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第12話 はじめての笑顔

   青々とした若草が萌える草原を、馬に乗って駆ける。  俺の目線の先には、一頭の黒馬と、茶色っぽい粗末な衣服に身を包んだ、小柄な少年が一人。  その幼い少年は高く結い上げた金髪をきらめかせながらこちらを振り返り、満面の笑みを俺に向けた。そして「リオ!! 僕の勝ちだな!」と声変わりも迎えていない可愛らしい声で、高らかにそう言った。  頬を撫でる柔らかな風は暖かく、俺はその笑顔を心底愛おしいと感じた。以前よりもずっと上手に手綱を操る様を見て、誇らしくなった。  笑い声をあげながら再び遠ざかってゆく細い背中を、馬を駆って追いかける。見上げる空はどこまでも青く澄んでいて、真昼の白い月が南にふたつ、浮かんでいるのが見えた。花の甘い香りに、心が弾む。  ――ティルナータ! あんまり遠くへ行くな! 平原の先には恐ろしい魔獣がいるぞ!  俺の声を聞いて手綱を引き、こちらを振り返ってその場で足踏みをする少年。強がっているようで、明らかに怯えを隠しきれていない微妙な表情がことさら可愛らしく、俺は高鳴る胸の鼓動をどう諌めようかと頭を悩ませる。   ――怖いんだろ?  からかうようにそう言うと、少年はムッとしたように唇を尖がらせ、「怖いもんか」と言った。俺はもっともっと怒った顔が見たくて、ついつい意地悪なことを言ってしまうのだ。なんと拙い愛情表現だろうと、自ら呆れてしまう。  ――まだまだお子様だからな、ティルは。シュリを見てみろ、ついこの間までめそめそ泣きごとばかり言っていたのに、この間の遠征の後で急にたくましく……。 「うるさい!! なんでいつもシュリのことばかり褒めるんだよ! 底意地の悪いやつだ!」  本気で怒ってしまった少年を、俺は笑いながら宥めるのだ。そんなやりとりが、楽しくて幸せで、いつまでもこんな関係でいられたらどんなにいいかと、望まずにはいられない。  いつまでも、兄のような立場でいられたら……ずぐそばで見守ることが…… 「ユウマ……」  ――……ユウマ……? それは、誰のことだ……? 「おはよう。ユウマ」 「ん……」  この声を、忘れるはずがない。  俺は、この少年を守るために…………。 「ユウマ、寝ぼけてるのか?」 「…………ん……。んん……?? 」  暖かい布団の中、見慣れた天井。  そして隣には、裸で眠る美少年……?  ――……ティルナータが、素っ裸で、しかも俺の腕枕で寝ている。しかも俺まで、裸……あれっ?   って慌てて下を確認したら、一応パンツとハーフパンツは履いていたから……きっと、最後まではヤってない……みたいだ。  ――ええと、確かティルナータが熱を出して、力が足りないから分けてくれって言われて……キス、した……のは現実か? あれ……? 何かいま、すごく懐かしい夢を見ていたような気がしたんだけど……? あれっ? 今の……なんだ? ティルナータの話を聞いて勝手に作り上げた俺のイメージか? どこまでが夢でどこまでが現実だ……?  「え、ええと……ティルナータ……具合はどう?」 「ユウマのおかげで、すこぶる好調だ」 「え、お、俺のおかげ……?」 「だって」  意外なことに、ティルナータはうっすらと頬を染めた。気恥ずかしそうに目線を彷徨わせ、ちらりと俺を見上げては、また目をそらして……何この反応、すっげ可愛いんですけど。 「ユウマが……口移しで、力を分けてくれたんじゃないか」 「ち、力って言っても、俺、そんな……」 「そのあとも、僕を抱きしめて温めてくれた。……とても、心地よかったぞ」 「え、ええと……」  俺の、俺のキスで元気になった……だと!? そんなわけあるか! 俺は普通の人間なんだ、そんなことができるわけねーだろ……と、思いつつも、俺は照れたように唇をもぞもぞさせつつ布団にもぐりこむティルナータの可愛らしさに眩暈を覚え、何も言うことができなかった。  実際にはきっと、キスのおかげでどうこうというわけじゃないはずだ。ティルナータの高熱は全身が急激に冷えたせいだったのだから、あっためあってぐっすり眠ったら、いくらかは体調が戻ってきたってだけの話なんだと思う。  だって、そんな都合のいい話が、現実にあるわけない。口移しで魔力だなんだを補給するとかそんな……そんな、ファンタジックな出来事が現実に起こるわけねーもんな……。  でも、純粋に嬉しいのは、ティルナータから注がれる眼差しが、一昨日、昨日のものよりもずっと温かみを感じるということだろうか。