近い……と思う。でも、俺が今までに触れたことのないような、不思議な感触を持った素材なのだ。表面のあちこちに微細な傷がついているものの、金属とは思えないような深みのある光沢を湛えている。  少年が起きやしないかとビクビクしつつ、強度を確認しようと曲げてみたり拳で叩いてみたりしたのだが、厚みの割りに強度はかなりのもので、容易く曲げてしまえそうな薄さだというのに、どんなに体重をかけてもその鎧は一ミリたりともその形状を変えない。  これはかなり高度な金属加工技術を用いた作品だ。制作元を当たればこの不審少年の身元にも近づけるかと思い、一応ネットで調べてみたけれど、オーダーメイドで、なおかつここまで精巧な鎧なんかを作っている企業や団体は見つからず……。途方にくれた俺は、普段から何かと頼りにしている友人・淡島を呼んだのだった。 「へぇ……すごい技術だな」 「だろだろ!? こんなもん見たことないし、なんで空から降ってきたのかも謎だし……」 「本当に空から? お前まじでそれ言ってんの?」 「まじだって!! こんな嘘つくわけねーだろ!」 「……他に何か気づいたことは?」 「ええと、ああ、そうだ。一瞬、空が真っ白に光ったんだ。カッ! って、稲光りみたいな」 「ふーん……」  両手を振り回しながら状況を説明する俺を、淡島は「こいつ頭大丈夫か」と言いたげな生ぬるい目つきでじーっと見つめていやがる。やめろ、そんな目で俺を見るな。嘘じゃないぞ!! 本当に人が降ってきたんだぞ!!  その時、じゅわぁああという、緊張感のない湿った音がキッチンの方から聞こえてきた。 「あ、鍋焼きうどん作ってたんだった。お前も食ってく?」 「あ、うん……。家に不審人物がいるって時に、よく料理なんか作れたな」 「この人、倒れる直前に”はらへった”って言ったんだ。起きたら食べるかなと思ってさ」 「……あ、そう。え? 言葉が分かったのか? 明らかに日本人じゃないけど」  時折こうして大学の友人がここに集まり、鍋なんかをすることがあるから、一人暮らしだがサイズでかめの土鍋くらいは装備している。  めんつゆを土鍋に流し込み、冷凍庫に常備してある冷凍うどんや冷蔵庫に残っていたネギやらしいたけやらを適当に刻んで投入し、卵を落としただけの簡単なものだが、部屋にはカツオだしのいい香りが充満している。 「うん、分かったんだよな……普通に日本語しゃべってるように聞こえた」 「ふーん。お、うまそ」  リビングのちゃぶ台に鍋敷きを置き、その上に土鍋を置く。取り分け用の小皿や箸、レンゲを用意する俺をじっと見上げながら、淡島はこんなことを言った。 「なんでこんなに家庭的なのに、いい相手が現れねーのかな。立石先輩とは、まだ続いてんの?」 「続いてるっていうか……まぁ……」 「ひょっとして今日も、先輩に呼び出された?」 「うん……」 「ったく……」  淡島とは、入学式の時に席が隣だった。ついでにたまたま同じゼミを選んでいたという縁もあり、大学入学当時から親しくしている。  去年のこと、立石さんに弄ばれることに疲れ果てていた俺は、やけ酒泥酔状態で淡島に性癖をカミングアウトした。貴重な友人を失うかもしれないという可能性すら考えられなくなるほど、その時の俺はデロデロに酔っ払っていたのだ。  でも淡島は、俺がゲイであることを知った後も、友人でいてくれた。その日から淡島は俺にとって誰よりも貴重な親友になった。  それ以来こいつは、立石さんのことで一喜一憂する俺を励ましたりたしなめたり馬鹿にしたりと、何かと相談に乗ってくれるようになった。こいつが華奢な美青年だったら、俺はあっという間に淡島に惚れていたかもしれないが、あいにくこいつは余裕で180を超す長身だ。身長175センチの俺よりもデカくて男らしいこいつの体型は、到底抱きたくなるような代物ではない。ゲイにだって選ぶ権利はある。  それにしても、今日空から降ってきた少年の体型は、とても、きれいだった……いや、別に服を脱がせたわけじゃない。構造を確認しながら慎重に鎧を外しただけだ。ちなみに鎧の下は、身体にフィットした黒っぽい服を着ていた。素材はコットンと麻の混合といったところだろうか、通気性の良さそうな着衣だ。  金色の髪は多少煤のようなもので汚れていたが、蛍光灯の明かりを反射してきらめく様はすごくきれいだし、高く尖った鼻や彫りの深い端正な顔立ちには、気品すら漂っているように見えた。  身につけている装身具も、この少年にはよく似合っていた。首には金色の長い鎖、指にはいくつか細身の指輪をはめていて、左手首には細身のバングル。見たところ、それらは紛れもなく本物の金、純金なのだ。換金したら一体幾らくらいになるのか……なんていうケチなことを一瞬考えたけど、すぐにやめた。どれもこれも細かな装飾の美しい作品で、値段をつけるのもおこがましいほどの素晴らしいものだった。  左腕に負っていた怪我については、とりあえず消毒してガーゼを当て、包帯でぐるぐる巻いてある。一人暮らしを始めたときに母親から渡された救急セットが、まさかこんなときに役に立つとは思わなかった。  土鍋をこたつテーブルに運びつつ、俺はベッドの上に眠る少年を眺めながらそんなことを考えていた。すると淡島は呆れたような口調で、こんなことを言ってくる。 「お前もいい加減はっきりしろよ。立石さんは望みなしなんだろ? じゃあもうセフレなんて非生産的な関係やめとけよ」 「で、でもさー……」 「未練がましい奴だな。そんなにセックスがしたいのか?」 「そういうわけじゃねーけど。立石さん、たまに他の男の愚痴とか言ってきてさ、こんな愚痴聞いてもらえるのはお前だけ……とか言うしさー……」 「だからそれ、ありえねぇから!! 見え見えだろ!  都合のいいセフレが減らないように、目の前にエサぶら下げてるだけだろ!? まんまと食いついてんじゃねぇよ馬鹿野郎。ありえねー馬鹿だなお前は」 「わ、分かってるんだけど……」 「ったく、そんなだからお前には恋人ができねぇんだ」 「う、うるせぇなっ!」  ずるずる、うまい、と言いながら俺の作った焼うどんをすすりつつ、淡島は遠慮のないことをバシバシグサグサと言ってきやがる。  分かってる、十分分かってるんだ俺だって。弄ばれてるだけだってことくらい……。  てなことをへこみながら考えつつ、謎の少年のためにうどんを取り分けたりしていたら、ふと手元に視線を感じた。  ベッドの方を見ると、謎の少年が虚ろな目を見開き、獲物を狙う豹のような姿勢で四つ這いになって、こっちをまっすぐに見据えていた。

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