書かないつもりだったこと

このことは書かないつもりでした。せめて物語が完結するまでは。

「そのこと」と、物語そのものを混同して読んでいただきたくなかったからです。
「そのこと」が引き起こしたものの価値と、物語の価値とを同一面に置いてほしくなかったからです。
万が一にも、「そのこと」の関係者の方々が、そうと知った上で私の作品を見て不快に思われるリスクを冒したくなかったからです。


という言い訳めいた説明はこれぐらいにして、「そのこと」について書こうと思います。

 

2015年8月24日、1人の若者が亡くなりました。
通っていた大学の建物からの転落死です。

「一橋大アウティング事件」。

その内容については検索していただければたくさんの記事が出てくることでしょう。


私は当時、この事件がものすごく、ものすごくショックでした。

21世紀の日本で。最高峰の教養をもつ人々がいるであろう場所で。
優秀な一人の若者が「同性を好きになった」ことが原因で命を落とさねばならなかった。

その事実に愕然としました。

私はシス女性であり、性的指向はストレートで、既婚で、こどもがいます。
セクシャリティにおいてはマジョリティに属する側の人間です。
そんな私が、何故、見知らぬ彼の死に、あんなにもショックを受けたのか。

 

ひとつには、それが自分が自分として生きることの否定、すなわち「アイデンティティの否定」だと感じたからです。
でも、それだけではないのです。
いまだにその答えははっきりとは出ていません。

 

それから随分と考えました。日々の生活に追われ、家族もいる中でできることは限られましたが、ネットで集められる情報はなるべく読み、何か得られそうな講演会などがあれば足も運びました。

 

この「間違い」を「間違い」として終わらせないために、彼の命を無駄にしないために、私にできることはなんだろう。

 

考えた末に、ある決意をしました。

2016年12月。私はここ、fujossyさんで「卒業 -Graduation-」を書き始めました。
国立国会図書館の国際政策セミナー「家族のダイバーシティ―ヨーロッパの経験から考える―」を聞きに行った1か月後のことでした。

 

「卒業」~「10days」~「その恋の向こう側(連載中)」を読んでいただいた方は、もう察してくださっているかもしれません。

物語に出てくる涼矢の家庭教師「渉先生」は、転落死した彼をモデルとしています。(名前やシチュエーションその他は変更していますし、あくまでも物語は「創作」です)。

作中に出てきた時には既に亡くなっている「渉先生」ですが、和樹と涼矢のシリーズは、彼のために書いた(書いている)物語です。

彼が死なずに済む方法を考えたかった。彼が恋した相手がどんな人だったら、それが可能だったのか。彼の周囲の人がどう対応していたら。彼を取り囲む社会がどうあれば、彼は死なずに済んだのか。

「渉先生」は現実の彼と同様亡くなってしまっているのですが、和樹と涼矢は死なせないと。幸せになるルートがあるはずだと。そう思って書きだしたのが、この作品です。

 

まだ物語は終わっていません。

現実の彼の物語も終わっていません。彼の死はその後多くの活動に影響を与えました。今も与え続けています。一橋大学がある国立市は、日本で最初にアウティング禁止条列を施行しました。

繰り返しますが、現実の「そのこと」と、物語はまったくの別物です。

でも、私がこの物語を書く動機は「そこ」にあり、最終到達点も「そこからの救済」にあります。これからもそのつもりで書きます。


今日、2019年2月27日。
彼の遺されたご家族が、大学の相談対応の不備などを訴えた訴訟の判決公判が、東京地裁で開かれます。

 

 

【追記】

誤解を招きそうな点について、補足しておきます。私の主観もまじえていますので、もっと客観的なことを知りたい方は各種ニュース等をご参照ください。また、これに関連して本文の一部を書きなおしました。

 

◆同性愛者であることには悩んでいなかった
彼は高校の時にも同性の同級生に告白をしています。その時相手の子は「友人でいよう」と答えるのですが、実際その後も友好な関係を続けていたと言います。
ご家族に対しては同性愛者であることについて明確なカムアウトはしていなかったようですが、お母様は「そうかな」と感じていらしたようです。そして、報道されているご家族の弁を読む限りでは、カムアウトされていたとしたら、充分にそれを理解し、受け入れることのできるご家族であったと感じますし、彼もまたご家族に言うに言えなくて苦しむ、ということは(ゼロとは言わないまでも)なかったのではないかと推測します。
告白からアウティングまで、またアウティングから転落死まで、4カ月が経過しています。彼は「同性愛者であることを苦にして」「発作的に」死を選んだわけではないのです。

 

◆「死ぬぐらいなら○○すればよかったのに」の○○は実行していた
私がその立場であればそうしただろうし、相談されていたら勧めていたであろう「解決策」はすべて実行済みでした。告白から亡くなるまでの4カ月間、彼は利用できる相談窓口に相談し、具体的な対処についての希望も出していました。