中庸という言葉を考える、、、カタイけど
難しそうな言葉だけど
昔からこの「中庸」という言葉がなんとかく好きでした、、、
好き、というより気になる言葉という感じの方が正しいかもしれません。
ちょっと間違ってるかもと思いつつ
セリフの中に強引に入れてしまいました(笑)。
中庸とはざっくりいうと真ん中辺ということみたですが、
1位から100位の中の50位の人を指しているわけではなく、
100人の平均を取っているわけでもなく、
傾きすぎずバランスの取れたところ、、、というような意味のようです。
「みたい」「ようだ」と書くのは、私もすごく理解して使っているわけではなく
自分の中でこんな感じと解釈して、
その考え方が気になって仕方ないので「好き」と言っています。
(中国の古典の難解な本?を読み理解して、これを書いているわけではありません、、、。)
真ん中へんってざっくりしてるし
ちょっと日和見主義というか、どっちつかずというか、意見が弱い感じはします。
自分の主義主張が弱いのかなっていうような。
傾けば傾くほど、信じれば信じるほど、
自分の中の正義が強ければ強いほど
進む力は強くて、すごいことができると思うんですよね。
ただし、自分が信じるものが強いと
それがない人や反対向きの人は「悪」になってしまいます。
自分が強い思いをいだけばいだくほど、強い「悪」は誕生してしまいます。
その人を殺すことが正義だって思えるほどです。
どっちがいいとかではないんですが
時々自分が傾いてないかな〜なんて思うのは大切なのではと思うのです。
いやでも、傾いてるかも!自分あっち方面に傾いてるかも(笑)
むしろどっちにも傾いてない人間なんていないのでは??
でも、、、だから考える、、、年の終わりの反省会。
結局は、ちょっと傾いた強いパワーを使いつつ、
自分が傾いているということを知っていることがいい!(と思う!)
自分は中庸になりたいってわけではなくて。
とりとめのないお話にお付き合いいただきありがとうございました。
今年はもうアップできないかもしれませんので、
読んでくださった方、今年一年ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
寅年も頑張りますのでどうぞよろしくお願い致します。