55話 挿絵入り本文を掲載します。『ランドマーク~そこに君がいてくれるから~』
今回はぜひ挿絵入りで読んでいただきたいので、こちらに掲載します。
『ランドマーク~そこに君がいてくれるから~』https://fujossy.jp/books/18238
本編未読の方はネタバレになりますので、回避してくださいね。
55話 ただ会いたくて 11
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季節は更に巡り、僕たちは無事に高校を卒業した。
そして7月の日曜日、いつもの場所で君といつもの時間で待ち合わせをした後、Hampstead Heath《ハムステッド・ヒース》という、自然豊かな公園に連れてきてもらった。
そこはロンドンにいる事を忘れそうになるほど、緑豊かでとても広い森林公園だった。
「今日はランチを持ってきたからピクニックしよう」
「わぁ豪華だね。ローストビーフのサンドイッチなんて」
「君に食べてもらいたくて。魔法瓶には紅茶も入れてきたよ。スコーンもあるし、ほら」
「こんなに、食べきれないよ」
原っぱにクロスを引いて、一緒に少し遅い昼食を取った。
君が笑えば、僕も笑う。
こんな優しい時間が、ずっと……ずっと続けばいいのに。
今日を限りで、もう二度と会えない。
その一言をなかなか切り出せなくて、黙りがちになっていた。
「どうしたの? 今日はいつにも増して静かだね」
「うん……あの……」
「どうした?」
「いや、何でもない」
先月高校過程を終了した僕は、1週間後の今日、執事養成学校の寮に入る事になっている。だから今日が君と出かける最後なんだ。
9月から大学に入学する君よりも、一足先に僕は新しい世界に旅立つ。
そこはとても厳しい学校で、向こう1年は勝手に外出が出来ないそうだ。
1年間英国式の執事の仕事をみっちりと学び、翌年には住み込みで実際に貴族の館で実地研修をし、その後はどこかの屋敷に就職して一生を終える。
これは最初から決まっていた事で、日本を飛び立つ時に、僕に示された人生のレールだった。
僕に選ぶ余地はなく、道は最初から一つしかなかった。
だから……君と夢を見られる時間は、今日限り。
「君も8月終わりまでは暇だろう? 来週は何処に遊びに行こうか。プールもいいし、また乗馬をする? それとも遊園地がいい?」
「……雨が降るかも」
「え? あっ本当だ」
空を見上げると黒い雲が忍び寄っていた。
まるで僕たちの未来を暗示するように。
君ともう会えなくなるのは、寂しくて辛い。
最初から僕の自由な時間は期間限定で、何も望めない身分だと理解していたのに……この1年間、夢を見過ぎてしまった。
せっかく今日はピクニックにやって来たのに、笑顔を保てなくて、君を心配させてしまっているよね。
ごめん。
会えば会う程……君を好きになってしまった。
限りあるのが、悔しくなる程に。
もう認めよう。
もういい加減に、はっきり認めるよ。
僕は同性の君に恋をした。
きっと出逢ったその日から――
最初に霧の中で僕の腕を掴んで助けてくれた時から。
でもこの恋は……僕だけの中で完結させる。
何も未来が描けない恋だから、君を巻き込むわけにはいかない。
ぽつり、ぽつり……
水滴が、渇いた大地に黒い模様を描いていく。
「通り雨かな。レインコート持ってる?」
「いや……僕は濡れても……構わない」
雨に濡れたら、今にも涙が零れそうな切ない気持ちを押し隠してもらえそうだ。
ザァァ──
雨脚がますます酷くなり、洪水のように降り注いできた。
僕はシャワーを浴びるように、顔を空に向けた。
「おい? 何をして……今日の君は少し変だ! これ以上濡れたら風邪を引くぞ」
帰りたくない。
このままふたりで、どこかに消えてしまいたい。
見てはいけない夢を、見たくなる。
すると君は、まるで初めて出逢った時のように、僕の手首を力強く引っ張ってくれた。
「あっ……」
「行こう! あそこで雨宿りしよう」
歩道から雑木林に分け入り、大きな樹の木陰に潜り込んだ。
ここには……僕と君しかいない。
雨にも邪魔されない。
「そんな寂しげな顔、しないでくれ」
「え……」
突然……君に抱きしめられた。
今までのハグとは別物だった。
力強い腕を解けない。
僕の躰を君の躰に沿わせるように、しっかりホールドされていた。
「な、何……」
「隠さないでいい」
君は苦し気な表情を浮かべ、指の腹で……僕の唇にそっと触れた。
「ここ……濡れているな」
そうだ……
僕の唇は、最初から濡れていた。
雨に打たれて、しっとりと濡れていた。
だけど、もっと濡らして欲しいと願っていた。
最後だから、最後に思い出を一つだけくれないか。
僕の着ていたシャツは、雨に濡れていた。
君を見上げれば、大粒の雨が瞳の中も濡らしてくれる。
全身がぐっしょりと濡れ、雨に溺れている心地だった。
いや雨じゃない……
君に溺れているのだ。
「泣くなよ」
熱い涙と冷たい雨が混ざり、やがて人肌に変わった。
僕の視界は、君によって……突然塞がれた。
「あ……」
一瞬何が起きたのか、分からなかった。
目を見開いて、何度も瞬きしてしまった。
だって、君との距離が近すぎる。
「あ……あの」
「雨が俺たちの距離を近づけてくれた。感謝だ」
顎を掴まれたまま、更にしっかりと唇を重ねられた。
僕は動けなかった。
だから静かに目を閉じると、あたたかな雫が頬を伝った。
涙と引き換えに……優しいぬくもりを享受した。
これは口づけだ。
恋人同士がする甘美な口づけだ。
どうして……今日になって?
いや、今日だから許されるのか。
「あ……」
甘い――
甘くて切なくて、とても甘酸っぱい。
君を好きな気持ちがどんどん膨れ上がって、漏れてしまう。
バレてしまう。
何度も角度をかえて、唇を丁寧に重ねてくれた。
まるで僕の返事を促すように……
「俺は君が好きだ。君も俺を好きだろう? なぁお願いだ……どうか君の名を教えてくれよ」
あぁ何てことだ。
魔法が溶けてしまう。
それを聞いては駄目だ。
「……ごめん、言えないし、もう会えない。君とは……今日が最後だった」
僕は君の胸を渾身の力を込めてドンっと突き放し、一気に走り出した。
「どうして!! 嘘だろう? 君も同じ気持ちのはずだ! 口づけからちゃんと伝わってきたのに」
戻りたい……君の胸に!
でも絶対に出来ない。
「さよなら……だ」
「そんなの信じられない! 来週も待ってる、再来週も……絶対また会う! 俺は君を本気で愛しているんだ!」
僕を愛している?
そんな……
涙で視界が霞み、何度も転びそうになりながら走り抜けた。
もう言わないで──
どうかそれ以上言わないで。
気持ちが揺らいでしまうよ。
(僕だって、僕だって……君が好きだ!)
天に向かって愛の告白を叫びたい気持ちを必死に抑え、泣きじゃくりながら走った。
さよなら──
僕の自由。
さよなら──
僕の青春、そして初恋。
名も知らぬ君に恋した思い出を糧に、生きていく。
一生……結婚なんてしない、あり得ない。
この恋だけが、僕の恋だった。