『ランドマーク』の読者さまへ

最終話の挿絵入りの本文です。

https://fujossy.jp/books/18238

 

『ランドマーク』ランドマーク ~そこに君がいてくれるから~ 

 

最終話『ランドマーク』2

 

 

 

 

 ここは……まるであのロンドンの衣装部屋のようだ。
 あの空間を忠実に再現している……!

 

「瑠衣……本当は……君とは、ここからやり直したかった」
「アーサー」
「もう誰にも邪魔されない場所だ。ここは」

 

 アーサーが感極まった表情で、僕の前に立った。

 

「あの……」
「タキシードを脱がせてくれ、あの日のように」

 ロンドンのアーサーの部屋の衣裳部屋は少々手狭だった。だが、まだ余所余所しさが残る僕たちの距離が縮まるのには、最適な空間だったのを思い出した。

 ここに君を誘い、誘われた。
 僕は、そっと君のタイに手を伸ばした。

 

「分かった。……では、失礼するよ」

 

 意識し過ぎて変になりそうだ、僕――。
 吐息の届く距離で見つめあうと、君はふっと微笑んで、僕の耳朶に触れた。

 

「また髪が、乱れているよ」
「ん……」
「あ、あの……」

 

 君が、指の腹で僕の耳朶を擦るから……解く手が震えてしまう。あの日のように火傷しそうな程、耳が熱くなってくる。 僕は君のタイをなんとか解き、それからシャツを開襟した。

 

「瑠衣、ここまで来るのに本当に長い道のりだったな。もう誰にも邪魔されない。ここは安全だ。あの時は気づいてやれず、俺の軽率な行為で……君を窮地に追い込んで悪かった」

 

 君の目は、潤んでいた。そうか……君はあのロンドンの屋敷で,僕を救えなかったことを今までずっと悔いていたのか。

 

「馬鹿だね、君が泣くなんて……。僕は悔いていないよ。衣装部屋で育んだあの日を忘れたことはない。離れていた十三年間、冬郷家の衣装部屋で、いつも君を想っていた。僕にとって衣装部屋は、君そのものだった。あそこで君からの手紙を抱きしめ、君を想っていた、いつも!」

 

「瑠衣、君は優しすぎる……こんな俺をいつもいつも……許して、慕って、愛して……支えてくれて……」

 

 君の瞳から、とうとう涙が零れ落ちた。次から次へ頬を伝う。

 

「あぁ……アーサー、君がこんなに泣くなんて……あの手術を終えた後を思い出すよ」
「瑠衣が愛おしすぎて、止まらないんだ」

 

 君の白いシャツのボタンを外すのを途中でやめ、布地の上から心臓にそっと触れてみた。

 

 

 

 

 


                        
                        (挿絵・おもち様)


 トクントクン……規則正しい音が伝わってくる。安堵する。

 

 これは命の音だ。僕を愛してくれる、僕の君が……生きている音色だ。

 

「アーサー、聞いて。僕たちはもう、綱渡りのような恋ではない。互いが互いのランドマークとなる恋をしているんだ。だからもう置いていこう、苦しかった過去は、もう不要だ」
「ありがとう。瑠衣、ここまでの道のりは……その本に記した。だが、俺たちの物語はまだまだ続く……あとは二人の胸に刻んでいこう」
 
 涙に濡れる君を、僕は包み込むように抱きしめた。

 

 交わすのは、ランドマークの誓い。


 僕は少し背伸びして、君の震える唇に優しい温もりを届けた。


 それから、二人で声を揃えた。

 

『君は僕のランドマーク』
『君は俺のランドマーク』

 

 物語よ続け――
 永遠に、時空を超えて。

 

 僕たちの薬指には、真新しい指輪が輝いている。

 一粒のダイヤモンドが、キラキラと光を反射する。

 

「この星が目印だ」

 

 互いの指に、そっと接吻し合った。
 
 窓辺からは君の瞳のように青い海が見える。更に遙か遠くには、大型客船も見えた。

 

「瑠衣、帰りは横浜港から英国までゆっくりクルーズだ。ここが俺たちの人生の母港となる」
「だから、ここに家を?」
「あぁ」
 
 僕に生きている意味を与えてくれたアーサーが、僕に故郷を贈ってくれた。


 日本で生まれ育った僕に流れるルーツを、大切にしてくれるのが嬉しかった。

 

「そろそろ帰ろう。僕たちのHome ground《ホームグランド》・英国へ」
「そうしよう」
 
 いつもそこに君がいてくれるから……

 僕も、君の傍にいる。

 

 二人は、互いが互いの道標《ランドマーク》。

 

 

                              『ランドマーク』End