今までになく情がこもっているというか、優しげというか……とにかく、昨日ショッピングモールの駐車場で感じたような壁は、今はすっぱり取り払われているような感じがして、それはただ単に、すごく嬉しかった。  それに、セックスはしていなくても、こうして肌と肌を触れ合わせてひっついているのはものすごく気持ちがいい。しかもティルナータは俺とこういしていることに抵抗を感じていないみたいだし、むしろ……なんだろ、自分からひっついてきてくれてる感じがすごく嬉しくて、やべ、これ……幸せ。  多分今、俺の顔は果てしなく緩んでいる。もう少しこのぬくぬくとした時間を長引かせたくて、俺はティルナータにこんなことを尋ねていた。 「こっ……こういうことってさ、ティルナータの世界では、よく、することなのか?」 「魔力の受け渡しか? ああ、そうだな。戦場で傷ついた仲間を癒すことは、たびたびあったぞ」  ――……ん? ってことは、ってことはだ。ティルナータは、他の男ともこういうことをしまくっていた……ってことか?  い、いやいやいや。俺のケチな物差しで物事を判断したらダメだ! 傷ついた仲間を癒すだなんて、ものすごく崇高な行為じゃないか!! 俺みたいにただエロいことがしたくてとか寂しさを埋めたくてとか、そんな理由でキスしたくなるとかそういうもんじゃないんだから……!!  と、頭の中では必死にそういう解釈をしようとしたけど、やはり、胸の奥の方がちくりと小さく痛む。  昨晩の初心な反応に興奮したこととか、俺がティルナータの初めてをもらったのだと喜びを感じたこととか……なんだか急に、恥ずかしくなる。 「僕の力は、隊の中では抜きん出て強かったからな。大事な仲間たちのためなら、いくらでもこの力を使いたいと思っていた」 「そ、そっか……」 「だから……こうして、誰かに力をもらうっていうのは、初めてだったんだ。……全てを包み込まれるような気分がして、すごく……」  そう言って、ティルナータは目を伏せて、口元を緩めて恥ずかしそうに笑った。くすぐったさをこらえるような表情を浮かべて、喉の奥でくふふと。  ティルナータの笑顔を初めて見た。でもどこか、懐かしさを感じるのは何故だろう。何かを思い出しそうで思い出せないような、もやもやとしたもどかしさが落ちつかない……けど。  その笑顔の可愛らしさは、俺の萎れかけていた心と下半身を元気付けるには十分すぎるほどの威力だった。桜色の頬、ふっくらとした紅色の唇、そこからこぼれ落ちる真珠のような白い歯。そしてふと俺を上目遣いに見上げ、「ユウマといると、あたたかいな」と言ってくれて……。  ――……ヤバい。今、俺、マジでヤバい。  どうしよう、もう一回キスしたい。ティルナータは健康そのものって感じだからもうキスなんて必要なないんだろうが、このままベッドに押し付けて思いっきりディープキスしたい。  キスじゃ足りない。昨日は病人相手だからって我慢したけど、全身にキスがしたい。きれいな首筋とか、金色のピアスがきらめく耳たぶとか、可愛い乳首とか、おへそとか……そのもっと下の方にも、キスしたい。  ティルナータの身体は、どんな反応をするだろう? 喜んでくれるかな、気持ちいいと思ってくれるだろうか。気持ち良さそうな声で喘いでほしい、荒い吐息の隙間で俺の名前を呼んでほしい……それで、それで、その先まで……!  頭の中で妄想が燃え上がり、俺はそれに突き動かされるようにティルナータの手首を掴んでいた。細くて、硬い手首だ。華奢なバングルがさらりと肌の上を滑り、白い肌の上にきらきらと光を添える。すごく、きれい。 「ユウマ?」 「……てぃっ、ティルナータ……」 「? なんだ?」  気付けば俺はティルナータの上に四つ這いになり、その華奢な手首をしっかりとベッドに縫いつけていた。きょとんとした顔をして俺を見上げるティルナータの瞳はどこまでも澄んだきれいな色をしているのに、多分俺の目は、ギラギラとした性欲に(まみ)れて、油ぎっているに違いない。 「俺……俺っ……」  盛りのついた猿のような性急な動きでティルナータにかぶりつこうとした瞬間、ぐぎゅるるるる〜〜と、気の抜けた音がした。  そしてティルナータは、天使でさえも恥じらって身を隠してしまいそうなほどに美しい笑みを浮かべ、おきまりの台詞を口にした。 「ユウマ、腹が減ったぞ」  ……今日はきちんと、別の布団で寝ようと思う。

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