【絵の話】Cherry Night ジュンタ、咲夜 「おやすみの間」

 ちわ。

 毎日更新したくてストックなくてこの記事始めたんすけど絵の更新あったから別にする必要ないか?とか、絵更新はノーカウントやぞ、とか色々迷って、これは自己完結型の迷いなので、「誰かが待ってるの!」系のあれではない。

 

 大体自分の創り出した架空大衆に叩かれる被害妄想で怖くなっちゃったり焦っちゃうタイプなんですよね。もしかしたらわたくしの創り出した架空大衆は現実の大衆よりも清廉潔白かもしれないけれど同時に狡猾で正義マンかも知れない。

 運転免許の適性検査でも正義感が強過ぎるからたまには譲歩しろや、みたいなこと書いてありましたね。あと頭が悪すぎて信号機を「みどり、オレンジ、赤」といったら「合ってるんですけど信号機の色で言ってください…」と言われてしまった。赤・青・黄なのは知ってるんですけど、色にこだわる生活してるからかな…もしあれが信号機じゃなかったら、あれはわたくしにとって、緑とオレンジなんだよな。

 茶トラとか茶色っていわれてる猫とかウサギもわいさんにとっては「オレンジ」なんだよな。ちなみに太陽のイメージもオレンジ。山吹色がそもそもオレンジだと思ってるので…

 

 正義感は別に強くないつもりなんですけどね。暴力教師に逆らって不祥事()起こしたり、台風の日にガキが1人でほっつき歩いてるから家まで送ってずぶ濡れになったり、大学のやり口が気に入らなくて学生運動()して学務課直々に連絡がきたり、知らんおっさんが転んで流血してパーカーを枕にしたら血が付いて捨てなきゃならなくなったりと、正義感()というか、自分に対する自分への理想像が現実についていけなくて苦い思い出は盛りだくさん…頭が悪すぎる。スマートに生きたい。ほんの一部では賛美してくれたけど、実質的にはパァにしたよ、色々と。物理的なものもそうだね。ずぶ濡れにしたものとか、パーカーとか。今の人間関係を極力避け、社会的繋がりを断ち、首を突っ込まない・見て見ぬふりの引きこもり生活は、まさにその勉強から得たものかも分からないね。

 

 見て見ぬふりは加害者論、完全に蚊帳の外の強者の理論ですわあれは。

 

 正義は必ず勝つ!正直者が必ず幸せになる!勧善懲悪!みたいなのを幼少期に真に受けたのがいけないんですかね。

 でもやっぱりわたくしの創作って、エンタメ色も強いんですけど、そもそもが、たとえば欲張りじいさんとか、鬼ケ島の鬼とか西の悪い魔女とか、継母と義姉だとか、カチカチ山のタヌキとか彼等彼女等に必要なのは制裁ではなく社会的ケアとか余裕とか教育とか思想改造とか、そういうのだろ!って思って、わたくしの創作の始まりが「こんなエンタメはクソだ!」みたいなところから始まってるのでエンタメ一色で終わりたくなさもある。でもちみの創作はエンタメだよ、と思われたらそれもそれで。

 暴力!鬼ケ島の鬼は暴力で人々を脅かしたから桃太郎は共存を選ばずに暴力によって決着したのだろうか?圧倒的な暴力。いうて鬼をクマに置き換えたとき、わいさんはクマ56せぉ…と思ってしまうから、桃太郎のガワなんだよな。何が桃から生まれた桃太郎じゃ。人類は雌から産まれるんだから雌太郎、腹太郎、膣太郎、子宮太郎、もしかしたら精嚢太郎じゃボケが。ヒトから生まれたのでヒト太郎です、よろしく。

 

 今日の絵の話。ジュンタごんは今だったら受だっただろうな。サイコパスっぽさが入ってるかどうかでワンコ系は受か攻か変わりますね。たまに聖域といって受か攻か考えるのもヤダ!ってことはあるんですけどね。

 


(2014年7月)

 別れの予感で起きてしまう的な。2人はCP組まないです。受とか攻とかもない。交合しないと人類が死に瀕する状況になったらワンチャン交合するかもだけど、2人が出られないくらいなら心中選ぶかもね、知らんけど。いや、たとえ強姦魔になってでも交合して相手を出すかもしれない。分からないけれども彼等にとって互いは多分失ってしまったけれどももう失いたくないものなんじゃね。友情をロマンティックに見過ぎ、理想を抱きすぎかも分かりませんけれども。
 結局人間は自分が一番なのかもしれませんね。時折計算の間に合わない反射というものが起きてしまいますが。無力なくせに「傍観してるだけの自分が許せない」みたいなあれがあって、しかしやって後悔、やらずに反省。だから創作というファンタジーの中では「他者のことばかり思いやる、しかしそれが利己的ですらある」みたいになりがち。忖度・考察・お察し()が必ず相手の心情と一致しているとは限らないし、そういうものは時差でやってくるのかも知らんわ。

 前にとある講義に出たことがあるのですが、「自分よりも相手が好き」なんてことはまずない・歯の浮くような言葉は信用するな、みたいな話を聞いたことがありまして正しくは「自分の次に好きだ」くらいにしておけ、みたいな。技法を教える系の講義だったのですが殆ど講師の主義主張を聞くという場でした。とはいえその先生の主義・主張は意外にわたくしの中に浸透している。それから「~主義」なんて言葉で括るなとも言っていましたけれどもねwそんな小難しく括る必要はないとか、人間はそんな極端じゃない、みたいなようなことを理由に挙げていたような。


 …なんてまた話が脱線している。

 布団が餃子みたいですね。

 無加工がこれ↓なんですけれども

 絵がちょっと滲んでいるようなぼけているような感じがありますが、これはガウス効果です。SAIにはガウス機能がなくて、筆か水彩筆の透明度やその他の設定でガウス効果を出すためのツールを調べて作ってみました。

 強弱つけないとただただ汚くみえるんですよね。この頃は結構それなりに使えてたんですけれども惰性でガウス効果に頼るようになってからはなんか仕上がりが小汚い。
 

2019.12.16